強盗多発でも警備員は“サボり”、寝床は“鉄製扉の緊急退避室”に…前駐ナミビア大使が明かす「大使のお仕事」のリアル

2025年5月8日(木)8時0分 文春オンライン

「大使」と聞けば、「パーティー」「高級ワイン」などを連想する方も多いかもしれない。しかし、世界を広く見渡せば、日々の生活を送るのにも苦労の連続という大使も少なくない。


 小さな島国に駐在する大使は「生鮮食品の確保が大変。たまに島に野菜が届くと、スーパーで奪い合いが起きる」と語る。別のお酒が飲めない体質の大使は、重要な人物との会合で無理やり酒を勧められ、人目につかないよう会食場とトイレを往復したという。


 2022年5月から今年1月まで駐ナミビア大使を務めた西牧久雄氏も、そんな苦労を重ねた一人だ。



西牧大使はシャングラ保健・社会サービス大臣らとともに、令和3年度補正予算・国連人口基金(UNFPA)案件で支援したカゼトジンディレ・アンジェリカ・ムハルカ妊産婦待機施設を訪問し、妊婦が同施設滞在中に使用する食料品を贈呈した(撮影者:山田書記官)


在留邦人のうち約3割が強盗被害に遭った経験を持つ


 ナミビアはアフリカ南部にある。ドイツ植民地から南アフリカの支配を経て1990年に独立した。南アフリカ支配時代からの反アパルトヘイト勢力の影響から、しばしば「ジェンダー平等大国」として取り上げられる。ただ、実情は婚外子やシングルマザーが多く、社会的な課題が山積している。貧富の差に加えて、失業率が若年層で約5割と高く、刃物や銃などの武器を使った強盗事件が多発している。ナミビアの在留邦人は40人ほどだが、うち約3割が強盗被害に遭った経験を持つ。


 安全が脅かされているのは、首都ウイントフックにいる外交団も同じだ。ドイツが整備した首都は一見立派だが、危険があちこちに潜んでいる。ジョギングや映画館通いも危なくてあきらめた。大使館や公邸にいるからといって、安全とは言えない。安心できるのは、母国から警備担当の海兵隊員を派遣する米国くらいだという。西牧氏の場合、警備会社と契約して大使館と大使公邸に24時間体制で警備員を派遣してもらっていた。


警備員が仕事をサボってダブルワーク


 西牧氏はある夜、2人の警備員がきちんと仕事をしているのか不安になり、深夜にこっそり確認に出かけた。


 公邸を取り囲む外壁近くの警備小屋で椅子に座る人影が見えた。でも、人影は動く気配がない。近づいてよく見ると、棒に警備員の帽子と服を引っ掛けた案山子のようなものが置いてあった。西牧氏は「警備会社が給料を中抜きした結果です」と説明する。「警備員はそれだけでは食べていけないので、ダブルワークをしていたのです」。西牧氏はこの警備員を解雇したが、同じ警備会社から別の警備員を派遣してもらうしか方法がなかったという。


 実際、外交団を襲う強盗が後を絶たなかった。西牧氏の駐在中、ある中東の国の大使は大使公邸で深夜に5〜6人の強盗団に襲われた。娘さんとともに緊急退避室に逃げ込んで難を逃れたが、サロンのドアは破壊され、テレビ、ビデオなど多くの家財道具を奪われた。南米某国の大使は連続して2回も公邸で強盗団に襲われた。縛り上げられ、指を切断する怪我も負ったという。


 西牧氏は万が一に備え、扉が鉄製に強化された緊急退避室でいつも寝ていた。


停電・断水、夜は窓も開けられず…地方出張での苦労


 地方はもっと大変だ。北部のカプリビ回廊地方では、雨期になると川が増水して、あちこちの未舗装道路を覆いつくす。そこにワニが入り込んで、通学途中の子どもが襲われる事件が後を絶たない。地方では子どもが片道3〜4時間かけて歩いて通うのが一般的だ。西牧氏が親しかった教育省副大臣に、「スクールバスを用意できないのか」と尋ねると、「私も往復8時間かけて通った。予算がないから無理だ」と言われたという。


 地方出張で泊まったあるホテルでは、バスタブに蛇口が取り付けられていなかった。別のホテルでは停電・断水に遭い、汗も流せずに寝るしかなかった。バケツの水で用を足した。北部地域ではマラリアが流行している。蚊を警戒して窓も開けられず、暑くて結局眠れなかったという。地方ではレストランの数も限られる。朝食はともかく、夕食を出さないホテルも多い。西牧氏は出張の際、いつも用心して飲料水とリンゴ、パンを持参した。


政治的なアパルトヘイトはなくなったが…


 アフリカ初体験の西牧氏だったが、「知らなかったアフリカ」を目の当たりにした。


 南アフリカと同じように、ナミビアでももうアパルトヘイトはないと思っていた。確かに政治的なアパルトヘイトはなくなったが、現地では白人富裕層が富を独占していた。富の偏在で居住区域も事実上、分断されている。黒人の子どもが通う学校は、木をそのまま柱にしてブリキを壁代わりにしていた。青空教室も多かった。ところが、ウイントフック市内にあるドイツ人の学校は鉄筋コンクリートで、体育館は壁にクッション材を張り、冷暖房完備だった。


「大使なんて毎晩高級ワインを飲みながら、社交を楽しんでいるんだろう」という一部の世評をどう思うのか。


「私の大使生活は、汗まみれホコリまみれの記憶が大きいです」(西牧氏)


外交官になった以上、どんな国でも行くべき


 地方で経済協力の式典に出れば、砂埃が舞う灼熱のなか、式典会場は粗末なテントというありさまだった。国歌斉唱のため、君が代のCDを持参したが、電気が通っていない。仕方がないので、アカペラで大声を張り上げて君が代を歌ったことが何度もある。唯一の気分転換は、公邸の庭にやってくるコザクラインコやキジなどへの餌付けぐらいだった。


 最近、外務省では残業手当が100%出るようになった。西牧氏が若手だったころは25%が上限だった。最近は、東京にいても残業時間次第で、海外手当に近い給与が支給されるため、瘴癘度(ハードシップ)が高い国に行きたがらない外務省職員も増えているという。西牧氏は「私は外交官になった以上、どんな国でも行くべきだという考えです。ナミビアの生活も大変でしたが、まったく知らなかったアフリカの姿に出会えて幸せでした。より厳しい条件の国々で勤務する同僚には頭が下がります」と話した。


(牧野 愛博)

文春オンライン

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