「妻子と3人暮らしで月給36万円、ボーナス・手当なし」子どもの人気職業「研究者」の知られざる経済事情

2024年4月23日(火)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyonntra

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日本の若手研究者を取り巻く課題や不遇な状況は、ニュース等で取り上げられることも多い。宇宙物理学研究者の武田紘樹さんは「強調して伝えたいのは、研究は最高に楽しいということ。『研究者が悪い』や『国が悪い』などというふうに、短絡的に善悪を決めたいわけではない。ただ今の日本の制度は、研究者に家庭がある状態を考えた設計になっているとは言い難く、私は対話がしたいし、みんなに問いかけたい」という――。
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■はじめに伝えたいこと


毎年、子供の将来就きたい職業にランクインしている「研究者」。しかしながら、実際に研究職についた人の実態を知っている人はあまり多くないのではないでしょうか。人類の知識の境界を広げるべく、日々研究に励む研究者の背後にはどのような現実があるのでしょう。


この記事では、研究者のキャリアパスと若手研究者の待遇を、筆者の体験をもとにお伝えできればと思います。


読み進めていただく前に、一点断っておきます。このような話題は「研究者vs国」の対立構造に落とし込められてしまうことが多いですが、この文章はそのどちらも批判するものではありません。研究の分野によって事情は変わってきますし、「不遇な研究者が可哀想」といった、あるあるの記事を出したいわけではないのです。


「研究者が悪い」や「国が悪い」などというふうに、短絡的に善悪を決めたいわけではなく、さまざまな背景を持つ読者のみなさまに、私が感じていることを伝えることで、議論が起きればいい。そうやって様々な意見が飛び交うことで、本記事が日本の研究者の働き方や生活をできるだけ良い方向に向かわせる助力になればいい――。そう思っています。


より良い研究環境が構築するためのアイデアや意見を収集するプラットフォームに、本記事がなれば幸いです。


■「研究者」とは


研究者の仕事は、研究で新たな知識を生み出すこと。この国でも、たくさんの研究者が新たな発見を求めて日夜研究に勤しんでいます。


写真=iStock.com/BENCHAMAT1234
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研究者には大きく分けて、2種類います。ひとつは、大学などの研究機関で学術的な研究に取り組む研究者。もう一方は、企業で研究職として働く研究者です。


この記事では、前者の学術研究職(アカデミア)に絞った説明をすることにします。


通常、アカデミアの研究者になるには、大学院で博士号の学位を取得する必要があります。学位とは学問を修めた称号のことです。


■「アカデミア」の倍率は数十倍から100倍も


研究者のキャリアパスには様々な道がありますが、ここでは典型的だと思われる、私も辿ってきた道をご紹介します。


大学を卒業後、大学院入試を経て大学院に進みました。大学院では2年間の修士課程において、行った研究を修士論文としてまとめて提出し、審査会を経て修士号の学位を取得します。


さらに研究を続けたい人は3年間の博士課程に進み、博士論文の提出と審査会を経て博士号の学位を得ます。この時点で27歳前後になります。


博士号取得後に民間の企業に就職する人もいますが、アカデミアを志望する人は「ポスドク」というポジションで転々としながら、任期のない助教や准教授、教授を目指すことになります。「ポスドク」とは博士号を取得したあとに、大学や研究所で正規のポストに就くことなく、研究職を続ける期限付きの研究者のこと。日本語では「博士研究員」と呼ばれます。


写真=iStock.com/kazuma seki
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ポスドクも助教や准教授、教授も、基本的には公募によって選ばれます。分野や条件によりますが、待遇の良い「ポスドク」公募の倍率は数十倍、助教や准教授、教授は100倍にも及ぶことがあります。


特に私の専門領域である理論物理学、中でも素粒子・原子核・宇宙理論の領域では公募数がかなり限られています。博士号を持つような能力を有する若手研究者が、その数少ない椅子を争うしかないことから、その過酷な道のりを想像いただければと思います。


■最高クラスの待遇が月給36万円は高いか、安いか


研究者も人間なので生活があります。ここでは若手研究者の経済面について見ていきたいと思います。


大学院生は研究活動をしますが、学生なので授業料を支払う必要があります。国立の大学院の場合、国立大学と同様に入学金がおよそ28万円、授業料が年間約54万円です。


欧米では大学院生が給料を得ながら研究を行う制度が確立されていますが、日本ではそのような制度は一般的ではありません。そのため大学院生には、親から経済的な支援を受けたり、奨学金を借りたりすることで生活を維持している人が多くいます。


しかし、最近は日本でも、大学院生が経済的な自立を図りながら研究に専念できるような「支援制度」が用意されてきており、中でもフェローシップなどの給付型の奨学金制度では、自身の経歴や研究計画などを記した申請書による審査に通過した限られた学生は月15~20万円の収入を得ることができます。


この中で、アカデミアを志望する博士課程の学生は、最終年度に国内外の大学や研究機関の「ポスドク」公募に応募することになります。


ここで無事合格した後ですが、ポスドクの任期は通常2~3年です。そのため、任期が切れる最終年度になると「これに通らなければ、来年の仕事がないかもしれない……」という緊張感の中、本業の研究と並行して、次のポジションにエントリーするための書類を、数十枚、多い人で100枚近くも出します。このサイクルが、腰を落ち着けて研究や教育活動に専念できる任期なしのポジションに着くまで続きます。


日本では、大学の任期なしのポジションは年々削減されており、100倍以上にも及ぶ高倍率の選考を通過するまでこのサイクルがずっと続くのです。ポスドクの給料は、制度や予算などに依存して変わります。


目安は、国内のポスドクの月給は36万円(ボーナスなし、通勤・家賃・健康・育児介護等の手当無し)です。この待遇は、若手研究者にとって、競争に勝ち抜いた結果得られる最高クラスの待遇なのです。


研究者の就活では給与や待遇面を、事前に公開されないことが多く、合格をもらった後でも、こちらから頼み込まないと給与などの待遇を明かしてくれないということが多々あります。


■はじめてのポスドク生活を経て


筆者は、2021年に博士号を取得し、今年度で初めてのポスドクの任期を終えます。国内ポスドクの給与は、地方の単身一人暮らしであれば問題なく生活できると言えるのかもしません。一方で、家庭があると事情は大きく変わってきます。


私には妻と子供が一人います。先ほど紹介したように、若手研究者は2、3年の任期付きの職を転々とする必要があるため、生活の拠点が定まりません。そのため、家庭がある場合、夫婦一緒に生活しようと思うと、配偶者も2、3年おきに仕事を変える必要が出てくるのです。実際私の妻も2人で話し合った末に、大手企業を辞めて、今はパートの仕事を渡り歩いています。


家庭があると、単身者に比べて住宅面でも譲れない条件が出てくると思います。基本的に交通費の補助や家賃手当などはないので、家庭があることで発生する追加の負担は、全て自己負担する必要があります。


一番の課題は、このような基盤の安定しない生活がいつまで続くか分からないため、研究者だけでなく、アカデミアの事情に詳しくない配偶者も相当なストレスを感じるということです。私自身は厳しい競争を覚悟の上でアカデミアの道に残りましたが、家族がいる状況で「この書類が通らなければ、来年の職はないかもしれない」と考えながら、研究の合間を縫って書類を書く期間は精神に相当応えました。


妻は常に私を励ましてくれていましたが、相当なストレスを感じていたようで、何度か将来のことを巡って口論になりました。妻も事情を理解し、覚悟していたとはいえ、実際に子供が生まれるとなったときに、改めてボーナスや手当が一切ないのが標準的である現実や、目の前の不安定な暮らしがいつまで続くのか分からないということを、書類を書く僕の背中から感じ取り、不安が増したようでした。


現在の日本の「ポスドク」の制度は、家庭がある状態を考えた設計になっているとは言い難いというのが、実際に「ポスドク」生活を経験した僕の感想です。


■それでもアカデミアを目指すワケ


同じ研究職でも、大手企業の研究職を目指せば、好待遇な求人も少なくありません。実際に家庭の事情や考えから、ポスドクを辞めて民間就職するのはよく聞く話です。では何故、企業の研究職ではなく、アカデミアキャリアを選ぶ研究者が少なくないのか。


企業の研究職は、会社の利益になる研究テーマに限られるところが特徴だと思います。アカデミアでは利益を出す必要がないので、純粋な興味から研究を進めることができるのです。


特に理学など、すぐに利益を生み出すことが難しい分野の研究をつづけようと思うと、必然的にアカデミアを目指すことになると思います。


企業で私がしているような「理論宇宙物理」の研究を、社員にやらせても、会社の利益にはならないですからね。


では、優秀な研究者全員が企業就職を目指し、アカデミアを目指す人がいなくなったら、日本全体にとって、どのような損失があるのでしょうか。そのように聞かれたことがありますが、このあたりは“社会がどう考えるか”が大きいかと思います。


私たち研究者側からアピールすべきことでもあると思うのでお答えすると、自由な発想に基づく「多様な研究力」は、社会や国の発展の基盤となるはずです。


短期で還元される利益など、目先の確実性を優先すれば、学術研究は蔑ろにされるでしょうが、多様性を保った蓄積が未来の発展には不可欠なのです。一度失われた技術や知識は、欲しても、絶対にすぐには回復してくれないので。


社会全体として、そんな先のことまで構ってられないほど苦しい状況なのであれば、学術研究が後回しになるのは仕方のないことなのかもしれません。一方で、本当にそのような状況に陥っているのだとすれば、物質的にも思索的にもおしまいかと思います。


■「研究は最高に楽しい」


SNSも活発な今、ポジティブな情報よりも、ネガティブな情報の方がうんと伝わりやすいです。


だからか、世間で研究者について語られるときは、研究生活の魅力よりも研究者の人生に付きまとう困難の方にしばしば焦点が当てられます。


強調して伝えたいのは、研究は最高に楽しいということです。世界中の研究者との議論を通して、まだ誰も知らない「何か」を発見したときの喜びは、何物にも変え難いものがあります。


ここまでに投資した学費、時間を考えると決して良い待遇とは言えないのにもかかわらず、現在進行形で毎年多くの若者が研究の道に進んでいるという事実がこれを裏付けているでしょう。


同時に、研究を続けたい気持ちがあるのに、恋人や家族のことなど、研究以外の要因を考えたときに、アカデミアへの道を諦めるしかなかった優秀な友人・先輩もこれまでにたくさん見てきました。


研究は国や国民などの支援者によって支えられています。


それに限りがある以上、「研究がしたい」と志願をすれば誰でも好待遇で迎え入れればいいというものではないでしょう。研究の世界に競争が必要であることも事実です。


重要なのは、研究者とそれを支援する側(国や大学、社会)が建設的な対話をすること。そして、利用可能なリソースを最も有効に活用する方法を模索することではないでしょうか。


リソースを増やさずとも、お金の使い方や働き方、雇用方法などのあらゆる面で、「こうしてほしい(研究者やその家族の生活を尊重してほしい)」という研究者側の意見は、私が大学院に進む随分前から言われていますし、メディアでも取り上げ続けられています。それでも変えられない“明確な理由”があるのであれば、それはなぜか? を研究者に提示してほしい――。


そのように私は考えていますが、ここまで読んでいただいたみなさんはどう思われますか? 何が一番の問題で、どうすることが改善、解決に繋がっていくのでしょうか。


研究者が生きるために働きやすい環境を即応的に構築することは、研究者を助けるだけでなく、これから新しい叡智を切り拓く若者や子供たちのために必要なことだと思っています。


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武田 紘樹(たけだ・ひろき)
宇宙物理学研究者
京都大学大学院理学研究科 物理学・宇宙物理学専攻 物理学第二分野 天体核研究室 日本学術振興会特別研究員PD。専門は宇宙物理学、特に重力波物理学・天文学。近著は『広大すぎる宇宙の謎を解き明かす 14歳からの宇宙物理学』。YouTubeチャンネル「4コマ宇宙」を運営。
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(宇宙物理学研究者 武田 紘樹)

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