「不思議な国」に魅せられ来日、神道文化にのめり込み神職に…「伝統というたすきをつなげていく」

2025年5月26日(月)11時0分 読売新聞

山中フローリアンさん=松岡樹撮影

津市の久居八幡宮禰宜・山中フローリアンさん

 約350年の歴史を持つ三重県の久居八幡宮(津市久居二ノ町)に来て、間もなく10年。禰宜ねぎとして、祝詞をあげるなどの祭祀さいしや境内をきれいに維持する社務などを担う。強面こわもてに見えるが、参拝者へ向ける表情は優しく、穏やかだ。全国に約8万あるという神社で、神職は約2万人。中でも外国人の神職は極めて珍しく、「実際に神社に奉職したのは自分が初めてではないか」と話す。

 オーストリア第3の都市リンツ出身で、両親は旅行好きの地理教師。幼少期から欧州や南米を巡り、マヤ文明など異文化に触れた。だがそれ以上に、写真集で見ただけの神社仏閣や忍者などの日本文化に引きつけられた。14歳の時、「遠く離れた不思議な国」へ、父親にせがんで旅した。

 海に浮かぶ厳島神社(広島県)の鳥居、出雲大社(島根県)の太いしめ縄——。神秘的な風景に心を奪われるとともに、それぞれの神社に異なる由緒があることを知った。神道文化にのめり込み、帰国後もメールで神社とやり取りしながら学び続けた。

 大学で神道文化を研究することも考えたが、「実践してこそ、生きた文化に触れられると思った」。高校卒業後に、交流のあった愛知県内の神社で見習いに就き、神職の基礎を身に付けた。一度帰国してウィーン大で日本学を学び、東京・国学院大で上級の神職資格を取得し、渋谷の神社で権禰宜に。野辺野神社(現・久居八幡宮)の宮司の娘と結婚し、2016年に津市へ引っ越してきた。

 すぐに、地元の歴史を知ろうと神社に残る史料を読みあさった。それらの中には、江戸時代に藤堂高虎の孫の高通が野辺野地域に城下町を建設する際、平和を願って辺りを「永久に鎮居ちんきょする」という思いから久居と呼び始めたと記されていた。「とても縁起の良い地名で驚きました」

 以来、「久居八幡宮」と呼ばれ親しまれたが、明治時代の神社統廃合で名前が「野辺野神社」となった。だが、「神社の歴史は久居の歴史そのもの。名前を取り戻すことは街の誇りを取り戻すことだ」。周囲の後押しも得て、20年に久居八幡宮に戻すことができた。

 「年代記」とも言える古い史料の再編纂へんさんにも挑んだ。史料には藤堂藩主の相撲見物、伊勢神宮の遷宮への協力、火災後の再建、そして石の塔のお供えや僧侶のこんぴら参りといった日常までもがつづられていた。「真言宗のお坊さんが母と温泉に行った話は、なんだか人間らしくてほほえましい」。久居の歴史そのものとも言える史料を、新たな形で世に出そうと決意した。

 最初はパソコンを使うなど試行錯誤したが、吉野の手き和紙を使って墨で文字を書くという、オリジナルの手法にこだわった。「今ここに江戸時代の年代記があるということは、これから200年後にも残せるということ」。1861年で終わっている記録を分かっている範囲で書き足し、今後の歴史も加えていくという。同じ作業をすることで、「先祖とつながれる気がする。まるでタイムスリップ」と笑顔を見せる。一部は三重大の山田雄司教授らと3年かけて取り組み、出版もした。

 「年代記をまとめて分かったが、記録や行事が途切れれば、復活はほぼ不可能。だからこそ丁寧に伝統というたすきをつなげていきたい」。これからも、久居の中心にある神社を目指したいと思っている。(松岡樹)

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