【親がネグレクト】2歳で両親が離婚、児童養護施設へ。里親候補に金をせびる父、自分の都合で里親と引き裂く母。振り回されても「幸せ」と言える理由は【まんが】

2025年4月17日(木)12時30分 婦人公論.jp


里親への委託が決まっては戻されてを繰り返すことに…

置かれた境遇は厳しくとも、あることをきっかけに人生が輝きだして——。『婦人公論』で人気の読者手記を、さえじまゆうさんが漫画化!山川宏美さん(仮名・大阪府・非常勤講師・55歳)は、実の親からネグレクトを受け、やっと里親と幸せな家族になれると思ったのもつかの間——。

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父はお金が絡むと見境がなくなって


私が2歳の時、両親が離婚。母との二人暮らしが始まるも、生活は不安定でした。母は常にイライラしていて、些細なことで怒り、私は怯えて過ごしていた記憶があります。

父は金銭トラブルを抱えており、お金が絡むと見境がなくなる人だったと、母が言っていました。

断片的ではあるものの、幼い頃の記憶は私のなかに強く残っており、その後も大きな声や威圧的な態度をとられると萎縮したり、動悸がしたりするなど深い傷を残したのです。

児童養護施設で…


まだ3歳だった私は、お泊まりごっこをしているくらいにしか理解していなかったものの、冷たい雰囲気の施設よりも、人の家の温かさのほうがいいなと感じていたのに……。

施設に戻される原因は父でした。

里親が決まるたびに父がその家を訪ねていき、難癖をつけて金銭を要求していたのです。

里親は驚きと恐怖で委託解除していたのでした。

無条件に愛される喜びを知った


けれど私が4歳になった時、奇跡のような素晴らしい里親さんとの出会いがあったのです。

里父、里母ともに50歳で、実子3人は成人し、すでに自立していました。

2人が私を本当の家族として育ててくれた日々は奇跡そのものでした。

私は初めて、家族で食卓を囲み、無条件に愛される喜びを知ったのです。

10歳になった時…


実母との面会頻度は増えていき、私が12歳になった時に実母と暮らすことに。

私に愛情をたっぷりかけて育ててくれた里母さんは、親権を理由に引き離されてしまう結果となり、ショックで寝込むほどだったようです。

けれど実母の性格の根本的な部分は変わっておらず、暮らし始めて半年も経たずに些細なことで逆上し、「一切あんたの食事の世話はしないから!」と言い放ち、本当にそうしたのです。

見守ってくれている人がいる


どんなに悲しいことがあっても、大変な状況になっても、見守り思ってくれている人がいる。その事実が私の心を救い、強くしてくれました。

あの時、里親さんと出会わなければ、不運な人生だと思い続けていたでしょう。

私の生い立ちから、「苦労したね」と言われることがありますが、私は今、心の底から「いいえ、幸せです」と言えます。

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