世間的に人気の「古代エジプト文明」。しかしヒエログリフが読めても<仕事>があるわけではなく…厳しい就職事情を考古学者が語る
2025年3月12日(水)6時30分 婦人公論.jp
(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
遺跡や遺構から歴史を研究する<考古学>。日々発掘調査に出かけていると思われがちな考古学者ですが、古代エジプトを専門とする駒澤大学文学部歴史学科の大城道則教授によると、ここ数年は10日連続で時間を取ることができないほど多忙を極めているそうで——。そこで今回は、考古学者の青山和夫さん、角道亮介さんとの共著『考古学者だけど、発掘が出来ません。 多忙すぎる日常』から、大城教授のリアルな日常を一部お届けします。
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古代エジプト史を極めるため
人一倍せっかちな性格の私は、大学に入学してすぐにヒエログリフを教わろうと教授棟にある加藤一朗先生の研究室の扉を叩いた。古代エジプト史を極めるには、まず古代エジプト文字であるヒエログリフ(神聖文字)を読めるようにならないとダメだと思っていたからだ。
最初に訪ねた際には、丁重に断られた。理由は簡単で「大学院生にならないとヒエログリフは教えられない」というものだった。二度目もだいたい同じような理由で断られた。
立場が同じとなった今なら先生の考えも十分に理解できる。現実的に考えて、学部生にヒエログリフを教えるような時間はないのだ。現在ほどではないとはいえ、大学教員は忙しいのだ。授業以外に学生に時間を使うとそれはそのまま自分の研究時間を削ることを意味するからだ。
それに語学は教わるものではなく、地道に自分でコツコツ身に付けるものだと思っている。当時の私は迷惑な学生であったと思う。
二つの研究会に入る
仕方がないので、断られてすぐに、とりあえず古代エジプト研究会に入会した。そこで同級生たちはもちろん、先輩たちとも親しくなり、多くの時間をともに過ごすようになった。同時に西洋史研究会にも入会した。
加藤先生を含む先生たちを交えての合宿やコンパに出掛けることもしばしばであった(もちろん学生たちだけでもしばしば出掛けた)。私の大学生活は研究会に入ったことで順調に滑り出した。
『考古学者だけど、発掘が出来ません。 多忙すぎる日常』(著:青山和夫、大城道則、角道亮介/ポプラ社)
特に合宿は奈良県の明日香村に大学のセミナーハウスがあったのでそこで行われた。大学院生やOBも参加する会だったので、夜遅くまでいろんな話が聞けた。いまだに付き合いのある先輩方もいる。
宿泊した次の日の朝、みんなで近隣に散在する石舞台古墳や亀石などの遺跡を散策したものだ。そう言えば夜中に先生と神社の階段を駆け上がった記憶もある。夜明けまでみんなで話をして起きており、2時間も寝ていないのに朝から元気であった。気力体力に満ち溢れていた頃だ(体力の落ちた現在では想像もつかないが……)。
この合宿の伝統はその後も続き(宿泊場所は神戸や彦根のセミナーハウスを使用するようになったが)、コロナ禍の前まで継続されていた。そろそろパンデミックも収束したので、復活してもいい頃だとは思う。
英語で書かれたヒエログリフの文法書
話は戻るが、二度断られたとはいえ、私はヒエログリフを加藤先生から教わることを諦めたわけではなかった。私は諦めの悪い人間である。だからその機会を再び狙っていた。名前も顔も覚えてもらい、ほどよく良好な関係を築いたあたりでもう一度チャレンジするつもりでいたのだ。
そしてその機会は意外とすぐにやって来た。それもこれも研究会に入っていたからであろう。そしてありがたいことにリトライは成功した。ついに先生も諦めたのである。
後に大学院まで進学した先輩方からは、「どうしてお前だけが教えてもらえるんだ」と嫉妬され軽く叱責を受けた。知らんけど。そのときから大学生活がもう一段階レベルアップした。
ただ英語の文法書(写真)を読みながら学習するという形はもちろん初めての経験であったので予習は大変であった。だが、同級生も一緒に参加し出したので楽しくはあった。
就職先が日本にない
そこそこ順調に文法書は消化していった。それに連れてそこそこヒエログリフも上達していった(と思う)。そしてそれと同時に将来のことも考え始めたのである。
もともと一般企業に就職することは考えていなかった(バブルがはじける前だったので、大学の四年生のときには就職先は選び放題であったが)。そのような場で自分が働くことが想像できなかったのだ。
親戚に一般的なサラリーマンが一人もいなかったことが原因だと思う。イメージができなかったのだ(大城家は家族経営の小さな会社でほとんどの親戚が働き、それ以外はみんな美容師という一族であった。母方の祖父は画家で叔父は脳外科医であった)。
二つの研究会に所属していたこともあり、仲間内でも大学院進学というのが身近な話となっていたからであろうか、二年生の終わりくらいにはもう何となく進学するつもりでいた。問題は大学院入試に受かる実力が自分にあるのか、ないのかという点であった。
同じ西洋史ではあったが専門分野(研究対象の国)の異なる同級生が同じ研究会のなかにおり、彼も進学希望であったことも早めに進路を検討するきっかけとなった。まだその頃は、この世界の厳しさ・狭さをまったく理解していなかったと思う。
ヒエログリフが読めて、よい論文を書けば、どこからか声が掛かり、大学や博物館・美術館に所属する研究者になれると思っていた。そんな甘い世界ではなかったことに進学後すぐに気がついたが……。
厳しい世界
理由は簡単だ。そもそも研究機関から募集・公募がないのである。まず古代エジプト史を専門とする教員を求めている研究機関など日本には存在しないということに気づかされた。
世間的に見れば(あるいはテレビ番組的な観点では)、古代エジプト文明は人気がある。もの凄く人気がある。博物館・美術館で古代エジプト文明の展覧会を開けば間違いなく長蛇の列を生み出す。
ただ「人気がある」=「仕事がある」ではなかったのだ。これは今でも学生たちがする勘違いの一つだ。
さて大学生活半ばですでに将来に暗雲が立ち込めて来ていた。それも真っ黒な……。
※本稿は、『考古学者だけど、発掘が出来ません。 多忙すぎる日常』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。
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