小学校卒で首相、母親には「もう早く帰れ!」と…23年間支えた秘書が明かす、田中角栄の意外な素顔
2025年5月2日(金)7時0分 文春オンライン
「リーダーに相応しい人」として必ず名前が挙がるのが田中角栄元首相(1918〜1993)。尋常高等小学校卒という異例の学歴で、47歳で自民党幹事長、54歳で首相に登り詰め、日中国交正常化を実現した。そんな彼を23年間秘書として支え、長く政治を見てきた朝賀昭(あさかあきら)氏が明かす、田中角栄の素顔とは。
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朝賀昭が見た田中角栄(キング・オブ・政治家)
スポーツの世界でたとえると、オヤジは「キング・オブ・アスリート」と呼ばれる、十種競技のチャンピオンでしょう。演説力、リーダー力、政策立案力など、政治家に必要なあらゆる素養を兼ね備えた人でした。

その一丁目一番地にあたるのが「愛と情念」です。
何といっても、故郷・新潟への愛。暮らしに困った地元の人が陳情に来ると、「ああ、君はあの川の脇の、雑貨屋の孫か!」などと言って歓迎する。大豪雪地帯で暮らす人々の生活を、一番に優先するのが、オヤジの政治家としての原点でした。
秘書への情も深かった。深夜国会が続く時期には、「ほら、君が居たってやることないから、もう早く帰れ!」と、お母さん秘書を先に帰らせていました。子どもが家で待っていることを、ちゃんと覚えているんですね。そうした細かいところに、物凄く気配りや思いやりがある方なんです。
自民党も社会党もあるか
そして、愛する日本という国の未来を、オヤジほど考えていた人もいないと思います。
例えば、昭和27年、オヤジが道路整備の財源に関する法案を、超党派で共同提案したときのこと。当初は渋っていた社会党の佐々木更三氏に、「馬鹿なことを言ってるんじゃない! 自民党も社会党もあるか! 皆で力を合わせて日本を復興するのが、政治家の仕事じゃねえか!」といって説得してしまったんです。
北方領土問題にしても、ソ連の最高指導者ブレジネフと会って、その存在を認めさせたのはオヤジです。ただ、それ以降まったく進んでいないのは残念です。拉致問題も、一向に解決の糸口が見えてきません。
オヤジが生きていたら、きっと、今の政治家たちに向かって越後弁でこう言ったことでしょう。
「お前たち、何やってんだ! もうちっと頑張ってくれや!」
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このコラムは、いまなお輝き続ける「時代の顔」に迫った『 昭和100年の100人 リーダー篇 』に掲載されています。
〈 「相手から名刺をもらわない。理由は…」秘書が明かす、田中角栄の人間味にあふれた知られざる一面 〉へ続く
(朝賀昭/ノンフィクション出版)