10周年を迎えた「Go!プリンセスプリキュア」 プリンセスの意味を広げた名作キュアが、今もファンに語り継がれている理由

2025年4月24日(木)18時5分 ねとらぼ

プリンセスをモチーフとした「Go!プリンセスプリキュア」(出典:Amazon.co.jp)

 10年前の2015年2月。
 ひとりの女の子が夢に向かって走り出しました。
 その娘の名は「春野はるか」。夢は「花のプリンセスになること」。
 しかし、その「プリンセス」とは、お城に住むお姫様のことではありませんでした。
 「強く、優しく、美しく」そんな生き方を目指し、自分自身を信じて努力する姿。
 それこそが「Go!プリンセスプリキュア」が描いた“プリンセス”だったのです。
 2025年は「Go!プリンセスプリキュア」放送から10周年となります。「プリンセス」をモチーフ、「夢」をテーマとし、「シリーズ屈指の名作」と評するファンも多い同作は、子どもはもちろんのこと、多くの大人たちをも魅了しました。
 なぜ、同作はいまだに多くの人の心に残り続けているのでしょうか。同作で描かれた「プリンセス像」を振り返っていきます。
※本記事では「Go!プリンセスプリキュア」ストーリー終盤の内容に触れています
●「明確なモチーフ」を提示した初のプリキュア
 「Go!プリンセスプリキュア!」は、作品全体を1つのモチーフで統一した初のプリキュアシリーズです。
 モチーフを明確にすることにより、衣装デザインだけではなく作品の方向性がはっきりと提示され、より子どもたちにテーマが伝わるようになり、売り上げにも貢献しました。
 この成功を受け、以降のシリーズも「魔法つかい」「ごはん」「アイドル」などといった明確なモチーフを掲げていくこととなるのです。
 同作は「プリンセス」の名の通り、物語全体が“気品ある雰囲気”で彩られています。
 変身シーンや決め技のせりふなど要所で四隅にレース模様があしらわれる演出、パンチが当たると花びらや星が舞う華やかなエフェクト、バイオリンの合奏、全寮制のノーブル学園を舞台にした設定、決めぜりふが「ごきげんよう」だったり、舞踏会風のエンディングだったりと細部にまで「ノーブルな雰囲気」が徹底された作品でもありました。
●プリンセスブームの中で示した新たな「プリンセス像」
 「私は……プリンセスになりたいの!」(「Go!プリンセスプリキュア」第1話から)
 「Go!プリンセスプリキュア!」放送当時の2015年。
 女の子向け作品を見渡すと「アイカツ!」や「プリパラ」などの女児向けコンテンツの大隆盛、そして何より「アナと雪の女王」の大ヒットを背景に、大きなプリンセスブームが巻き起こっていました。
 そんな中、「Go!プリンセスプリキュア」はあえて「プリンセス」を前面に押し出しました。
 しかし、同作で描かれた「プリンセス」は、それまでのお姫様のイメージとは異なりました。
 主人公、春野はるかをはじめとした登場人物たちが、ひたすらに夢に向かい努力を重ねていく姿を描くことにより、「血統」や「出自」によるお姫様ではなく、「強く、優しく、美しく」あろうと努力する姿勢、輝く魂こそが「プリンセス」である、としたのです。
 子どもたちに「プリンセス=王族のお姫様」ではなく「生き方としてのプリンセス」を提示し、子どもたちのプリンセスの価値観を広げた作品となったのです。
●夢と絶望は表裏一体
 「そう、絶望は消せない。絶望はどこにでもある。今までもずっと、辛い事は沢山あった。でも、それをなかった事になんて、できない。ううん、なくしたくない!」(「Go!プリンセスプリキュア」第50話より)
 また、同作は「夢」がテーマとなっています。
 プリキュア4人の「夢」がストーリーの軸となり、随所で4人の「夢の在り方」が描かれました。
 しかし、それは単に「夢を持つことは良いこと」みたいな夢のプラス面だけではなく、「夢をかなえることの厳しさ、絶望との向き合い」などの夢の厳しい面も丁寧に描き切ったことも、同作の大きな特徴となっています。
 その象徴的な言葉として同作で提示されたのが「夢と絶望は表裏一体」です。
 それが描かれたエピソードとして第50話での「クローズ」との最終決戦が挙げられます。
 敵キャラの一人である「クローズ」は、当初はイチ敵キャラでしたが、最終的にはラスボスにまでなり「絶望」の象徴として描かれます。
 クローズに対峙するのは「キュアフローラ・モードデュオローグ」。
 「夢があるから絶望が生まれる」と語るクローズに対し、「そんな絶望もまた成長のために必要なこと」とするキュアフローラ。
 そして「絶望は決して消えない」と叫ぶクローズにキュアフローラは、「だからこそ夢も消えない。絶望がある限り、夢も輝き続ける」と応じます。
 「絶望を排除するのではなく受け入れたうえで、それでもその先にある夢を見続ける」
 そんなキュアフローラに「絶望の象徴」クローズは戦い続けることの無意味さを悟り、戦場を後にして物語は幕を閉じるのです。
 このキュアフローラとクローズの最終決戦で描かれたのは、「夢は楽しいだけではなく、必ず絶望もある」ということ。その上で「絶望を排除するのではなく受け入れる」こと。
 そして、「“夢と絶望は表裏一体”ということは、つまり絶望の先には必ず夢がある」という夢の捉え方でした。
 「夢」をテーマとした子ども向け作品において、表現から逃げずに夢のプラス面もマイナス面も描き切ったうえで、「それでも夢を見続けよう」ということを子どもたちに伝えたのは本当に真摯(しんし)な姿勢だったのだと自分は思います。
 また、この「違うからこそ排除するのではなく、違うまま共存する」という考え方は、後のプリキュアシリーズにも受け継がれていくことにもなっていくのです。
●Go!プリにおける「夢」と「ともだち」の関係性
 「自分で決めた夢だもん! 痛いのも苦しいのも、全部受け止めて! 私は、プリンセスになる!」(「Go!プリンセスプリキュア」第39話から)
 同作に登場する4人のプリキュアたちは、それぞれが自分自身の夢を持ち、それに向かって進んでいきます。
 同作の夢に対する姿勢で印象的なのは、「夢は自分の手でかなえるもの」という描かれ方です。
 例えば、海藤みなみ(キュアマーメイド)は、夢を途中で変えることになります。
 「夢は途中で変更しても良い」ことを子どもたちに伝えたうえで、その夢の変更の決断はあくまで自分自身で行い、友達はそれを見守り支えるという描き方をしました。
 また、一度は諦めかけたトップモデルの夢のため、パリ行きを決断する天ノ川きらら。何よりも絶望から再びプリンセスになるために立ち上がる春野はるか。
 どのプリキュアたちも、それぞれが自分の夢を持ち、その夢を信じて自らの足で進んでいきます。友達はその決断を支え、勇気付ける存在として描かれていました。
 個の強さと、支え合う優しさが「Go!プリンセスプリキュア!」で描かれた夢と友達の関係性でした。
●七瀬ゆいの物語。プリキュアになれなくても
 そして同作において、忘れてはいけない存在が主人公・春野はるかのルームメイト「七瀬ゆい」です。
 彼女はプリキュアをサポートする女の子で、プリキュアに変身することはできません。
 しかし彼女は、最終的にプリキュアの力を借りずに、自らの力で絶望の檻から脱出し、「強い心があれば、プリキュアでなくても夢はかなえられる」ということを子どもたちに伝えました。
 プリキュアに助けてもらわなくても、プリキュアがいなくても、プリキュアになれなくても、あなたは夢をかなえることができるんだよ、としたのです。
 最終話は、彼女の夢の結晶である「絵本」によって物語が締めくくられます。そのことからも同作での彼女の存在の大きさが分かりますよね。
●「表現の呪縛」からの解放を
 製作関係の面に目を移すと「Go!プリンセスプリキュア」は、表現面でもシリーズの新たな方向性を示しました。
 プリキュアで長らくタブーとされてきた「水着表現」を取り入れるなど、プリキュアシリーズが「いつの間にか縛られていた表現の呪縛」からの解放を図りました。
 「プリキュアはシリーズが長く続く中で“道徳的な側面”が期待されるようになり、無意識のうちに表現の幅が狭まっていた」と製作陣は語ります。
 「Go!プリンセスプリキュア」は水着表現をはじめとした「プリキュアの表現」を見直すきっかけとなり、以降のシリーズにも大きな影響を与えていくことになるのです。
田中 『プリキュア』シリーズは、女児アニメの概念に捉われないものとして始まったにもかかわらず、長くやっているうちに『プリキュア』のほうが、“女児アニメのスタンダード”と見なされるようになっていて、いつしかその内容に道徳的な側面まで期待されるようになりました。それはとてもありがたいし、名誉なことでもあるんですが、それに委縮して、これまで無意識にすごく表現の幅を狭めていたことがありました。水着はまさにそのひとつの象徴だったんです。
(学研ムック『Go!プリンセスプリキュア オフィシャルコンプリートブック』P78)
●売り上げの苦戦、後半は大回復。
 ただ「Go!プリンセスプリキュア」の関連商品の売上は、開始当初は苦戦します。「前作の半分程度しかとれていない」(『月刊トイジャーナル』2015年4月号 P70)」と言及されるほどでした。
 しかし後半はストーリーの評価とともに、子どもたちへのキャラクター人気も広がり、大きく盛り返します。
 最終的には玩具業界誌で「未就学女児キャラクターナンバーワン復活を印象付けた」とまで言及されるシリーズとなり、商業面での復活を印象付けました。
 前作「Go!プリンセスプリキュア」は立ち上げ当初こそ低空飛行がつづいたものの、夏休み商戦をきっかけに復調基調に転じ、年間を通した売り上げでは前作を上回る結果に。特に昨年末商戦での躍進は、流通にも未就学女児キャラクターナンバーワン復活を印象付けたのではないだろうか。東京玩具人形協同組合『月刊トイジャーナル』2016年2月号(P9)
●レッツゴー、プリンセス
「ありがとう・・・。あなたが夢見てくれたから、私、今、こんなにも幸せだよ。レッツゴー、プリンセス」(「Go!プリンセスプリキュア」第39話から)
 「プリンセス」の意味を大きく広げた同作。
 「プリンセスになること」そのものが夢なのではなく、「強く、優しく、美しく」あることを目指して、自分の意志で未来を切り開いていく姿勢こそが「プリンセス」であること。
 10年たった今でもファンの間で「Go!プリンセスプリキュア」が愛されている理由。
 それはこの作品が、夢を持つすべての人の背中を押してくれるからだと思うのです。
 夢を見ることは、時に苦しくて絶望することもあるけれど、それでも、それでも、その夢を信じ歩み続ける姿を、この作品は丁寧に描き切りました。
 だからこそ、今も多くのファンの心に残り続けているのだと思うのです。
 当時見ていた人も、まだ見たことのない人も、この10周年の機会に同作を振り返ってみてはいかがでしょうか?
 おそらく、ひとたび見始めたら、その面白さに最後まで見続けてしまうことでしょう。
 —— お覚悟はよろしくて?
(C)ABC-A・東映アニメーション
●著者:kasumi プロフィール
プリキュア好きの会社員。2児の父。視聴率などさまざまなデータからプリキュアを考察する「プリキュアの数字ブログ」を執筆中。2016年4月1日に公開した記事「娘が、プリキュアに追いついた日」は、プリキュアを通じた父娘のやりとりが多くの人の感動を呼び、多数のネットメディアに取り上げられた。

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