悠仁さまご成年と父・秋篠宮さまの“本音”「大学は東京以外でも、海外でもいい。下宿暮らしでも…」
2025年5月8日(木)12時0分 文春オンライン
大学は東京以外でも、海外でもいい。下宿暮らしでも——そう考えていたという秋篠宮。息子のキャンパスライフにも、父としての希望がある。一方、悠仁さまには“タイムリミット”が……。
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決して忘れられない、悠仁さま誕生の感激
その日、私は東京・赤坂のTBSテレビのスタジオにいた。秋篠宮さまと親交のある人間として、秋篠宮妃紀子さま出産にあたっての緊急報道特別番組に出演するためだ。2006年9月6日午前8時27分、悠仁さまが誕生した。体重2558グラムの元気な赤ちゃんだった。皇室に男子が生まれたのは父親の秋篠宮さま以来じつに41年ぶりとあって、国民の喜びはひときわ大きく、スタジオにも歓喜の波が押し寄せていた。

あの日の感激を、決して忘れることはできない。それだけに、悠仁さまが成年皇族の仲間入りを果たし、3月3日、立派な記者会見が行われたことに、特別な感慨を抱いている。
自分の長所について、素直に答える悠仁さま
「長所は興味のあることを徹底して追求することができるところだと思います。言い換えると心惹かれるものに対して、没頭できるということです」
会見の映像を見ながら私は、悠仁さまが自分の長所について「心惹かれるものに対して、没頭できる」と、素直に答えた部分がとても印象深かった。自分が興味あるもの、好きなものに熱中する性格は父親譲りだと思えたからである。続けて悠仁さまは、
「ただこれは、見方を変えてみますと、短所と捉えることもできます。それはときとしてこだわりを持ち過ぎてしまうということです」
と説明したが、こうした言い方も秋篠宮さまに似ている。物事をプラスとマイナスの両面から見て、より客観的に、より慎重に対処しようとする姿勢が秋篠宮さまにはある。
父親譲りの茶目っ気
また悠仁さまは、
「幼稚園の時にはヘビを捕まえて先生に渡そうとしたら、驚かれてしまったということもありました」
とも話した。こうした茶目っ気のある性格もまた、父親譲りではなかろうか。
スーツにネクタイ姿の悠仁さまは随分、大人びた印象だった。落ち着いて堂々と、一語一語、丁寧に答えていた。初めての記者会見とは思えないしっかりとした受け答えに、私はとても驚いた。18年間、手塩にかけて育てたかいがあったと、秋篠宮ご夫妻はさぞ満足したことだろう。
41年ぶりの男子皇族
「皇室典範」には、《皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する》とある。女性皇族は天皇となる資格はなく、結婚と同時に皇室を離れて民間人となってしまう。
どこの家庭でも男女の別なく、子どもが生まれることはとてもうれしい。しかし、天皇皇后両陛下の長女、愛子さままで、じつに9人も連続して女性皇族ばかりが誕生した皇室は、存続の危機に直面していた。41年ぶりの男子皇族として生まれた悠仁さまによって、皇室は当面の大きな危機を脱したのだ。そう考えると、悠仁さまは生まれた時から強運の持ち主だと思わずにはいられない。
私は秋篠宮さまとの34年間の交際を通じて、悠仁さまに対する教育方針やその成長の過程を垣間見る幸運を得た。将来の天皇である悠仁さまがどのように育てられたのか。それは、国民の関心事でもある。今回の成年会見を機に、改めて振り返ってみたい。
私は、幼い頃の悠仁さまに会ったことがある。秋篠宮さまからは“ゆうゆう”、姉たちからは“ゆっぴー”と呼ばれていた頃のことだ。
悠仁さまを見て、目元がゆるむ紀子さま
悠仁さまは10年4月、お茶の水女子大学附属幼稚園に入園したが、その翌年だったと思う。私は、秋篠宮邸の庭が見える部屋で秋篠宮さまと歓談していた。しばらくすると、紀子さまが悠仁さまを連れて部屋に入って来た。
その場には、当時20代前半だった私の長男が同席していた。じつは長男は、お茶の水女子大附属幼稚園の卒園生である。紀子さまは幼稚園の先輩にあたる私の息子から、悠仁さまと一緒に幼稚園時代の話を聞きたかったのかもしれない。
しかし、悠仁さまは元気いっぱいだった。見知らぬ大人が2人もいるものだから余計に照れくさいのか、椅子やテーブルの脇をすり抜けて部屋の中を駆け回り、少しもじっとしていなかった。秋篠宮さまは走り回る悠仁さまを目で追うだけで、少しも叱らなかった。目元はゆるみ、その光景を楽しんでいるようにも見えた。ついに紀子さまが抱きとめ、
「よおく、考えてみましょうね」
と、諭した。悠仁さまは一度はおとなしくしたものの、しばらくするとまた母親の手をすり抜け、室内を走り出した。せっかくの機会だったが、とても落ち着いて幼稚園生活の思い出を話し合う状況ではなかった。
今でも折に触れ「かわいい」と
悠仁さまが小さい頃、私は秋篠宮さまに「どんなときに、悠仁さまが大きくなったなと感じますか?」と尋ねたことがある。秋篠宮さまからは、笑顔でこんな答えが返ってきた。
「抱っこしたときですね。ずしりと重い手ごたえを感じた瞬間に、成長したなと感じます」
「私は息子の頭やほっぺたをなでるのが、とても好きなんです」
悠仁さまは、秋篠宮さまが40歳の時に生まれた。それだけに秋篠宮さまは、眞子さんや佳子さまの子ども時代よりも、心に余裕をもって悠仁さまに接しているようだ。秋篠宮さまは悠仁さまがたくましく成長した今でも、折に触れて「かわいい」と口にする。だが、甘やかしているのとは違う。悠仁さまがとても愛おしく、かけがえのない存在であるという表現がより相応しいように思う。
秋篠宮さまの教育方針
皇位継承順位第2位の悠仁さまに対し、秋篠宮さまはどのような教育方針を持って接しているのか。以前、秋篠宮さまに聞いたことがある。返事はこうだった。
「私は皇族としてというよりも、まずは1人の人間としてどう育つかを大切にしたい。なによりも人として立派に成長することを願っています。同時に自分の立場を自覚し、自分の個性というものを伸ばしていってほしい。人としての常識を持ち、正直であり誠実である。人への思いやりや感謝の心を忘れないようにしてもらいたい」
1歳11カ月の悠仁さまが手にしていたのは…
悠仁さまの“個性”を考えるうえで「原点」というべき写真がある。08年8月、秋篠宮ご一家が静養のため栃木県にある那須御用邸に滞在した折の写真で、1歳11カ月の悠仁さまが手にしているのはトンボだ。
この年の11月には、秋篠宮さまの誕生日会見に同席した紀子さまが、こう明かしている。
「夏ごろからでしょうか、庭にいる小さな虫、バッタやカマキリなどを見つけて上手に捕まえて、手で持ったりまた袖に乗せたりしてよく観察しておりました」
つまり、2歳になる前から悠仁さまは昆虫や自然などが好きで、既にトンボやバッタなどを上手に捕まえ、観察していたのだ。
〈 「あの時、出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性が…」秋篠宮さまが洩らされた“紀子さまとの出会い” 〉へ続く
(江森 敬治/週刊文春 2025年3月13日号)