「あさま山荘事件」の幽霊!? 生中継もされた昭和の代表的事件とオカルト

2024年2月8日(木)16時0分 tocana


 1972年2月、連合赤軍と呼ばれる極左グループのメンバー5人が長野県軽井沢にある「あさま山荘」に侵入、管理人の妻を人質に10日間に渡って立て籠もるという事件が発生 した。山荘を包囲する機動隊に対して幾度もの発砲を繰り返すなど、その一連の様子は連日テレビで生中継がなされ平均視聴率65% を記録するほど世間の関心を集めた。昭和史を代表する事件の一つとして現在も知られている。
 連合赤軍とは、チェ・ゲバラの思想に基づいて世界同時革命を目指す赤軍派と、毛沢東の思想に基づく一国革命を標榜する京浜安保共闘とが合体した武闘派組織である。学生運動が下火になりつつあった頃、あまりにも過激な行動に走っていた彼らはどんどん支持と味方を減らしていったのだ。
 群馬県の榛名山にあったアジトに潜伏していた主要メンバーが、警察の手から逃れる為に妙義山へ移ろうとした。しかし、その場所も危ういと判断したために各自が逃走を図り、うち5人が長野県側へ移動していったのである。その途上で経路を誤り警察に見つかってしまったことで、たまたまその近くにあったあさま山荘へ逃げ込んだのだ。
 極寒の中、膠着状態は続いていたが、 犯人グループを説得しようと警察の目を盗み山荘に近づいた民間人 が連合赤軍からの狙撃に遭い死亡した。このことによって突入やむなしとなり、 周到な作戦を練った末にあの有名な鉄球による突入が行なわれた。その際、 高見繁光警部および内田尚孝機動隊長が銃撃により犠牲となったが、2月28日の午後6時10分に犯人全員を逮捕、人質となった管理人の妻も無事救助された。
 この事件が日本中を震撼させた理由の一つは、連合赤軍が行なっていた「総括」と呼ばれるリンチであった。群馬県のアジトにて、幹部が意に添わないと判断したメンバーに対し「 生まれ変わるための総括が必要」などと批判を強要し、その相手を集団で暴行したのであった。通称「山岳ベース事件」と呼ばれるこの常軌を逸した行動によって、わずか1ヶ月の間にメンバー12人の命が奪われる結果となった。
 こうしたあさま山荘事件であるが、副作用とも言える出来事がいくつか発生している。極寒の中、 機動隊に支給された弁当が凍ってしまうという事情から、お湯を入れるだけで出来上がる日清のカップヌードルが支給され、隊員たちがそれを食する様子も中継されたことでカップヌードルが ヒットするきっかけともなった。
 また、映画化された際にロケ地となった新潟県上越市板倉区の光ヶ原高原 にはあさま山荘の鉄球のモニュメントが設置されており、通称「 難局打開の鉄球」 と呼ばれることから近年のコロナ禍において難局打開の祈願も行なわれた。なお、ここで設置されている鉄球は、事件当時集められて使用されなかった予備の鉄球と、映画撮影用のレプリカの鉄球であり、 実際に使用された鉄球はある管理会社に保管されているという。
 さらに、真偽のほどは定かではないものの、このあさま山荘事件に絡んだ心霊話も囁かれているようである。リンチ事件のあった山岳ベース(群馬県榛名山)付近では、学生風の幽霊が目撃されており、 リンチによって亡くなった人物が無念を訴えて徘徊し続けていると語られているという。


【参考記事・文献】
歴史の謎を探る会『昭和の重大事件』
あさま山荘事件 その時、何が?真相と今に伝えるもの
浅間山荘事件をわかりやすく解説します! リンチが壮絶すぎて遺体の判別がつかず・・
あさま山荘事件“難局打開の鉄球”にコロナ禍などの克服を祈願 上越市の光ヶ原高原 


【本記事は「ミステリーニュースステーション・ATLAS(アトラス)」からの提供です】



【文 ナオキ・コムロ】


 

tocana

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