【初めての被災地】愛子さま「受け継がれるバトン」とボランティアへの思い 能登訪問で同行記者がみた2日間

2025年5月24日(土)7時0分 TBS NEWS DIG

5月18日〜19日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが、能登半島地震で被害を受けた石川県を訪問された。公務で被災地を訪問されるのはこれが初めて。被災地訪問は、皇室の重要な務めであると同時に、「日本赤十字社」で勤務される愛子さまにとって、“ライフワーク”ともいえる公務。記者の同行取材を通して見えたのは、上皇さまの代から脈々と続く被災地への向き合い方と、ボランティア活動への思いだった。

地元は“愛子さまフィーバー”

いたるところで「愛子さま」コールが響く。訪れる土地土地で住民が沿道を埋め尽くしていた。どれだけ心待ちにしていたのかがうかがえる。

愛子さまは、2日間の日程で、七尾市・志賀町を訪問された。2024年元日の地震で、震度6強〜7を記録し、災害関連死を含め70人が命を落とした場所だ。発災から1年半が経ち、復興状況を視察するのが今回の目的。愛子さまは、ボランティア受付センターや仮設住宅などを訪問。仮設住宅の集会所では、健康維持のための体操をする被災者らと交流された。

予定外に…「お話ししたいのですがよろしいでしょうか」

1日目、七尾市の仮設住宅で愛子さまが住民の集会所の視察を終えた後のことだった。集会所から少し離れたところで、愛子さまを見送るため、そこで暮らす住民60人が集まっていた。予定では、愛子さまは集会所前の車に乗り、次の訪問先へ行くはずだったが、突然、案内役の七尾市職員にこう尋ねられた。
「あちらの方々とお話ししたいのですが、よろしいでしょうか」
そして、50メートルほど離れた住民たちのもとへ歩み寄り、腰をかがめて、笑顔で一人ひとりとじっくり話された。

愛子さま
「旅館の前も通らせていただいたんですが、再開はまだ21館中5館とうかがいました」
「生活が急に変わると大変でしたね」
「(3歳の女の子に対して)何歳ですか。ピンクが好きなの?」

心に刻まれた瞬間だったに違いない。中には涙を流す人もいた。交流した住民らはこう話す。

地元住民
「復興途中のこの町の姿を見てほしいと思っていた。こういう機会があって良かったと思います」
「ただただ嬉しかった。愛子さまから『仮設住宅に入られて、集会所の体操とか行かれていますか』『お体を大切にしてください』とお声がけいただきました。地震から1年半、辛いことや大変なことも多かったけど、生きていく元気をもらいました」

愛子さまに受け継がれるバトン 皇室と被災地

愛子さまには、学生のころから被災地に並々ならぬ思いがあった。2022年、成年会見の際には。

愛子さま(2022年)
「皇室は、国民の幸福を常に願い『国民と苦楽を共にしながら務めを果たす』ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、認識しております。『国民と苦楽を共にする』ということの一つには、皇室の皆様のご活動を拝見しておりますと、『被災地に心を寄せ続ける』ということであるように思われます」

皇室は、これまでも被災地訪問を大切にしてきた。最愛の人を亡くし、住む場所を失った人たちを励まし、支援にあたる人たちを激励する。国民の悲しみと向き合い、「復興に向け勇気づけたい」という思いで寄り添い続ける。こうした考えは、上皇ご夫妻が重視してこられた。

上皇さまは、退位の意向を示したビデオメッセージ(2016年)で次のように述べられている。

上皇さま
「象徴としての役割を果たすためには(中略)、天皇もまた、常に国民と共にある自覚を育てる必要を感じてきました。こうした意味において、人びとの傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました。日本の各地への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました」

上皇ご夫妻は災害のたびに各地に足を運び、腰を落として目線を合わせ、地元住民に寄り添われた。『平成流』と呼ばれたそのスタイルは、現在の両陛下の被災地訪問にも踏襲された。

そして今回、愛子さまも集会所で膝をつき、被災者一人ひとりに声をかけられた。上皇ご夫妻の『平成流』所作は、孫である愛子さまにも受け継がれているようだ。公務で初めての被災地訪問、記者はその姿を見て、脈々とバトンが受け継がれているように感じた。

“ライフワーク” ボランティアにあふれる思い

今回の訪問では、石川県内で復興支援を続けるボランティア団体との交流が多くあった。ボランティアと言えば、愛子さまが中高生のころから関心を持ち、現在の職務内容にもあたる専門分野。愛子さまは2024年から、日本赤十字社「青少年・ボランティア課」で勤務されていて、復興支援にあたる組織への研修のほか、個人ボランティアの育成なども行っている。愛子さま自身も、泊まりがけで業務にあたられたこともあるという。

金沢大学の学生と交流した際には、「私も仕事でボランティアに携わっていますが、どういう仕組みがあれば(ボランティアが)しやすくなると感じますか」など質問。支援内容そのものだけでなく、人が集まるシステム作りを気にかけられていたのだ。

金沢大学ボランティアさぽーとステーション 間山春太郎 副代表
「すごく実務的なことを質問された。ボランティアに関心があって、どうやってご自身の業務に生かされていくのか、熱意のようなものを感じました」

また、別のボランティア受付会場でも、「“グループごとの活動”というとたとえばどんなものが?」「ご自身で作業道具をもって来られる方もいるんですか?」「冬だとカイロを用意されたりも?」など質問を投げかけられていた。

愛子さまは、勤務先に日本赤十字社を選んだことについて、2024年春、宮内庁を通じて書面で回答を寄せられた。

そこでは、「中高時代の親友が東日本大震災の復興支援に携わっていて、その友人から活動について聞いたこと」「災害ボランティアの姿をニュースで目にして胸を打たれたこと」「大学では福祉に関する授業を履修し、福祉活動への関心がさらに増したこと」などに触れられている。そして、こう続く。

「公務以外でも、様々な困難を抱えている方の力になれる仕事ができればと考えるようになり、大学卒業後は社会に出て、福祉関係の仕事に就きたいという思いを抱くようになりました。両親に相談いたしましたところ、社会のお役に立てるとても良いお仕事なのではないかと背中を押していただき、日赤でお勤めすることを希望いたしました」

父である陛下も、日赤就職について「愛子は『人のために何かできれば』という思いを以前から持っていたように思う」と述べられた。

“ライフワーク”にしてきた災害ボランティア活動。質問を重ねられていた姿から、強い関心を寄せていることが改めてうかがえた。

記者は、愛子さまの所作を2日間近くで見ていて、被災地やそこで暮らす人たちに真摯に向き合われる姿勢を感じた。優しく声をかけたり、寄り添ったりするだけではない。具体的な施策にも触れ、学んできた知識をもとに、目の前の被災者らと一生懸命に話されていた。

帰京翌日、愛子さまは疲れも見せず日赤に出勤されたという。脈々と受け継がれたバトンを手に、これからも、公私で被災地の人たちに思いを寄せ続けるだろう。

TBS 報道局社会部・宮内庁担当 岩永優樹

TBS NEWS DIG

「被災地」をもっと詳しく

「被災地」のニュース

「被災地」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ