「お尻から便をかき出して」女性漫才師が語る“両親同時介護”のリアルと口をついて出た“親への暴言”
2025年4月19日(土)8時0分 週刊女性PRIME
娘さんと車イスの母親を旅行に連れて行ったことも。「いつも私を応援してくれる母でした。このとき母の頭が臭かったのもいい思い出(笑)」(写真/本人提供)
漫才コンビ「春やすこ・けいこ」として人気を博した、春やすこさん。結婚、出産後は2児の子育てにいそしむ一方で、病気がちな両親と2005年から同居し、フォローを続けていた。本格的な在宅介護の始まりは15年前、父親が寝たきりになってからだ。
相次ぐ病気と事故で両親共に在宅介護に
「父は63歳のときに胃がんで胃を全摘出して以来、脳出血、腹部大動脈瘤、急性心筋梗塞、脳梗塞を次々発症したという“病気のかたまり”のような人。脳梗塞を起こした後は右半身が不自由になりました。さらに、2010年には階段から落ちて頭を打ち、身体のバランスがとれなくなって、『要介護5』の寝たきりになってしまったんです」(やすこさん、以下同)
一方、母親は肺気腫の持病があったため、酸素吸入器が必要な状態。肝臓も悪く、入退院を繰り返していた。それでも当初は、やすこさんと父親の介護を分担できていたが、2012年、自転車で転倒し、大腿骨を骨折。さらに腎疾患も悪化して人工透析が必要になり、介護が必要な身になってしまう。
「母にも前々から、『自転車はもうやめとき』と言っていたのに、案の定でした……」
かくして両親の介護は、娘であるやすこさんの肩にかかることに。いっそ「施設に入ってくれたら」と、考えたこともある。
「でも、両親が共に施設に入るには、年金だけでは費用的に難しい。ふたりとも家がいいと言いますし、自宅で介護をしようと決めたんです」
つい口から出た父への暴言に後悔
やすこさんの介護の1日は、朝の父親のおむつ替えから始まる。朝昼晩の食事を両親の部屋に運ぶほか、母親の通院にも度々付き添わなくてはいけない。疲労は否応なくたまっていった。
「赤ちゃんのおむつ替えと違って、大人はとにかく、おしっこの量がすごい! 父親の場合は一晩もたずに紙おむつからもれてしまうので、最初は、夜中の3時に起きて取り替えていました。だんだん、もれないように紙おむつをあてるコツがわかってきて、私も朝まで眠れるようになりましたが、睡眠不足はいかに心身を消耗させるか実感しました」
母親はやがて自宅での入浴も困難に。やすこさんは母親に、入浴サービスがあるデイサービスに通うようすすめるが、当人は「あんなところ、年寄りの行くところや!」と行きたがらない。
「ようやく説き伏せて、デイサービスの契約をしたんですけど、母は勝手に『体調が悪いから休みます』とデイサービス先に電話して、サボってしまうんです。髪を洗ってないから頭が臭くて、離れていても母がいることがわかるほどでした(笑)」
父親はもともと頑固な性格だったが、孫たちが生まれ、介護されるころにはすっかり、性格が「まるうなった」とか。何かとやすこさんに「ありがとう」や、「おむつ替えはお母さんより上手やな」などと、声をかけてくれた。それでも、やすこさんもつい、声を荒らげてしまったことがある。
「父は便秘がちで、動かせる左手で、お尻から便をほじり出そうとするんですよ。それで汚れた手を壁や布団で拭くものだから、たまりませんよ。何度やめるように言ってもきかないものだから、思わず『そんなんするんやったら、さっさと死にいや!』と言ってしまったんです」
両親はずっと、やすこさんが「やりたいようにさせてくれた」という。芸能界入りの際も反対せず、温かく見守ってくれた。
「そんな親子関係だから、父も私が暴言を吐いても、私が本気で父に『死ね』と言っているとは思わなかったでしょう。でも、介護最優先の生活では外出もままならない。当時は友人と食事をするにしても、何かあったら、すぐに帰宅できるように、近所に来てもらっていました。『私がちゃんとやらなきゃ』と思うあまり、ストレスがたまっていたんですね」
転機になったのはケアマネのひと言
そんな状況の転機となったのは、両親を担当するケアマネジャーのひと言だった。
「あるとき、ケアマネジャーさんに、『やすこさん、今、したいことはありますか』と聞かれたんです。当時ちょうど娘が大学卒業前で、『娘が私と海外旅行に行きたいと言うのだけれど、そんなの無理ですよねえ』と言ったら、『ぜひ、行ってきてください!』と言われたんです」
以来、やすこさんは、介護保険制度を利用して、両親に高齢者施設に宿泊できるショートステイに行ってもらうように。趣味のゴルフや友人との食事を、ゆっくり楽しむ時間をつくれるようになった。
「ケアマネジャーさんのすすめには、『えー! ええんですか?』という驚きしかありませんでした。ケアマネさんというのは、要介護の親の面倒をみてくれるだけでなく、介護をする側のことも、ケアしてくれるんですね」
それまでは日帰りのサービスを利用していたが、やはり数日間介護から離れられるのは何よりの気分転換になり、心に余裕ができた。父親に「ゴルフに行ってきたよ」と言うと、「よかったな」と返ってきた。そんな家族同士で思いやる心は、やすこさんの子どもたちにも受け継がれているようだ。
「子どもたちはずっと、両親によく面倒をみてもらっていました。そして息子も娘も、おじいちゃん、おばあちゃんに、めちゃめちゃ優しかった。私としては、両親の介護で子どもたちに負担をかけさせまいと思っていましたが、ふたりはよく両親の部屋に行って話し相手になってくれました。ウクレレを弾いて聞かせたりね。私にはそんな気持ちの余裕がなかったので、すごくありがたかった」
“手抜き”なしでは介護は続かない
やすこさんは、2013年に父親を81歳で、その3年後に母親を76歳で見送るまで、在宅介護を続けた。
「介護はやはりたいへん。心の余裕がないと続きません。そのためには利用できることは利用して“手抜き”をしないと! くれぐれも一人で抱えようとしてはダメ。今、思い返しても、両親とは最期まで、お互いに『ありがとう』という気持ちでいられたと思える。それも、手抜きをできたおかげだと思うのです」
やすこさんも両親の介護を経て、自分の老いについて思うところがあるという。
「この先、子どもたちにとって私自身の介護が負担になったら、無理せずに施設に入れてもらいたいと思ったりもします。どこで介護されるにしても、子どもたちも、おじいちゃん、おばあちゃんの介護を身近に経験していますから、私にも優しくしてくれるんじゃないかな?」
63歳となった今、「これからは友人や家族との旅行をもっと楽しみたいし、お芝居もしていきたい」と、パワーあふれるやすこさん。
「お声をかけていただいたらすぐ出演ができるよう、お肌のお手入れも万全です! なんたって女優ですから(笑)」
はる・やすこ 1961年、大阪府生まれ。'76年、漫才コンビ「春やすこ・けいこ」でデビューし、“漫才界のピンク・レディー”と話題に。現在は女優、タレントとしてテレビ・ラジオに出演。両親の介護経験をもとに講演活動も行っている。