90歳団地ひとり暮らしの多良美智子〈お金がないのはきつい、余裕がないとダメ〉夫の勤務先が2回も倒産。貯金はあっても決して家を買わなかった理由は
2025年4月8日(火)12時30分 婦人公論.jp
「お金がなかったことで、親を恨んだことはありません。〈じゃあ、どうすれば自分のやりたいことができるのかな〉と頭を切り替えていきました」(写真提供『90年、無理をしない生き方』すばる舎/撮影:林ひろし)
85歳で孫と一緒に始めた、古い団地でのひとり暮らしを紹介するYouTubeチャンネル『Earthおばあちゃんねる』が人気となり、著書も累計18万部の大ヒット。それでも、毎日の暮らしは変わらないと話す多良美智子さん。90歳を迎え、体の衰えはあっても「無理をしない」生き方で、日々機嫌よく暮らしています。そんな美智子さんの90年の人生を振り返った著書『90年、無理をしない生き方』から、いくつになっても機嫌よく過ごす秘訣を紹介します。
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節約してお金をためるのは
「使いたいとき迷わず使う」ため
実家の商売は、しっかり者の母が生きていた頃はうまくいっていましたが、戦後に母が亡くなってからはどんどん悪くなりました。高校生の頃は「うちはお金がないんだな」と感じていました。
忘れられない出来事があります。夏休みに、仲のよかった先生が、私たち仲良しグループとの日帰り小旅行を計画してくれたのです。
私は「うわあ、いいな。だけど、うちにそんなお金あるのかな?」と考えてしまって。もちろん、そんなに高いお金ではなかったので、父に頼めば出してくれたはずです。でも、苦しい事情をわかっていたから、父には言い出せませんでした。
友達にも本当のことは言えないから、他の理由で断りました。今でも、「あのときは寂しかったな」と忘れられないのです。
やはり高校生のときに、服を作るための生地がほしかったから、繁華街の紳士服売り場で友達とアルバイトをしたことがありました。
1ヵ月働いてもらったお金を持って、「どんな生地を買おうかな?」とウキウキしながら家に帰ったら、子どもを連れて帰省していた1番上の姉が、「そろそろ家に帰らないといけないけど、電車賃がないの。美智子、悪いけれどお金を貸して」と……。私の給料日だとわかっていて、頼んできたのでしょう。
1ヵ月のアルバイト代は3000円ほどでした。ブラウスとスカートを作るくらいの布は買えるかなと思っていたけれど、一瞬で夢が消えました。給料袋のままそっくり姉に渡しました。姉も生活に困っており、貸したお金が返ってくることはありませんでした。
きっと姉も、父には言えなかったのでしょう。姉の気持ちがわかるから、断ることはできませんでした。
こうした経験から、「お金がないのはきつい、余裕がないとダメだな」と思うようになりました。そして、楽しむためにはお金が必要だとわかり、しっかりお金をためるようになりました。
高校を卒業後、実家から独立して、大阪にある叔父の会社で働いてひとり暮らしをしました。少ないお給料をやりくりして、家賃、食費などを払いながらしっかり貯金をしていました。
貯金自体が目的ではなく、使いたいときに迷いなく使えるように、お金をためていたのです。
だから、社内で「コンサートに行きたい人は?」とか「スキーに行くけど、一緒に行かない?」など遊びのお誘いがあったときは、真っ先に手をあげて参加していました。そのための貯金でもあったのです。
ためたお金でミシンを買い、洋服や旅行用のかばんを作ったり、早朝に映画を見に行ったり楽しんでいました。
念願のひとり暮らしだったから、がんばって働きました。自分の稼いだお金でやりくりする生活は、とても充実していました。
お金がなかったことで、親を恨んだことはありません。「じゃあ、どうすれば自分のやりたいことができるのかな」と頭を切り替えていきました。
今の状況を受け入れて、自分で決めたことをやってきたなと思います。大きな夢はないけれど、歩きやすいように石ころをよけて、自分で歩いてきました。
いつでも現金主義。
ほしいものは貯金してから買ってきました
結婚してからも、お金はしっかりためていました。でも、予想外のことが起こるもの。夫の勤めていた会社が2回も倒産したのです。1回目は長崎に住んでいたときでした。その後、福岡で転職した先も1年で倒産。
夫は経理も営業もできる人だったので、どこかの会社には受かるだろうと信じていました。でも、子どもたちもまだ小さく、お給料の入ってこない日々は心細いものでした。この経験からも、お金は大事、持っておかなければという気持ちを強くしたのです。
家を買わなかったのは、大きな借金を背負うことをしたくなかったからです。同じお金をかけるなら、子どもたちの教育にかけたいと思っていました。子どもたちの行きたい学校に行かせてあげたい。サラリーマンだから収入が多いわけではないので、優先順位を考えました。
夫は5人きょうだいの3番目で、他のきょうだいたちが言うには、「勉強ができたのに、大学に行かずに、家族のために働いてくれた」と。戦争から帰ってきて銀行で働き、その後、実家の農地を継ぐために、農作業をしたりしていました。
勉強をしたくてもできない状況だったので、夫も「子どもたちには好きなだけ学ばせてあげたい」という気持ちだったと思います。「子どもたちの勉強は僕がみるよ」と言うほど、教育熱心でした。
『90年、無理をしない生き方』(著:多良美智子/すばる舎)
それに、お金の面だけでなく、私は家族の顔がいつでも見られる団地の狭さも気に入っていたから、あえて引っ越したいとは思いませんでした。夫からは「一戸建てに引っ越そうか」と言われたこともありましたが、「ここがいいの」と断ったのです。
今でも基本は、現金主義です。九州に行くときに飛行機に乗るので、そのときにクレジットカードが便利なので持っていますが、他では使いません。カードの分割で買うということはしないです。
貯金は子どもの頃から好きでした。借金して後からお金を払うよりも、先にためてから買うほうが、私には合っているのです。ほしいもののために、少しずつお金がたまっていくのもうれしいですね。先々への楽しみができます。
でも、爪に火をともすような節約生活で貯金をしたわけではありません。夫の給料はそれほど多くはなかったけれど、年々景気がよくなる時代だったので、給料は毎年上がりました。それを全部貯金に回すと家族がつまらないだろうから、3分の1くらいは生活費にプラスし、3分の2は貯金しようなどと工夫をしました。
家計をやりくりする中で、毎月余ったお金をデパート積立していました。1年間続けると1ヵ月分を追加してくれるものです。
そのデパートで、素敵なカゴバッグが売られていました。でも、職人さん手作りのもので値段が高く、とても買えません。いいなぁと眺めるだけでした。
40年ほど前に買った、手作りのカゴバッグ。形はまったく崩れず丈夫です。カゴバッグが好きでいくつか持っています。(写真提供『90年、無理をしない生き方』すばる舎/撮影:林ひろし)
あきらめかけていたときに、1年分の積立が終了し、ギフトカードを受け取ることに。あ、これで買えるかも……!と売り場に行くと、あのカゴがまだ置かれていました。少し足りなかったので、手持ちの小遣いを足し、迷わず購入しました。
購入資金がたまるまで待っていたら、売り切れてしまうこともあるかもしれません。でも、それは縁がなかったということ。私はあきらめがいいので、そこはスパッと割り切ります。売り切れていなかったのは縁があったということでしょう。
このカゴバッグは、40年ほど経った今でも使っています。材料は山ぶどうの蔓つるで、経年変化で飴色になり、いい雰囲気です。買ったとき、職人さんから「壊れたら、いつでも直しますよ」とお店のカードをもらいましたが、しっかりした作りで壊れたことがありません。
娘がほしがっているので、受け継がれれば40年どころかもっと長もちしそうです。決して高い買い物ではありませんでした。
※本稿は、『90年、無理をしない生き方』(多良美智子:著/すばる舎)
の一部を再編集したものです。
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