北海道・鈴木知事の高校時代は「バイト漬け」、両親の離婚で生活困窮・姉は短大中退…「やることがないので掃除をしていたら」

2025年5月9日(金)10時0分 読売新聞

高校の体育祭で旗を持つ鈴木さん

 中学3年のときに「恩師」と呼べる先生とめぐり合い、人生で初めて勉強に取り組んだ北海道知事の鈴木直道さん(44)。晴れて高校に進むと、さらに劇的な変化が待ち受けていた。(読売中高生新聞編集室 真崎公美)

高校入学後のテストでクラス1位に

 「社会科のテストで1回、まあまあ点数が取れたからといって、他の教科も勉強してみようとは思いませんでした。ただ、高校に行くかどうかという分岐点が迫っていて、みんなほとんど行くのだから、高校には行った方がいいかな、という思いはありました。そして、家から一番近くの公立高校を受験することに決め、人生2度目の勉強を始めました。何をすればいいかよくわからなかったので、とりあえず家にあった古い進研ゼミの教材を全部やり、無事に合格することができました。

 高校に入ると、劇的な変化がありました。受験のためにそれなりに勉強したおかげか、それほど学力の高い学校ではなかったこともあって、入学後のテストでクラス1位になったんです。中学までは先生に怒られてばかりでしたが、高校では周りの生徒から一目置かれ、先生からも色々な頼み事をされるようになりました」

 一方、家庭の経済状況はますます悪化していった。

 「校則でアルバイトは禁止されていましたが、私は特別に許可をもらって、高校1年からバイトをしていました。2年生のときに両親が離婚すると、生活はもっと苦しくなります。私は姉とともに母に引き取られ、低所得者向けの住宅に引っ越しました。ボロボロで、すきま風のひどい家でした。母は仕事を掛け持ちし、姉は短大を中退してスーパーで働き始めました。私も高校をやめて働こうと思いましたが、母と姉に高校は卒業するように説得され、学校とバイトの両立を続けることにしました。

 一番ハードだったときは、朝4時に起床し、学校へ行く前に宅配便の配送センターで荷物を仕分けするバイトをして、放課後も夜の9時までスーパーなどで働きました。今、『103万円の壁』が話題になっていますが、私はまさに課税対象者になるほど、バイトをしていました。早朝のバイトを終えてからそのまま学校へ向かうと、体育会系の部活で朝練に来る生徒たちよりも早く着いてしまいます。当時の私は見えっ張りで、その理由を周りには知られたくありませんでした。やることもないので、黒板や棚を掃除していたのですが、先生たちからすれば、模範的な生徒に見えたのでしょうね(笑)。生徒会長への立候補を勧められて当選し、生徒会活動にも力を入れました。今思えば、家庭環境をごまかすために、学校では色々なことを引き受けていたような気がします」

ひとり親に行政の支援は行き届いているか?

 つらく貧しい少年時代の経験から、今、知事として大切にしている考えがあるという。

 「母はいつ寝ているのかわからないほど働きづめだったし、私自身も、精神的にも、肉体的にもつらくて、母に向かって『生まれてこなければよかった』と口にしてしまったこともあるほど、追い詰められていました。そんな状況で、私たちは行政にずいぶんと助けられたと、母から聞かされました。生活に困窮こんきゅうする多くの家庭は、行政に頼るということを考える余裕すらないのが実態だと思います。行政の側から手をさしのべてくれたからこそ、私たちは支援を受けることができました。

 ひとり親家庭の支援制度について、利用率の低さを問題視されることがあります。でも、単にそれを、利用する側の問題として片付けてはいけないと思います。我々、行政の側が、必要な人に必要な情報を届けられていないのではないかということをかえりみるべきです。生きるのに必死な利用者からの申請をただ待つだけではなく、行政が先回りして支援をしなければいけない。自分自身の経験も踏まえ、我々はその努力をし続けるべきだと考えています」

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