神奈川県警より少ない人数で「広さ世界6位の海」を守っている…超重要組織・海上保安庁の知られざる実態

2024年2月12日(月)12時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/viper-zero

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日本の領海警備や海難救助は海上保安庁が担っている。元海保長官の奥島高弘さんは「神奈川県警より少ない人数で世界第6位の広さの海洋権益を守っている。まだ予算と人員は十分ではないが、中国の脅威などを背景にようやく注目度が上がってきた」という――。

※本稿は、奥島高弘『知られざる海上保安庁 安全保障最前線』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。


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■国土は世界61位だが、総水域は世界6位


日本は、447万km2(国土面積38万km2の実に約12倍)にも及ぶ広大な領海とEEZを有する世界屈指の海洋国家です。国土面積では世界第61位ですが、領海・EEZを含めた総水域面積では世界第6位になります。


では、その広大な海洋権益を守る海上保安庁の予算と人員がどの程度の規模なのかご存じでしょうか。


予算は2431億円(令和5年度予算)、定員は1万4681人です。


海上保安庁では、全国を11の管区に分け、この予算と定員、そして保有する船艇474隻、航空機92機でもって、日本周辺の海上の治安維持と安全確保に努めています(数字はいずれも「海上保安レポート2023」より)。


出所=『知られざる海上保安庁 安全保障最前線

もっとも、このような数字を並べられたところで、その規模感についてはいまひとつピンとこないでしょう。


■予算も定員も海上自衛隊よりはるかに少ない


よく対比されるのは、同じく日本の海を守る海上自衛隊ですが、海上保安庁は、予算も定員も海上自衛隊の規模には到底及びません。海上自衛隊の令和5年度予算は1兆6467億円、定員は4万5141人(防衛省HP「我が国の防衛と予算 令和5年度概算要求の概要」より)であり、航空機の数も倍以上違います。


同じ法執行機関(警察機関)である警察庁と比較しても、定員の面では都道府県警察トップ3の警視庁(4万3486人)、大阪府警(2万1474人)、神奈川県警(1万5703人)には敵いません。第4位の愛知県警(1万3554人)よりは少し多いというくらいの規模です(「令和4年版警察白書」より。都道府県別の警察官の定員数)。


このように比較すると、海上保安庁が役所としてはそれほど大きくない組織だということがおわかりいただけると思います。


とは言え、船艇188隻、定員1万人未満で、航空機もなかった1948年の発足当初と比べれば、海上保安庁の勢力は大きく伸びてきました。それだけ、時代とともに海上保安庁の担う役割が大きくなってきたとも言えます。


■これからは桁違いに予算が伸びていく


実際、令和5年度の予算に関しては、令和4(2022)年12月に決定された新たな国家安全保障戦略を踏まえた「海上保安能力強化に関する方針」に基づき、過去最大の金額及び増額(前年度予算より200億円増)となり、メディア等でも注目されました。


近年の海上保安庁の予算は毎年数パーセント程度の伸び率(20~30億円)で増額し続けてきましたが、令和5年度は実に10%近い伸び率です。しかも、今後も増額される予定であり、令和9(2027)年度当初予算を令和4年度水準の2231億円からおおむね1000億円程度増額することが決まっています。つまり、年平均では200億円の増額となり、これまでとはまさに桁違いに予算が伸びていくというわけです。


出所=『知られざる海上保安庁 安全保障最前線

現時点では、世界第6位の広さのEEZの海洋権益を守っていくには、予算・勢力ともにまだ十分とは言えないのが正直なところですが、今後はそれにふさわしい規模の組織に成長していくことが期待できます。


■有事の際は日本国民の人命を保護する役割


海上保安庁は、海上の安全と治安の確保を図ることを任務とする法執行機関です。密輸や密漁等の海上犯罪の取締りのほか、領海警備や海難救助、海洋環境の保全、航行管制等の船舶交通の安全確保、海洋調査など幅広い業務を行っています。


また、有事(日本に対する武力攻撃等で防衛出動や治安出動が発令されるような事態)の際に、内閣総理大臣が特別の必要があると認める場合には、防衛大臣の統制下に入り、住民の避難・救援といった国民保護措置や、海上における人命の保護等の役割を果たすことになっています。


尖閣をはじめとする近年の安全保障環境の厳しさを背景に政府内部、政権内における海上保安庁の役割や評価は、以前とは比べものにならないほど高まりました。


前述の予算の大幅な増額からもそれは明らかですが、別の角度からその事実を端的に表す指標があります。長官が首相官邸に行く(総理に面会する)頻度です。


ご存じの通り、官邸では日本にとって重要な意思決定が行われています。つまり、重要案件に関わっている役所のみが足を運ぶ場所なのです。


■海保のステータスは格段に上昇している


私が長官秘書をしていた20数年前は、長官が官邸に行くことはほとんどありませんでした。


一方、私が長官在職中は官邸に行くことがけっして珍しいことではなくなり、むしろ普通のことになっていました。また、総理以外の政権幹部等へは、長官のみならず、次長、海上保安監、担当部長、時には課長クラスも含め、頻繁に足を運んでいます。それほど海保のステータスが20数年前と比べて上がったということです。


さらに、海上保安庁は、内閣情報調査室をコアとする内閣のインテリジェンス体制「情報コミュニティ」にもしっかりと参画しています。


この分野で活躍しているのが、海上保安庁のインテリジェンス部門にあたる警備情報課という部署です。同課はさまざまな情報を収集・分析して政策判断に資する働きをしています。現場ではあまり目立たない部署ですが、中央では非常に大きな役割を果たしているのです。


写真=iStock.com/mizoula
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

■世間には実態があまり知られていないが…


世間一般の海上保安庁に対する認知度や評価はどうでしょうか。


前述の海上保安庁の予算や勢力について、講演会などで一般の方に話をすると、よく「イメージしていたよりも意外と規模が小さいんですね」と言われます。


こうした反応に象徴されるように、海上保安庁はまだ多くの国民にとって「名前は知っている(あるいはニュースやドラマ・漫画などを通じて海難救助や領海警備の仕事をしていることは知っている)けれど、実態はあまり知られていない組織」なのでしょう。


これについては海上保安庁側ももっと発信力を強化して、国民の皆様に海上保安庁の実態について知ってもらう努力をしていく必要があると思います。


ただ、海上保安庁に対する世間の関心は、以前に比べて格段に高まっている実感はあります。


実際、私も退職後には「前海上保安庁長官」ということで、多くのマスコミから取材依頼を受けました。マスコミの関心はイコール国民の関心事です。それほど海上保安庁の考えや動向が国民的な関心事項になってきたのだと思いました(私が若かった頃の海上保安庁は、海上自衛隊と間違われるのが関の山というくらい超マイナーな組織でした)。


その一方で、海上保安庁に関するさまざまな“誤解”が世間に広がってしまっているという実感もあります。


■「海保を軍事機関にすべき」論は正しいのか


たとえば、近年散見されるようになったのは次のような意見です。


「外国のコーストガード(沿岸警備隊)は一般的に軍事機関かそれに準ずる組織だ。しかし、日本の海上保安庁は非軍事の警察機関(法執行機関)だ。これは世界標準から見るとガラパゴス化している。海上保安庁を軍事機関(あるいは準軍事機関)にしなければ、中国の脅威にも対抗できないし、有事の際に自衛隊やアメリカとの連携もうまくいかない」


こうした意見には実はいくつか重大な誤解が含まれているのですが、一見もっともらしい内容なので、安全保障に関心が高い人ほどこうした意見に賛同しやすい傾向があるように思われます。


また、こうした意見を主張される方が決まって言及するのが海上保安庁法第25条(以下「庁法25条」)に関してです。


■「庁法25条」を削除しても非軍事性は変わらない


庁法25条というのは、海上保安庁の非軍事性を明確に規定しているものであり、次のように書かれています。


「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」


海上保安庁を法執行機関から軍事機関に変えるべきだと主張する人たちの多くは、この庁法25条を削除すべきだと訴えています。すなわち、「海上保安庁法にこんな条文があるから海上保安庁を軍事機関にできない」さらに、「日本は世界から取り残されガラパゴス化している」という意見すらあります。ちなみに、庁法25条は「もう一つの憲法9条」とも呼ばれているそうです。


しかし、これも大きな誤解です。


庁法25条は、1948年の海上保安庁設立当初から存在する、海上保安庁の非軍事性を確認した規定です。これは本来当然のことを念押しする形で確認する、いわゆる「入念規定」であり、たとえこの規定がなくても、実は海上保安庁の非軍事性に変わりはありません。そもそもの話ですが、海上保安庁法に定められた任務や所掌事務の規定から見ても、海上保安庁が非軍事の法執行機関であることに疑いはありません。


■平和国家である日本ならではの最適解


つまり、庁法25条が存在しているがゆえに海上保安庁は軍事活動を禁じられているわけではなく、仮に庁法25条を削除したところで、海上保安庁の法的性格が変わる(法執行機関ではなくなる)わけでもないのです。庁法25条の存否のみを問う類の議論はナンセンスだと思います。


もちろん、領海警備を軍事機関が行うべきか、法執行機関が行うべきかという政策的な議論自体は国家の安全保障のあり方を左右する大変重要なものです。それを議論することに意味がないと言っているわけではありません。実際、「領海警備は国家の主権を守るものなので、法執行機関が行うのは適当ではない。軍事機関が行うべきだ」という主張もありますし、軍隊が領海警備の任務を担っている国もあります。



奥島高弘『知られざる海上保安庁 安全保障最前線』(ワニブックス)

しかし、そうした国と同じようなやり方で、海上保安庁を軍事機関化して領海警備をすることが日本に適しているのか、国益にかなうのか、と言われると、私は疑問に思います。


日本は、国家間の紛争解決の手段として戦争を放棄している平和国家です。


また、法の支配に基づく「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の実現を主導的に推し進めている国でもあります。


そんな日本の立場からしても、軍事機関ではない法執行機関が領海警備を行うことは最も適した対応であり、非常に大きなメリットがあると私は考えています。


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奥島 高弘(おくしま・たかひろ)
第46代海上保安庁長官
1959年7月7日生まれ。北海道出身。北海道小樽桜陽高等学校を経て、82年に海上保安大学校を卒業する(本科第28期)。海上保安官として警備救難、航行安全等の実務に携わり、政務課政策評価広報室海上保安報道官、根室海上保安部長、第三管区海上保安本部交通部長、警備救難部警備課領海警備対策官、警備救難部管理課長、総務部参事官、第八管区海上保安本部長、警備救難部長などを歴任する。2018年7月31日、海上保安監に就任。20年1月7日、海上保安庁長官に就任し、22年6月28日に退任。現在は、公益財団法人 海上保安協会 理事長を務める。趣味は絵画鑑賞、ワイン、旅行、読書。
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(第46代海上保安庁長官 奥島 高弘)

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