大地震と豪雨災害に見舞われた能登半島もソメイヨシノが満開に…不肖・宮嶋が見た“被災地の春”

2025年4月24日(木)7時0分 文春オンライン

 不肖・宮嶋、能登半島に戻って参りました。昨年秋の豪雨災害取材以来やから半年間も足が遠のいていたことになる。能登の民が昨年正月早々降りかかった震災とその直後の津波にいかに立ち向い克服していったか、この目で見て、愛機で記録せんと、またまたやってきたのである。しかし、能登の民を襲った悲劇はそれだけではないのである。



撮影 宮嶋茂樹


ようやく能登に訪れた春


 昨年秋、やっとやっと、復興の兆しを見せ始めた奥能登に今度は豪雨とその後の山津波が襲い掛かったのは、以前紹介させてもろた通りである。正月の震災からなんとか立ち直り、商いを再開したばかりの商店に、不便な避難所からやっと移り住んだばかりの仮設住宅に濁流が容赦なく襲い掛かり、我が家で留守を守っていた女子中学生はじめ16名の無辜の民の命と1500戸以上の平穏な生活を奪い去ったのである。わずか9カ月で、復興半ばで、再び天災に襲われた能登の民の絶望感は察するに余りあり、あまたの修羅場を目の当たりにしてきた不肖・宮嶋も言葉を失ったほどである。


 さらにそれから半年である。再び時折しもそんな能登にも遅れていた春が訪れる。不肖・宮嶋もすでに還暦過ぎ、あと何度、桜花を拝めるのか不安に駆られたわけではない。「残り少なくなった」カメラマン人生、いまからでも少しでも美しいものを、それを愛でるたくましい能登の人々を見、愛機で記録せんがためにもやってきたのである。


 帝都では散り始めた桜花が能登では満開を迎えつつあり、石川県が誇る名勝「兼六園」には石川県中の、いや国の内外からも多くの観光客が訪れた。その半分……はちとオーバーか……いや同じアジアの民も入れたら半分くらいは外国人観光客やなかろうか、桜をいや美しい自然を愛でる気持ちは国籍、人種、宗教を問わん、はずである。不肖・宮嶋も老体に鞭打ち、さらに能登半島奥に向かい、歩みを進めるのであった。


「のと鉄道」沿線の桜は満開に


 思いおこせば昨年元日夕刻、M7.6の地震とその直後の津波に襲われた能登半島は電気・上下水道・ガス・通信とすべてのインフラを絶たれ文字通り極寒の闇に包まれ、人々は絶望のどん底にあった。しかし、それからわずか3カ月の後、新学期や入学式を迎えた新入生らを学び舎に無事送り届けんと地元の足、「のと鉄道」は奇跡的に復活を果たした。それはまさに獅子奮迅の働き、故郷をなんとか復興させんとまさにその一念で不眠不休で働き続けたのである。その結果昨年に続き、今年もその沿線では桜が開花し始め、この時期満開を迎えたのである。


 特に「ソメイヨシノ」約100本咲き乱れる「能登さくら駅」の異名をとる「能登鹿島駅」とその周辺には地元の衆や鉄道ファンのみならず、多くの観光客が駆けつけ、その美しさに感嘆の声を上げ、夜になってもライトアップされた夜桜目当てのファンまで現れ、笑顔と歓声が絶えることはなかった。


 その人気たるや週末には能登半島を周回する国道249号線が能登鹿島駅に向かう車で大渋滞……いや全然動かんくらいなのである。輪島方面から向かっていた不肖・宮嶋なんぞ、車で駆けつけるのをそうそうにあきらめ、となりの西岸駅に駐車せざるをえんかったくらいである。


 不肖・宮嶋、「撮り鉄」「乗り鉄」なんぞという言葉がなかった頃より、鉄道写真に触れてきた自負もある。なにせ、幼少のころより、写真に親しみ、箸より先にカメラを手にし、そのころのメインの被写体が近所の山陽本線を走っていた鉄道やったのである。プロのカメラマンになった今も被災地にいても鉄道を見ると“撮り鉄”の血が騒ぐ。


 能登鹿島駅のホームは満開を迎えた週末の土曜日の4月12日、数少ない晴れの日ということもあり、文字通り立錐の余地もないほど老若男女が集い、そぞろ歩いていた。「花より団子」とばかりに木造駅舎の並びには団子や綿菓子、粉もんの屋台が立ち並び、そこで焼くイカの香ばしい匂いが立ち上り、その煙がホームにまで漂い、人々を誘っては、駅舎下の海辺にまで霞がかかるほど繁盛していた。


 子どもたちが団子をほおばりホームを飛び跳ねだす。母親たちが危ないから走っちゃダメと串をくわえたまま追いかける。老夫婦は桜吹雪に足を止めその巨木を見上げては、今度はお互い見つめあう。そして桜の花は皆を笑顔にする。


 我が家が津波や土砂崩れに飲まれ、いまだ不便な避難所や仮設住宅暮らしを強いられる住民もおられれば、仕事どころか全財産を、家族すら失った方もいる。皆辛かったこれまでの15カ月以上に渡る日々を、またこれからの生活の不安を、桜を愛でることでほんのひと時とはいえ、忘れ、これからの活力にすることができるのである。


 翌日からは天候は悪化する予報である。この美しい日本の春を一日でも長く、1人でも多くの人に見てもらおうと、誰が用意したのか照る照る坊主がそこかしこの枝に吊り下げられていた。


穴水駅から離れると、そこは瓦礫の山が平地の荒野に変わっただけ…


 しかし、のと鉄道の現在の終着駅、穴水より半島を奥に進むにつれ、状況は一変する。確かに震災前と同じというわけにはいかんが、道路事情は改善しとる。週末の能登鹿島駅周辺だけである。渋滞しとったんは。沿岸部の瓦礫の山も低くなった……というより、瓦礫の山が平地の荒野に変わっただけ、いまだゴーストタウンと化したまま。沿岸部から急こう配の山間部に入っても、いたるところで林道は崩落したまんま、大型車両も入れず、住民の帰還を拒みつづけている。


 そんな激甚被災地にも花は咲く。まるで震災や豪雨災害で出た瓦礫や廃材を肥しにするがごとく健気にたくましく咲き誇る。しかし、そこに集う住民は誰もいない。笑顔も見えない。歓声の代わりに耳にとびこんでくるのは重機のうなりやダンプのエンジン音ばかりである。皆震災と豪雨災害の後かたづけにと、日々生きていくことで精一杯、この桜を愛でる余裕は持ち合わせていなかった。


 再び時折しも能登半島で桜が満開を迎えた週末の4月13日、石川県内各地に置かれていた避難所すべてが閉鎖され、そこで長く住み暮らして最後の1人になっていた住民も仮設住宅に移っていった。たとえ自宅とは比べもんにならんほど不便な避難所生活でも住み慣れた地で、知り合いも多い地元にとどまることすらもはや叶わんのである。


撮影 宮嶋茂樹



INFORMATION


能登へ
—写真家たちが写した能登半島地震、豪雨災害—
令和6年元日に発生した能登半島地震。同年9月、今度は非常な豪雨が被災地を襲った。 写真家たちはカメラを抱え行くとと鳴く能登へ通った。相次ぐ被災に翻弄されながらも、懸命に生きる優しき能登の人たち…。
不肖・宮嶋が撮影した作品も本写真展で展示されます。


会期:令和7年4月29日(火・祝)〜令和7年5月6日(火・振休)
開場:午前10時から午後5時(最終日は午後3時まで)入場無料
会場:きんしんギャラリー(金沢市南町3番1号 南町中央ビル2F)北國新聞会館隣り
主催/合同会社notophoto(代表・頼光和弘)
協力/朝日新聞社、産経新聞社、中日新聞社、共同通信社、吉川護氏、宮嶋茂樹氏、澁谷敦志氏(順不同)



(宮嶋 茂樹)

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