【名馬伝説】去勢したことで成績が急上昇!ジャパンカップを制したレガシーワールド、マーベラスクラウンの意地
2025年3月14日(金)6時0分 JBpress
(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
「高松宮」の尊称は競馬シーズン幕開けの合言葉
2月に行われたダートコースでの最初のG1レース『フェブラリーステークス』ではコスタノヴァが優勝。騎乗した英国出身・オーストラリア(以下、豪州)で活躍中の女性騎手、レイチェル・キング騎手が話題になりましたね。
女性騎手がJRAの平地G1レースで勝利したのは初めてのことだったので日本のマスコミは大きく取り上げていました。キング騎手本人は勝利を喜びつつも、ことさら「女性」を強調されるのはむしろ迷惑なような感じで、さらりと受け流していた態度に好感が持てました。すでに豪州でG1級レースを5勝していた34歳のキング姐さん、さすがの貫禄です。
さて、2025年、芝コースで行われる今年最初のG1レース「高松宮記念」がいよいよ3月30日、名古屋の中京競馬場で開催されます。
4月6日の「大阪杯」から6月15日の「宝塚記念」まで、4月27日を除く日曜日にJRAのG1全10レースが連続して行われます。このG1ラッシュを前に、その先導役を担うG1レースがこの「高松宮記念」(芝コース、1200メートル)です。
2013年以前、中京競馬場で行われるJRAのG1レースといえばこの「高松宮記念」のみで、地元ファンにとっては年に一度のお楽しみでした。1995年までは中京競馬場で行われる2000メートルの「高松宮杯」として親しまれていたレースで(「高松宮記念」に名称変更されたのは1998年)、かつて岐阜の笠松競馬場出身のオグリキャップがレコードタイムで優勝し、中京地区のファンを喜ばせたレースでもありました(オグリ優勝の1988年当時は2000メートルの中距離レースでした)。
「記念」が「杯」に変わっても「高松宮」と聞くと、オグリ以外にもハイセイコーやフジノパーシア、トウショウボーイ、バンブーメモリーなど、このレースで勝利した名馬を古参競馬ファンは懐かしく思い出すかもしれません。
海外の「騸馬(せんば)」旋風!
1996年以降、このレースは距離1200メートルとなり、春の短距離決戦として位置づけされました。短距離G1となって以降の歴史を振り返ってみると、全29レース中、牝馬の優勝は4回、騸馬(せんば。去勢された馬のこと)1回となっていて、牡馬の勝率が83%です。
同じ1200メートルで行われる秋の短距離決戦「スプリンターズステークス」では、全35レース中(1990年のG1昇格以降)、牝馬の優勝10回、騸馬3回で、牡馬の勝率が63%、「高松宮」の牡馬勝率と比べるとかなり低くなっています。
特に2005年と2006年の「スプリンターズステークス」では、外国馬のサイレントウィットネス(香港、6歳馬)、テイクオーバーターゲット(豪州、7歳馬)が1番人気に応えて優勝、どちらも「騸馬」という共通項がありました。
去勢は調教中や競馬場に行って興奮しがちな馬をレースに出走できる程度にまでおとなしくさせることが目的で行われます。当然ながら、引退後の種牡馬としての役割からは除外されます。
ちなみに、海外の騸馬として日本で最も知られていたのは1982年の第2回ジャパンカップ出走のため来日した米国のジョンヘンリーかもしれません。あいにくジャパンカップでは1番人気に応えられず13着と惨敗しましたが、G1レース16勝の記録を持っている名馬でした。私はこの馬が来日したことで「騸馬」の存在意義を理解しました。
2010年の「スプリンターズステークス」では、やはり香港の騸馬・ウルトラファンタジーが10番人気で勝利し単勝29.3倍をつけましたが、このとき同馬は8歳で競走馬としては高齢でした。
同レースでの過去の日本優勝馬は3歳から5歳が多いので(G1昇格後の日本の優勝馬平均は4.5歳)、優勝した前述の外国馬3頭の平均7歳と比べると2歳半も差があります。
騸馬の大きなメリットとして実績馬でも種牡馬になる必要がないので、故障等がなければ高齢まで走れる点にあります。成績もそれなりに伴うケースが散見するので、長く走ってくれれば、それだけ賞金を稼いでくれる機会が増えるわけです。
日本の場合、3歳以前に騸馬になるとクラシックレースには出走できないうえ、晩成タイプの馬が活躍しても種牡馬になれないので、海外に比べると騸馬の比率は少なくなっています。
反して、香港からの出走馬に騸馬が多いのは、香港には馬産地がなく、種牡馬を生産する必要のないことが影響しています。昨年6月の「安田記念」に優勝した香港の6歳騸馬・ロマンチックウォリアーも、香港「騸馬」攻勢の結果でした。
今から10年前の2015年3月、その香港から「高松宮記念」に出走するためやってきたのがエアロヴェロシティ、7歳の騸馬でした。レースでは4番人気でしたが、見事に制覇。現在まで、「高松宮記念」唯一の外国優勝馬であり、唯一の騸馬として記憶されています(なお、このレースでの最高齢優勝馬は2011年に優勝したキンシャサノキセキの8歳です)。
日本にもいた騸馬の名馬
では、ここで日本の代表的な騸馬を挙げておきましょう。
近年では2016年のチャンピオンズカップ、2017年の「JBCクラシック」で優勝したサウンドトゥルー、2018年の「フェブラリーステークス」で優勝したノンコノユメ、この両ダート馬でしょう。
しかし、その昔、私に「騸馬」という言葉を胸に刻印してくれたレガシーワールドとマーベラスクラウンの2頭の名を忘れてはいけません。
1989年生まれのレガシーワールド、翌1990年生まれのマーベラスクラウン。両馬に共通しているのは、3歳時(現2歳)までの成績が期待していたほどではなかったため去勢が行われ、その結果、レースに復帰するやいなや、その後の成績が急上昇、ともにジャパンカップを見事に制覇したことにあります。どちらも6番人気のダークホース的存在でした。
ジャパンカップ勝利後、レガシーワールドは故障等もあり戦績は急下降、惨敗を繰り返した結果、8歳(現7歳)で引退。余生は馬産地・北海道日高の地で送り、32年間の生涯を終えています。
一方、マーベラスクラウンのほうもレガシーワールド優勝の翌年のジャパンカップで勝利するも、やはりその後の成績が振るわず、最後は船橋競馬場に移籍しても勝てず、引退。
その後、一時乗馬となった後、やはり日高の地で余生を送り、17歳で没しています。馬名のような「すばらしい王様」のような日々だったことを願うばかりです。
レガシー(legacy)という言葉には「遺産、伝統」といった意味がありますが、私がこの言葉を覚えたのはレガシーワールドの存在があったのかもしれません。
ちょうど自動車メーカーの富士重工業(現・SUBARU)がレガシィを発売したのが1989年、レガシーワールドの誕生年と重なります。
競走馬として「世界的遺産」に相当するような活躍までには至らなかったし、JRAの顕彰馬にも縁遠かったものの、日本の競馬界において騸馬としての役割を十分果たしたレガシーワールドの存在は、私にとって忘れがたいものでした。
レガシーもマーベラスも種牡馬になれず、その血を子孫に遺すことはできませんでしたが、この両馬は私の胸の中で「マーベラスなレガシーホース」の記憶として遺されています。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)
筆者:堀井 六郎