美輪明宏 「今でも〈蛍の光〉の曲を聞くと、映画『哀愁』を思い出す。生きている限り戦争の悲惨さを伝え続けるのが、生き証人としての私の役目」
2025年4月14日(月)12時30分 婦人公論.jp
歌手、俳優の美輪明宏さんがみなさんの心を照らす、とっておきのメッセージと書をお贈りする『婦人公論』に好評連載中「美輪明宏のごきげんレッスン」。
4月号の書は「哀愁」です。
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戦争とはなんと非人道的なものか
ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーが主演した映画『哀愁』を初めて観たのは、10代半ばの頃。日本公開は1949年ということですから、長崎で観たのだと思います。
この映画は、愛し合っているのに戦争によって引き裂かれてしまう男女の物語です。二人がレストランで楽しいひとときを過ごし、閉店前に「別れのワルツ」に合わせて踊るシーンの美しさと切なさが、とても印象的でした。
ちなみに「別れのワルツ」は、日本では「蛍の光」として知られている曲です。今でも「蛍の光」を聞くと、あのシーンを思い出します。そして改めて、戦争とはなんと非人道的なものかと思わずにいられません。
私も戦争を経験した世代です。太平洋戦争が始まったのは6歳の時。父が経営していたカフェーで働いていたボーイの三ちゃんが出征することになり、女給さんたちと一緒に長崎駅まで見送りに行きました。
私たちはホームで軍歌を歌い、万歳三唱しましたが、三ちゃんが列車に乗り込もうとした時、人混みをかき分けてきた彼のお母さんが足にしがみつき、「死ぬなよ。どげんことがあっても帰って来いよ」と言ったのです。
次の瞬間、憲兵らしき人が「貴様ーッ!」と叫び、お母さんの襟首を掴んでホームの鉄柱に突き飛ばし、「なぜ立派にお国のために死んでこいと言わんのだ」と怒ったのです。血を流している母親に向かって敬礼をする三ちゃんのなんともいえない顔は、一生忘れられません
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されました。私は家の中にいて幸い命に別条はありませんでしたが、原爆投下直後の長崎はまさに地獄のようでした。
今も世界各地で戦争が続いています。いったいいつになったら、地球上に真の平和が訪れるのでしょう。私は、生きている限り戦争の悲惨さを伝えて、戦争への流れを食い止めるのが、生き証人としての役目だと思っています。
●今月の書「哀愁」
(書:美輪明宏)
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