「上の階から肉が腐ったような臭いが…」7人が殺害、遺体解体されたマンションの下で聞こえていたおぞましい音
2025年5月23日(金)18時0分 文春オンライン
〈お知らせです。先月28日にママが死去しました。36年休み無しでやって来た店も6月に閉店します。今までご来店いただきありがとうございます。〉
今年の3月2日、私のスマホに冒頭の文章が送られてきた。送り主は、福岡県北九州市にあるカラオケスナックY(仮名)のマスター(64)だ。この文面から、ママ(当時83)が2月28日に亡くなったことがわかる。
殺人と遺体解体の現場となったマンションで営業するスナック
2002年3月、男女に監禁されていた17歳の少女が逃走したことで発覚した「北九州監禁連続殺人事件」。Yは、起訴された案件だけで7人が死亡したこの事件の、殺人と遺体解体の現場となったマンションの1階で営業している店である。

私は23年前に初めて同店を訪ねて以来、幾度もママやマスターには話を聞かせてもらっていた。くだんのママが逝去したとの報せに、年月の経過を感じずにはいられない。
同事件では主犯の松永太(逮捕時40歳)と内妻である緒方純子(同40歳)が、緒方の親族などへの殺人罪(うち1件は傷害致死)に問われ、松永の死刑と緒方の無期懲役刑がそれぞれ確定している。
メディア関係者で溢れかえっていた店内
事件発生を受けて私が現場にやって来たのは、松永と緒方が逮捕された2日後だったが、マンションの入口には警察によって規制線が張られ、警察官が前に立っていた。しかし、マンション1階にあるYの看板には明かりが灯り、営業を行っていた。
店内に入ると、事件の取材にやってきたメディア関係者で溢れかえっていた。当時はワイドショーの隆盛期であり、関東キー局からのクルーの姿が目立つ。そして週刊誌や新聞の記者などもいた。さらにそこに地元の常連客も加わってカラオケを歌うなど、とても落ち着いて話を聞ける雰囲気ではない。
私がYでやっと落ち着いて話を聞けたのは、松永と緒方の逮捕3日後となる、3月10日のことだった。当時は40歳前後のマスターが、カウンター内で応対する。
〈「女の子(監禁されていた広田清美さん=仮名)を見たんは去年(01年)の夏が最後やね。夕方頃に近所をうろうろしよるんを見たことがあるっちゃ。背はかなり小さめで、身長は150ないくらいやないかね。痩せとって、服とかも最近のギャルとかとは全然違う、地味な恰好やったね。暗い感じやけ、一度も笑った顔を見たことがないんよ。なんかいつも俯いとる感じやった……」〉
じつは当時、メディアがこの地に大量に押し寄せていたのは、「北九州監禁連続殺人事件」の発生を受けたからではない。
この時点では松永と緒方による大量殺人は公にはなっておらず、あくまでも、長年にわたって監禁されていた17歳の少女(清美さん)が逃走したことで、加害者の男女(松永と緒方)が逮捕された、との発表を受けたことによるものである。
当時、少女監禁事件として世間の注目が集まっていた
というのも、00年1月に新潟県で、少女が9年2カ月にわたって監禁された事件が発生しており、同事件の一審判決(懲役14年)が、この2カ月前の02年1月に出たばかりだった。その余韻の残る時期に発生した少女監禁事件に、世間の注目が集まっていたのだ。
しかも、松永と緒方はこの時期、黙秘を通しており、本名不詳の「男」と「女」としか発表されていなかった。そのため、逮捕された男女について尋ねた際に、マスターは次のように言う。
〈「どんなって、女の方は普通のおばさんっちゅう感じよ。身長は150ちょっとで中肉中背。地味な恰好で、髪の毛とかは肩につかんくらいの長さで普通やし……。男の方は髪が短めで、身長は170より少し低いくらい。中肉中背でトレーナーとかの恰好が多かったね。なんの商売をやっとるかわからん雰囲気があったけど、見た目はサラリーマン風。警察が確認のために持ってきた写真はスーツ姿で七三分けの髪形の写真やったよ」〉
そう口にしたマスターは、1999年にママが地域の組長になった際、事件現場となったこのマンション30×号室の世帯票を見ていると話す。そこには「橋田由美(仮名)」と「橋田清美」と名が記されており、年かさの由美さんが昭和35年(60年)生まれ、少女である清美さんが昭和59年(84年)生まれだった。後に判明するのだが、世帯票に出てきた橋田由美さんとは、偽名を使った緒方ではなく、実在する少女の父の姉(伯母)の名前である。
「3階から上の階で肉が腐ったような臭いがするようになった」
やがて、Yに60年配のママが顔を出した。そこで彼女が口にしたのは、後に発覚する大量殺人を予見させる内容の体験だった。とはいえ、もちろんこの時点で私を含む報道関係者たちは、事件が大量殺人に進展していくことなど、想像すらしていない。ママは言う。
〈「たしか5、6年前やったんやけど、深夜に1時間くらい、ギーコ、ギーコっち感じで、ノコギリみたいなのを挽く音が上の部屋から響きよったんよね。それで、なんの音かねえっち言いよったら、しばらくしてから、3階から上の階で肉が腐ったような臭いがするようになったの。もう、鼻が曲がるような臭い。その臭いが2、3年くらい続いたかねえ。とくに夏場になるとひどくなったんよね」
私はそのような状況を、住人の誰も問題にしなかったのかと質問した。だがママによれば、「同じ階の××さんが警察に話したが、取り合ってもらえなかった」とのことだった。〉
当該の部屋には少女が住んでおり、肉親か親戚かは判然としないが中年の緒方と同居している。ちなみに、誰もが緒方こそが橋田由美という名前だと勘違いしていた。そうした諸々の事情が周囲の判断を狂わせていたに違いない。ママは続ける。
〈「いつやったかね、たしか1、2年前やったと思うけど、やっぱり階段の2階のところがオシッコでビショビショになっとるときがあってね、そこから大人の男の足痕が上の階に向かっとるのよ。それでね、その足跡が30×号室まで続いとったわけ」〉
そこは松永と緒方のいる部屋である。
大量殺人が徐々に明らかになっていく中で
〈「私が部屋に行ってドアをドンドン叩いたんよ。そしたらね、ドアが開いて、捕まった女(緒方)が顔を出したの。で、『階段にされたオシッコから足跡がこの部屋にまで続いてるんですけど、いったいどういうことですか?』と問い詰めたわけ。その時よ、あの捕まった男(松永)が顔を隠してササーッとトイレに逃げ込んだんよね。で、女は部屋の奥におった5歳くらいの男の子を呼んで、『あんたがしたんやろう』っち、頭をバーンと叩いたんよね。でも足跡は明らかに大人のもんで、私もほんとは納得いかんやったんやけど、さすがにそれ以上は言われんやない。やけ、それでこっちも引っ込んだんよ」〉
Yのママにこの話を聞いた翌日の3月11日、福岡県警小倉北署内に捜査本部が設置された。それは「北九州市小倉北区内における少女特異監禁等事件」捜査本部との名称で、98人態勢によるものだった。じつはこの際に、福岡県警担当記者の多くは、監禁被害者だった清美さんが、実の父親が男女2人に殺害されたと話していることを嗅ぎつけている。
だがそれも序の口に過ぎない。そこから時間をかけて、稀代の大量殺人が、徐々に明らかになっていくのである。そうした流れのなかで、Yのママが何気なく口にしていた言葉が、深い意味を持つようになっていったのだ。
ママが亡くなり、Yは閉店へ
今回、私は冒頭の報せを受け、閉店を決めたYを訪ねている。扉には以下の文言を綴った紙が貼られていた。
〈お知らせ 開店36年を迎えましたが、この度今年6月に閉店する事になりました。いままでご来店いただきありがとうございます。店主〉
私はドアを開け店内に入る。
「おう小野さん、久しぶりやねえ!」
マスターは私の姿を見ると声を上げた。そこまで頻繁というわけではないが、北九州市で近くに来る機会があれば、Yを訪ねていた。そのため、今回も2年ぶりの訪問である。
「まあね、ママも亡くなったしね。これを機会にのんびりしようと思ってね……」
まずお悔やみを告げてから、6月にYが閉店してしまうことに触れると、マスターは明るく言った。聞けば、開店して36年間にわたり、ほぼ無休で店を開けていたという。
〈「いまはもうあの事件についても、知らん人が増えとうからね。店で話題に出ることもほとんどないよ。あの事件が起きて1カ月くらいは、マンションのまわりに警察が規制線を張っとったでしょうが。その頃はお客さんも取材の人がほとんどよ。テレビなんかは、レポーターの人が話し終えたら、小一時間で帰って行くのよ。けど小野さんとか雑誌の人は長っ尻やったね。ずーっと飲んどる。あと、検察の人とかも店に来たねえ。ママに話を聞くためやったけど、警察に話したことの内容が違わんかどうか、一字一句をちゃんと確かめよったね。昼間に4時間か5時間おったんやないかねえ」〉
懐かしそうに語る。ママは事件現場となった30×号室の真下に住んでいた。このマンションの下水システムは、上階から末尾の数字が同じ部屋の下水と合流して下に流れて行くため、ママの部屋は松永らと同じ排水管を使っていた。そこで問題が起きていたそうだ。
下水が詰まった原因は
〈「ママの部屋のトイレが溢れよったんですよ。それで『お前んところはなにを流しよんのか』って、あの部屋に文句を言いに行ったことがあったんです。そんときは玄関に緒方が出てきて、すみませんって謝りよったね。後日、カップラーメンかなにかをごっそり持って、謝りに来たよ。で、それからは収まったんやけど、あの家の女の子が夜遅くにリュックを背負って、ペットボトルを持って出て、公園の公衆便所に流しに行きよったみたいやね」〉
ここで「ペットボトルを持って」との言葉が出てくるが、その中身は、被害者の遺体を解体して肉を茹で、ミキサーで細かくしたものであると予想される。ただし、ママの部屋のトイレが溢れた原因が、それらを流そうとしたためかどうかはわからない。というのも、松永らの部屋から続く排水管などはすべて押収されたが、被疑者の遺体の痕跡は、何ひとつ発見されていないのだ。
「ママの部屋の天井に穴を開けて、配管からなにから確認しよったし、1階の駐車場の床面も剥がして、排水を調べたりもしよったからね。それはもう、徹底的にやりよったよ」
マスターは二十数年前の話を、つい先日の出来事のように口にする。
だが、こうした事件にまつわる生の証言も、間もなく聞くことができなくなるのである。
〈 「人差し指の肉が落ちて骨が…」通電で虐待、浴室で遺体解体…7人が殺害された“事件の現場”に今も住む50代女性 〉へ続く
(小野 一光)