だから共産党アレルギーは消えない…党首は女性に交代、政策も悪くないのに、共産党が怖がられる根本原因

2024年2月5日(月)10時15分 プレジデント社

第29回共産党大会であいさつする田村智子氏=2024年1月18日、静岡県熱海市 - 写真=時事通信フォト

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日本共産党のトップが23年ぶりに交代した。「野党共闘」にはどんな影響があるのか。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「共産党の綱領に書かれた政策の大半は、他の野党の主張と重なる。目指す社会像は野党各党の間で、かなり共有されている。だが、異論を『指導』で抑えてしまう政党文化には問題がある」という――。
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第29回共産党大会であいさつする田村智子氏=2024年1月18日、静岡県熱海市 - 写真=時事通信フォト

■初の女性党首、23年ぶりの委員長交代


1月18日に4日間の日程を終えた第29回共産党大会は、田村智子氏の委員長就任という「23年ぶりのトップ交代」が大きく注目された。102年の党の歴史で初の女性党首が誕生したことは、率直に歓迎したい。


だが、トップ交代という大きな節目にもかかわらず、党大会が共産党の新たな時代を切り開いたとは感じられなかった。むしろ、この20年あまり「現実・柔軟路線」を掲げ、他の野党と「共闘」しつつソフトイメージを構築し、政権参画の可能性さえ視野に入れてきた流れから一転、組織が大きく「先祖返り」しているように思えた。


長い歴史を持つ日本じゅうの組織で現在起きていることかもしれないが、共産党も党内で「伝統的価値観」と「新たな価値観」のせめぎ合いが生じていると感じる。党勢が低迷すればするほど、伝統的価値観が強く前面に出てきて、時代の変化に対応できなくなってしまう。そんな苦しい現状を感じさせる党大会だったと思う。


■過去には「たしかな野党」で党勢拡大


少し歴史を振り返ってみたい。


1990年代初めの選挙制度改革によって、他の野党が二大政党の一翼を担うべく再編に明け暮れるなか、共産党は「たしかな野党」をうたい、こうした動きから距離を置いてきた。自民党と、かつて自民党政治のど真ん中にいた小沢一郎氏率いる新進党の「保守二大政党」状態だった90年代半ばには、共産党が「総与党化への唯一の対抗勢力」として、党勢を拡大したこともあった。


■政権も視野に入れた「現実・柔軟路線」へ


だが、97年に新進党が解党し、翌年に菅直人氏率いる民主党が「民主中道」を掲げて野党第1党となると、共産党は徐々に立ち位置を変化させていった。「たしかな野党」から脱却し「野党陣営の一員として政権の選択肢となる政党」に向かおうとしたと言える。


こうした「現実・柔軟路線」を牽引したのが、当時委員長だった不破哲三氏だった。この年の夏の参院選で民主党が勝利し、参院で野党が多数となる「ねじれ国会」が誕生すると、共産党はその後の臨時国会の首相指名選挙で菅氏に投票。不破氏は「しんぶん赤旗」のインタビューで、他の野党との「暫定政権」への参画に言及した。


2000年の党大会で不破氏は議長となり、書記局長だった志位和夫氏が委員長に就任した。基本的には志位氏も、前任の不破氏の路線を引き継いだ党運営をしていたと思う。


2017年10月8日に東京都の新橋駅前SL広場での志位和夫(写真=Garam/CC-BY-2.0-KR/Wikimedia Commons

同党はこの党大会で規約を改定し「社会主義革命をへて日本に社会主義社会を建設」などの表現を削除した。04年には綱領を改定し、自衛隊や天皇制を「当面容認」する考えを打ち出した。民主党への政権交代を目前に控えた09年、志位氏は記者会見で、民主党政権への対応について「『行動する是々非々』という立場で対応する」と述べた。


■21年衆院選の敗北直後から起きた「反動」


2017年の衆院選直前に野党第1党の民進党(民主党から改称)が分裂し、枝野幸男氏が立憲民主党を結党した時は、共産党は全国67の小選挙区で候補者の擁立を自主的に取り下げ、立憲を側面支援した。「野党第1党が消える」非常事態とはいえ、党内手続きを重視する共産党が、瞬時の「政局的判断」を行ったのだ。


そして21年の前回衆院選。共産党は「野党共闘」を前面に出し、立憲民主党などと「限定的な閣外からの協力」という政権合意を結んだ。街頭にはためく同党ののぼりには「政権交代をはじめよう」の文字。立憲民主党が「変えよう。」の表現にとどめるなか、共産党の「前のめり感」がやたらと目についた。


だが、この衆院選で共産党は公示前議席を減らす結果に終わった。この直後くらいから、党の内部にある種の「反動」が始まったように思う。衆院選の敗北を受け、影を潜めていた原理主義的な考えが、一気に浮上したように筆者には思えた。


■「折れすぎている」ことへのベテラン党員の不満


実は同党の「現実・柔軟路線」に対し、戦前からの苦しい時代を乗り越えてきた党の歴史を長い間学習しているベテラン世代の党員は、必ずしもしっくり来てはいなかったのではないか。他党に「折れすぎている」とのフラストレーションは、「共闘」を批判する外野より、もしかしたら内部にこそあったのかもしれない。


一方で同党には「現実・柔軟路線」の下、選挙による民意の付託を得て政界入りした中堅・若手の国会議員や地方議員も少なくない。彼らは他党ともフランクに付き合い、SNSなどを通じて自分の言葉を持ち、党外の有権者とも対話のチャンネルを持つ。55年体制当時の同党にはあまり見られなかった存在だ。


両者の間に微妙な認識の違いが生まれていたのではないだろうか。そのことを感じさせるきっかけになったのは、他ならぬ田村氏だった。


■共産党内に流れる不穏な空気


2010年初当選、当選3回の田村氏は、どちらかと言えば「現実・柔軟路線」の下で育った世代のはずだ。田村氏は政策委員長時代、21年衆院選での党の退潮について「野党としての共産党ならば、スルーした問題が、政権に関わる存在になった時、全く異なる不安になるのでは?」などとツイッター(現X)に投稿して党内で問題視され、これを削除した。


筆者はこの衆院選での野党陣営「敗北」の理由が、共産党との「共闘」戦術にあるという立場はとっていないが、田村氏の発言は、当時の野党議員のものとして自然に受け止められるものだ。この程度の発言が問題視される党内の空気に、筆者はかすかな危惧を抱いた。


その危惧は今回の党大会で、田村氏自身によって確信に変わった。委員長に就任した田村氏は、党首公選制の導入を著書で訴えた党職員の除名問題に関し「排除ではなく包摂の論理の尊重を」と発言した大山奈々子・神奈川県議に対し「発言者の姿勢に問題がある」などと、厳しい言葉で延々と非難した。発言は党員の間に衝撃を生み、SNSでは今なおさまざまな声が飛び交っている。


■「上から国民を染め上げる」組織文化は健在


筆者には非難された大山県議が、かつての田村氏自身と重なって見えた。


ツイッターで発言した田村氏と、党大会での田村氏。前者の方が実像に近いのではないかと思う。昨年、週刊誌の企画で自民党の野田聖子、立憲民主党の辻元清美の両氏と「女性リーダーを増やす」ことをテーマに対談した時も、率直な物言いに好感を持った。


党大会で大山県議に対処した田村氏の硬直した姿勢は、そうした印象とはかなり違っていた。田村氏個人というより、大会全体の空気感を体現したものだったと思う。


それは大会決議によく表れていた。驚いたのは、前回(2020年)の大会決議にはなかった「革命」という言葉が、大きく前面に打ち出されたことだ。「不屈性と先見性を発揮し、革命の事業に多数者を結集する」という言葉が、本文どころか見出しに躍っていた。


もちろん、共産党はとうの昔に暴力革命を排除しているし、現在の綱領でも「日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、資本主義の枠内で可能な民主的改革」とうたっている。だが、この言葉からは、上層部が上から国民を「指導」し、一つの方向性に染め抜く組織原理が垣間見える。どうしても統制的な組織文化を想起させてしまう。


前述の大山県議の発言は、こうした党風への違和感の表明であり、それに対する田村氏の姿勢は、結果として上記の「統制的な組織原理」が現存していることを、内外に広く知らしめる形になった。


日本共産党の選挙カー(写真=morinohito68/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

■時代に合わない「政党の体質」は若者にも嫌われる


共産党にとって不幸なのは、こうした組織原理が、同党の目指す政策や政権戦略と合わなくなりつつあることだ。


「ジェンダー平等社会をつくる」「性的指向と性自認を理由とする差別をなくす」「長時間労働や一方的解雇の規制」「企業・団体献金を禁止」「再生可能エネルギーへの抜本的転換」「国民のくらしと社会保障に重点をおいた財政・経済の運営」……。


共産党の綱領に書かれた政策の大半は、他の野党の主張と重なる。目指す社会像は野党各党の間で、かなり共有されている。また、しばしばやり玉に挙げられる「日米安全保障条約の廃棄」については、党自身が「連立政権には持ち込まない」姿勢を明らかにしている。


だが、政策と並んで重視すべきなのが「政党の体質や政治手法」だ。上意下達で統制的、異論に対し「指導」の形で結果的に発言を抑えてしまう政党文化は、人権を尊重し多様性を重んじる社会を目指す姿勢とは相容れない。


共産党が本気でこうした社会像を目指しているのか、姿勢が疑われかねない。近年注目されている「心理的安全性」の概念からも外れており、若い世代にも敬遠されそうだ。国政政党として時代に合っているとは言い難い。


■「新しい支持層」も「他の野党との関係性」も失いかねない


2022年に亡くなった元新党さきがけ代表の武村正義氏が、著書『小さくともキラリと光る国・日本』(光文社)にこんなことを書いていたのを思い出す。


「政界再編の過渡期においては、政党の体質、政治手法が、これまで以上に注目を浴びる。(略)党内の空気がリベラルであるのか、それとも親分子分的であるのか、統制的であるのか。それらを国民がどう感じるか。ここのところも選択の大きな要素となるはずである」


裏金事件に揺れる自民党が国民の支持を失いつつあるのも、政策以上に党の体質や政治手法が嫌われているからだろう。


共産党に限らず、党の低迷期に自らの原点を見つめ直すのは大事なことだ。だが、時代の要請を無視した過剰な先祖返りに走れば、これまでの「現実・柔軟路線」を通じて党への警戒感を解きつつあった「新しい支持層」を手放しかねない。「目指す社会像」をともにできるはずの他の野党との「共闘の再構築」も困難になる。


現在共産党に批判のまなざしを向けているのは、前回衆院選で「立憲共産党」批判を浴びせたような、いわゆる保守層ではない。むしろ、共産党の基本政策と親和性が高く、同党が「共闘」の対象と想定しているような中道・リベラル層(この言い方は好きではないが)であることに思いを致すべきではないか。


■過剰な原理主義に寄りかかりすぎてはいけない


党大会を終えて永田町に戻った田村氏は、大会で見せた硬直性を少し和らげたかにみえる。通常国会初日の26日、各党へのあいさつ回りに臨んだ田村氏は、党大会で「悪政4党」とこき下ろした日本維新の会の馬場伸幸代表に「(裏金事件の)真相究明は国会の責務だ」、国民民主党の玉木雄一郎代表に「力を合わせて政治を変えたい」と呼びかけた。


日本経済新聞のインタビューでも、次期衆院選に向けた「野党共闘」に関し「すべての政策を各党が一致させる必要はない。一致できるところで力を合わせるべきだ」と述べた。立憲民主党の泉健太代表が最近掲げている「ミッション型内閣」と言いぶりはあまり変わらないのではないか。


この柔軟性を維持してほしい。


政党には守るべき歴史も、譲れない基本政策もあるだろう。それこそ多様性の時代なのだから「日米安保条約破棄」をうたう政党もあっていい。


だが、同時に国政政党として、すでに耐用年数を過ぎている自民党政治を終わらせるために、現時点で自らに何が求められているのか、常に考えて行動してほしい。過剰な原理主義に寄りかかりすぎて、日ごとに激動する政治状況を見誤らないでほしいと思う。


大変厳しい道だと思うが、同世代の女性である田村氏が今後、どのように党のかじ取りをしていくのかを見守りたい。


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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。新著『野党第1党 「保守2大政党」に抗した30年』(現代書館)9月上旬発売予定。
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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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