宮城県東松島市に青いこいのぼり600匹、震災で亡くした家族の思い出を祭りに「誰かの希望になるように」

2025年5月5日(月)11時34分 読売新聞

「こいのぼりが誰かの希望になるようにしたい」と語る伊藤さん(東松島市で)

 東日本大震災で犠牲になった子どもたちを追悼する青いこいのぼりが「こどもの日」の5日、宮城県東松島市の矢本海浜緑地公園駐車場に揚げられる。弟の律ちゃん(当時5歳)ら家族4人を亡くした同市職員の伊藤健人さん(32)が震災直後のこどもの日に始め、今年で15回目となる。伊藤さんは「亡くなった弟や子どもを思うだけでなく、こいのぼりが希望を与えられる存在になってほしい」と願う。(小池由記)

「現実と受け入れられなかった」

 高校2年生だった伊藤さんは仙台市内のスタジオでバンド練習中、揺れを感じた。家族とは連絡が取れないまま、翌日に東松島市に戻ったが自宅にはたどり着けず、友人の家で避難生活を送りながら家族を捜した。数日後に再会できた父の伸也さん(59)らと遺体安置所を訪ねると、律ちゃんが横たわっていた。

 体に傷はなく、まるで眠っているようだった。「現実と受け入れられなかった」。母の智香さん(同45歳)、祖父の盛雄さん(同75歳)、祖母のキセさん(同)の遺体も相次いで見つかった。

 全壊した自宅で思い出の品を捜していると、庭のがれきの中から、泥まみれになった青いこいのぼりを見つけた。毎年こいのぼりを揚げるのが家族の恒例行事だった。青いこいのぼりを指さし、「僕のこいのぼり」とはしゃぐ律ちゃんが浮かんだ。

「ようやく心が動き出した感じがした」

 漠然とした不安に襲われ、「何かに熱中しないとおかしくなりそうだった」。3歳から始めた和太鼓によるコンサートを開こうと思い、和太鼓プロデューサーに相談すると賛同してくれた。「青いこいのぼりプロジェクト」と名付けてインターネットで呼びかけると、全国から約200匹のこいのぼりが届いた。2011年5月5日、自宅前にこいのぼりを飾り、和太鼓の演奏会を開いた。「ようやく心が動き出した感じがした」。震災から1年後の3月11日にもこいのぼりを揚げた。

 16年からは市職員として働きながらプロジェクトに関わってきたが、続けることへの重圧も感じるようになった。20年には弟の広夢さん(当時23歳)をバイク事故で亡くし、どん底に突き落とされた。22年、プロジェクトの共同代表に「一度距離を置きたい」と打ち明けた。

「100年続く祭りにしたい」

 精神状態も不安定になり、1か月休職したが、次第に後悔するようになった。「弔いのために始めたのに、ひどいことをしてしまった。これまで支えてくれた人たちも裏切ってしまった」。23年から再びプロジェクトに関わり、追悼しながら子どもたちが楽しんでくれる祭りとして開催してきた。

 5日は午前10時15分から約600匹のこいのぼりを揚げ、13組が和太鼓などを演奏する。伊藤さんは「様々な世代が交流する場として、100年続く祭りにしたい」と話している。

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