「あの時、出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性が…」秋篠宮さまが洩らされた“紀子さまとの出会い”

2025年5月8日(木)12時0分 文春オンライン

悠仁さまご成年と父・秋篠宮さまの“本音”「大学は東京以外でも、海外でもいい。下宿暮らしでも…」 〉から続く


 大学は東京以外でも、海外でもいい。下宿暮らしでも——そう考えていたという秋篠宮。息子のキャンパスライフにも、父としての希望がある。一方、悠仁さまには“タイムリミット”が……。



悠仁さま


◆◆◆


根気強く記録を続ける姿


 昨年9月、紀子さまが誕生日を迎えた折に発表された文書では、悠仁さまが幼少期からトンボなどの昆虫や植物に興味をもち、研究を深めていく様子が、より生き生きと紹介された。


「小さかった頃、クヌギやコナラの林でカブトムシを探し、その幼虫を育て、烏山椒の葉につくアゲハチョウの幼虫を見つけては観察していました。(略)いつしか、自分の指よりも大きいトンボを手にとり、間近で複眼、翅(はね)や肢(あし)の特徴や、放したトンボの飛び方を観察して『これはなんだろう』『なぜだろう』『どうしてだろう』と昆虫の図鑑で調べるようになりました。(略)あるとき、ヤゴの夜間の行動を、ビデオカメラで記録しようとしていましたが、ヤゴが移動したために思い通りに映像を撮ることができず、試行錯誤を繰り返しながら根気強く記録を続けて、ついに撮影ができたことも心に残っています」


 子供らしい素朴な疑問や驚きから出発し、失敗を繰り返しながら成長する過程がよくわかる。


 一昨年、悠仁さまが関わった学術論文「赤坂御用地のトンボ相—多様な環境と人の手による維持管理—」が話題となった。赤坂御用地のトンボの多様な生息状況などを粘り強くモニタリング調査し、考察した成果の1つだ。このように悠仁さまは、トンボ類の生息環境などに強い関心を持ち、「自然誌」を学ぶため、筑波大学への進学を決めた。1歳後半から現在に至るまで、関心の向きはほぼ一貫していたことになる。


なぜ、トンボに一番惹かれたのか?


 ではなぜ、悠仁さまはトンボに一番、惹かれたのだろうか。


「どうして悠仁さまは虫がお好きなのでしょうか?」


「なぜ、好きなのか理由は分かりません。子どもは昆虫が好きでしょう」


 悠仁さまが小学生の頃、私が秋篠宮さまに素朴な疑問をぶつけた際の答えは、こうだった。


 とはいえ、都会の子どもたちはそう簡単にトンボやカブトムシといった昆虫とは触れ合えない。その点、秋篠宮邸があるのは約51万平方メートルにも及ぶ自然豊かな赤坂御用地だ。こうした環境が、悠仁さまの関心を育むことに大きく寄与したのは想像に難くない。


自然豊かな赤坂御用地


 秋篠宮さまも子どものころ、夏になると、妹の黒田清子さんと一緒に赤坂御用地の林によく虫を捕りに出掛けたという。父である上皇さまが考案した、昆虫の光に集まる性質を利用した捕獲装置を使った。誘蛾灯に誘われ、集まった虫が管を通って下に置いた虫かごに落ちる仕組みで、カブトムシやクワガタ、カミキリムシなどがたくさん捕れた。それを毎朝、清子さんと確認しに行くのだが、清子さんは後々まで、虫を捕りそこなうと秋篠宮さまに叱られるので「それが怖かった」と話していたという。


 前述した悠仁さまが関わった学術論文にも、普段、私たちが目にすることができない池や林といった赤坂御用地の貴重な写真が紹介されている。私の経験でも、秋篠宮邸で懇談している時、カラスの鳴き声がうるさすぎて、秋篠宮さまの声がよく聞こえないことがしばしばあるほどだ。


 御用地内の畑ではニンジンやブロッコリーなどが栽培されており、悠仁さまは小さな頃から、土にまみれながら水撒きをしていた。こうした環境が、ごく自然に悠仁さまを、昆虫や植物、稲作、野菜作りなどが好きなナチュラリストに育て上げたのだと思う。


息子への深い信頼


 悠仁さまは昨年11月、筑波大学生命環境学群生物学類の推薦入試を他の受験生とともに受け、合格した。高校生にとって大学選びは、人生における大きな選択だ。父親である秋篠宮さまは、岐路に立つ息子にどのような思いを抱いていたのだろうか。


 関係者によると、悠仁さまが大学受験で忙しかったころ、秋篠宮さまと悠仁さまが歓談する時間帯は、夜が多かった。


 秋篠宮さまは、東京以外の国立大学も視野に入れていた。秋篠宮邸から通学が難しければ、下宿暮らしでもかまわないという考えで、海外留学の可能性についても否定的ではなかったという。


 ただ、決して親の意見や希望を悠仁さまに押し付けたりはしなかった。それは、


「大学については本人が一番よく理解している」


「本人に任せておけば間違いない」


 という、悠仁さまへの深い信頼があったからであろうと秋篠宮家の知人は見ている。


 さらに大学生活については、学部時代は幅広く教養や知識、学問を身に付けてもらいたい。専門分野を学ぶのは大学院に入ってからでも遅くはない、と考えていた。日本各地や海外にも足を運んでたくさんの人々と触れ合い、広い視野から自分を見つめ直し、考えを深めてほしい、とも期待していたという。


「あの時、出会わなければ…」


 かつて秋篠宮さまがしみじみとこう振り返ったことがあった。


「両親と一緒に暮らすことで、親の姿を見て自然に自分の立ち位置を学ぶことができ、とても良かったと思います」


 きっと悠仁さまも両親の仕事に打ち込む姿から、成年皇族として大切な多くのことを学ぶに違いない。成年皇族として公的な活動と両立させながら、大学時代のみならず、生涯にわたって研究活動を続けてほしいと、私は願っている。


「そう、あの時、出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性があります」


 ある時、秋篠宮さまが私に打ち明けてくれたことがある。1985年5月、学習院大学法学部2年生の秋篠宮さまは、文学部に入学したばかりの紀子さまと大学構内の書店で初めて出会った。その後は結婚に向けて一直線だった。86年6月、学習院大学近くの交差点で、秋篠宮さまが紀子さまにプロポーズした。初めて出会ってから、わずか1年余のことだった。


皇室の大きな課題


 大学のキャンパスには女子学生がたくさんいて、自然な形で出会える。しかし、卒業後、特に宮さまの場合は、マスコミなどの目がうるさく、さりげなく異性と知り合う機会は減ってしまう。そのため秋篠宮さまは、大学生の時に相手を見つけておかないと、結婚はより難しくなると考えていたようだ。


 これから先、悠仁さまは、大学院進学や海外への留学などを視野に入れていることだろう。もちろん、勉学に励むことはとても大事なことだと思う。しかし、多くの国民が悠仁さまに期待することは、別のところにもあるのではないのか。24歳で結婚した父親のように、悠仁さまもまた早く結婚し、幸せな家庭を持つことを望んでいるはずだ。


 秋篠宮さまが結婚した24歳という大きな節目まで、あと6年である。


 拙稿のはじめで触れたように、現在の皇室は、皇族数が減少する傾向にある。さらに、皇位継承者である男性皇族を増やさなくてはいけないという大きな課題もある。


 皇室を安定的に発展させるために、成年となった悠仁さまの果たすべき役割は、決して小さくはない。自分の夢や希望だけではなく、国民の望むところを見据え、それに応え、うまくバランスをとりながら国民と共に歩んでもらいたい。


 先に、悠仁さまは生まれながら強運の持ち主であると書いた。私は、悠仁さまに多くのことを期待しすぎているとは思わない。


(江森 敬治/週刊文春 2025年3月13日号)

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