これで膝と腰の痛みが全部吹き飛んだ…三浦雄一郎が考案「ヘビーウォーキング」の驚くべき効果

2024年1月30日(火)14時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gabriele Maltinti

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歳を重ねても体力を保つにはどうすればいいか。プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんは「ぼくは50歳を超えてから足首にアンクルウェイトを巻いて歩く『ヘビーウォーキング』を欠かさず行った。すると年齢と反比例するように体力は上がり、膝や腰の痛みが全部吹き飛んでしまった。70歳からの三度のエベレスト登頂への挑戦のときも、ジムで特別なトレーニングを受けたわけではなく、すべてこの重りをつけて歩くトレーニングを基本にすることで可能になった」という——。(第2回/全5回)

※本稿は、三浦雄一郎『90歳、それでもぼくは挑戦する。』(三笠書房)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/Gabriele Maltinti
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■重荷を担いで山に登る歩荷の仕事と空き時間のトレラン


トレーニングの原点は、山ごもりで体を鍛えた武者修行時代にあります。


北大スキー部時代を経て、日本のアルペンスキー界から追放されたことをきっかけに、日本アルプスの立山にこもりました。


歩荷(ぼっか)の仕事に入れてもらって、毎日荷物担ぎの仕事です。本格的に足腰が強くなっていったのはこのころからです。


歩荷とは、背負子(しょいこ)に重荷を担いで人力で運ぶ仕事で、強力(ごうりき)とも呼ばれます。立山では主に山小屋の食料や燃料などを荷揚げしました。


少ないときで40から50kg、多いときで100kgもの重荷を背負ってひたすら山道を登り、山小屋で荷物を下ろすと、帰りは羽が生えたように軽々と駆け下ります。


仕事を終えてちょっと昼寝をしても、まだ日没までは時間がある。そこでふたたび山道を駆け上がり、グルッと稜線(りょうせん)を走って帰ってくる、ということを夢中になってやっていました。いまのトレイルランニングの元祖ですね。


やはり、重荷を担いで山に登る歩荷の仕事と、空き時間のトレランが、ぼくにとっては一番いい足腰のトレーニングになりました。


その後、アメリカに渡って世界プロスキー選手権に出場するのですが、日本のスキー界を追放されて以来、スキーレースから三、四年遠ざかっていたにもかかわらず、世界のベスト3まで食い込めたのは、この歩荷とトレランのおかげです。


■三浦雄一郎の考案した「ヘビーウォーキング」の中身


50歳を超えてからは、「歩く」ことがトレーニングの基本になりました。


ランニングは脚への負担が大きいんですね。とくにぼくは膝を痛めていたものですから、走ると必ず膝が腫れました。


ということで、もうトレーニングはできない体になってしまったのかなと落ち込んでいたのですが、あるとき、本を詰め込んで10kgくらいになったリュックサックを背負って、家のまわりを歩いてみたら、無理なく歩くことができました。「よし!」ってことで、それからだんだん歩く距離を延ばしていきました。


写真=iStock.com/golubovy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/golubovy

また、当時は、東京・原宿に事務所があり、そこをベースに講演会などの仕事もしていました。


たとえば、新幹線で東京駅に帰ってくると、タクシーに乗って、途中の赤坂で降りて、原宿まで歩く。それが“エスカレート”してくると、東京駅から原宿まですべて歩いてみたりと、トレーニングとして意識的に長く歩くことを自分に課しました。


重さも増やしていきました。背中にリュックサックを背負う代わりに、足首にアンクルウェイト(重り)を巻いて歩くのです。最初は片足1kgから2kgでしたが、徐々に3、4、5kgと増やしていき、最後は10kgにも挑戦しました。


これをぼくは勝手に「ヘビーウォーキング」と呼んでいます。


■歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本


普段の仕事の行き帰りはもちろん、結婚式に出るときも、これは外しません。


しっかりスーツを着込んでピカピカに磨いた靴を履き、でも人知れず、足首には重りを巻いているなんて、おかしな姿だと思うでしょうね。でも、日常生活すべてがトレーニングと考えていましたから。


そうこうしているうちに、年齢と反比例するように体力は上がってきて、膝が痛い、腰が痛いという痛みが、どういうわけか全部吹き飛んでしまった。「ヘビーウォーキング」は足腰の治療にもひと役買っていたというわけです。


おかげで、70歳からの三度のエベレスト登頂への挑戦のときも、とくにジムに通って特別なトレーニングを受けたわけではなく、すべてこの重りをつけて歩くトレーニングを基本にすることで可能になりました。


もっとも、重りは日々の体調に応じて変化をつけました。今日は疲れたから3kgにしようとか、今日は頑張って8kgにしようとか、その日の気分、コンディションしだいで決めていました。


ぼくはエベレストに登るという夢のために、重りをつけて歩きましたが、歳を取って足腰が弱ってきた人には、毎日歩くだけでも効果的だと思います。


とにかく、歳を重ねたら「歩く」ことがトレーニングの基本だと思います。


■食欲旺盛でビール大好きな“デブ冒険家”の転換点


中高年になると、それこそ飲みすぎ、食べすぎ、運動不足がたたってきますよね。


加齢によって体は徐々に衰えつつあるのに、若いころと同じように飲んで、食べて、不摂生を続ければ、当然、それは不健康のもと。健康には適度な運動が一番効果的で、それをサポートするために栄養のある食事をきちんと摂る。その相乗効果が基本になります。


とはいいますが、もともとぼくは、厳しい節制を心がけていたわけではありませんでした。いつも食欲は旺盛で、ビールは大好き。


写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

若いころは体力、元気があり余っていましたから、それでもよかったのでしょう。豊富な運動量で、過剰な摂取カロリーをしっかり消費していたのです。


ところが60歳を超えてくると、そうはいきません。


冬になれば毎日のようにスキーをしましたが、雪のない時期に体を動かすといえば、せいぜい、たまのゴルフぐらい。それでも、札幌はおいしい食べ物の宝庫のような街ですから“デブ”になることに努力はいりません。


テレビや雑誌などに引っ張り出されて、「プロスキーヤー」「冒険家」と紹介されるたびに、良心がとがめました。できることなら、若いころのようなスマートな体に戻りたい。そんな願望だけはありました。


よし、それなら明日からダイエットだ、やればできる! と思っている間に10年が経ち、気づくと体重は80kgを超えて、90kgも目前です。ぼくは身長164cmですから、もう正真正銘のメタボです。


そこから一念発起できたのは、「70歳でエベレストに登りたい」という大きな夢、目標ができたからにほかなりません。


■何事もやりすぎは禁物


当時、ぼくは65歳。5年後の登頂から逆算すると時間はそれほどありません。


それこそ富士山を走って登れるくらいの体力をつけなきゃ、という気持ちがあったことで続けられた。


結果的に、それがぼくの一番の健康法になったと思います。


ぼくの場合は、走るよりも、先に紹介した、足に重りをつけた「ヘビーウォーキング」です。


このスタイルをやり抜いたことがよかったと思います。


歩くことは誰にでもできますし、体調しだいでは重りだってつけなくてもいい。


気の向いたときに歩き出せばいいし、無理する必要もない。


歩き終わったときの心地よい疲労感は格別です。体がリフレッシュするような気分に包まれ、また明日も歩きたいと思わせてくれます。


そうして体力がついて体重も減ってくると、体が軽くなって、スキーの調子もどんどん上がってきます。何をやっても元気に楽しめるから、人生そのものの次元が変わってきます。


ただし、やりすぎは禁物です。


■ケガや病気を「治す楽しみがある」と考えられるか


ぼくにも経験がありますが、あせったり、急ごうと思ったりすると、どうしてもオーバートレーニングになり、結果として疲労が溜まって免疫が下がり、風邪をひきやすくなったり、病気の原因にもなったりします。



三浦雄一郎『90歳、それでもぼくは挑戦する。』(三笠書房)

トレーニングを頑張りすぎて、膝や腰を痛めたり、また、病気になったりすると、「自分はもう歳なんだ……」と、どうしても悲観的な考え方になるのが中高年です。


その点ぼくの場合、ケガしたり、病気になったりしたら、「治す楽しみがある」と考えるようにしています。これだけちゃんと治療、療養したのだから、「明日はきっと、もっとよくなる」って。


まあ、楽天的なんですね。


でも、とかく悲観的になりがちな中高年にとって大事な心がまえではないかとも思うのです。


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三浦 雄一郎(みうら・ゆういちろう)
プロスキーヤー、冒険家、教育者
1932年、青森県生まれ。北海道大学獣医学部卒業。1964年、イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172・084kmの当時の世界新記録樹立。1966年、富士山直滑降、1970年、エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げる。1985年、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年、エベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立。2008年、75歳で二度目、2013年、80歳で三度目のエベレスト登頂、世界最高年齢登頂記録更新を果たす。プロスキーヤー・冒険家として、また教育者としてクラーク記念国際高等学校名誉校長を務めるなど、国際的に活躍。主な著書に『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)、『歩き続ける力』(双葉社)、『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』(小学館)など多数。
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(プロスキーヤー、冒険家、教育者 三浦 雄一郎)

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