宇野昌磨が引退前に元コーチに打ち明かした葛藤「オリンピックへのこだわりはなかった」
2024年7月18日(木)8時0分 JBpress
文=松原孝臣 撮影=積紫乃
引退会見も「らしい」
今も昔も、向ける眼差しは変わらない。
「らしい会見だったなと思いました」
穏やかな、優しい笑顔で語るのは樋口美穂子だ。
宇野昌磨がフィギュアスケーターとして本格的にスタートを切ったのは樋口が指導者として籍を置いていたグランプリ東海クラブに入ったとき。以来、2019年に宇野がグランプリ東海クラブを卒業するまで一貫して、樋口は宇野の指導にあたってきた。競技用のプログラムの振り付けもすべて樋口自身が手がけ、大会に帯同し、宇野の喜怒哀楽をみつめてきた。その後も折々に言葉を交わすなど途切れることなく交流は続いている。
長年、樋口が見守ってきた宇野は、5月に現役からの引退を発表。その後、開いた記者会見での様子を「らしい」と樋口は表す。
引退そのものについては、発表以前から把握していたという。
「世界選手権の1カ月ぐらい前だったかな。報告をいただきました」
と、樋口は振り返る。
「昌磨が決めることだから、何か思ったというよりは、ほんとうに素直に受け取った感じでした」
ある意味、予感するものはあったかもしれない。2022−2023シーズンの全日本選手権後に宇野と偶然出会った際、「今、楽しい?」と言葉をかけたという。
「演技を見て、気になっていたのでかけました」
葛藤を感じ取っていたからにほかならなかった。
それでも同シーズンを世界選手権連覇とともに全うし、2023−2024シーズンを駆け抜けた。
その間には、宇野の決断を予期させるやりとりもあった。グランプリファイナルのときだ。同時に行われるジュニアグランプリファイナルに指導する上薗恋奈が進出していたこともあって、樋口も開催地に赴いた。
「飛行機などで話をする機会がありました。NHK杯のあとだったので、その話をすると『僕はいいんですけど……』みたいなことを言っていましたね」
そして宇野はこう語っていたという。
「『自分的にはちょっと休みたい』と言っていて、『1年休んだりすると、オリンピックに出るのもなかなか難しいよ』と話しました。『分かってるんですよ。今シーズンで終わりだと思って、残り3カ月頑張ろうと思っています』といった話をしていました」
シーズンが進む中にあって、葛藤は常にあったことを示唆している。
葛藤がありつつもシーズンの各大会で見せる宇野の演技に、樋口はこのような印象を抱いていた。
深みが生まれた演技
「前はもっとがむしゃらなところもあったけれど、演技力に深みが出てきたな、と思っていました。すごく上手な選手もいます。でも、年齢的なものもあるのかな、比べてみると、昌磨の演技には深みがありました」
葛藤を抱えつつ過ごしていた中でも進化を続けていたことを物語っていた。それこそ宇野の真骨頂であることを樋口の次の言葉が示していた。
「ふつうだったら、葛藤を抱えていればもやもやした感じになってしまうかもしれません。でも、遠い先のことを考えたりしないで、今、このときを精一杯頑張るタイプだから、演技力の深みも生まれたのかもしれません。今を精一杯頑張る姿勢は、教えていた頃と変わらないですね」
懸命に自身のスケートと向き合い続け、理想を追い求め、迎えたのが最後の大会となった世界選手権だった。
「もちろん、テレビで観ていました。ショートプログラムは素晴らしかったですね。 フリーはかみあっていない感じはしました。あの子は自己分析に長けているから、自分の中でも分かっていたと思います。その中でも、いつもそうですけどできる限りやる、 最後まであきらめない、 そういう姿勢が伝わってきました」
そののち、引退が発表されたとき、惜しむ声も相次いだ。最後となったシーズンでも深まっていく演技を見れば、そうした声が出るのも自然ではあった。
2026年にミラノ・コルティナオリンピックが控えている中での引退であることを踏まえ、惜しむ人もいた。
ただ、樋口は言う。
「昌磨にオリンピックへのこだわりはなかったですね」
そして2018年の平昌オリンピックの話をした。宇野にとって初めてのオリンピックであり、銀メダルを獲得した大会だ。
「メダルが決まったとき、私はすごい喜んでいたんですね。でも彼はそうでもないんですよ。キスクラで足をぶらぶらさせていて。本人的には、すごいいい出来だったわけじゃない、でも先生が喜んでいるからいいか、みたいな感じでしたね。オリンピックだからどう、とか、強い思いはなかったと思います。オリンピックだからというこだわりはないけれど、人のため、というか、私が喜んでいることに満足しているような感じでした」
さらにこう続ける。
「今回の引退にしても、あと2年経てばオリンピックであっても、それに関係なく、自分で考え、区切りとしたということですね」
長年、宇野を指導し考え方や姿勢を知り、ここ数年の葛藤をも感じ取ってきた樋口だから、引退という決断も自然に受け入れられたのだろう。
樋口は宇野の指導にあたっていたグランプリ東海クラブから2022年に独立。新たなクラブを立ち上げ、指導の日々を送っている。その中にも宇野との時間は生きていると言う。(続く)
樋口美穂子(ひぐちみほこ) 山田満知子コーチのもとでフィギュアスケーターとして活躍し1981年の全日本ジュニア選手権2位、全日本選手権出場などの成績を残す。二十歳で引退し、山田のもとでコーチとなる。2022年世界選手権で優勝しオリンピックでも2大会連続メダルを獲得した宇野昌磨をはじめ数々の選手を育てた。2022年3月、「LYSフィギュアスケートクラブ」を創設、指導にあたっている。振り付けも数多く手がけている。
筆者:松原 孝臣