年収1000万円の会社を辞めてでも慶應に行きたい…28年「仮面浪人」を続ける男(46)の強烈な学歴コンプレックス

2025年2月13日(木)9時15分 プレジデント社

写真=本人提供

教育業界で働くえぐざまさん(仮名、46歳)は、19歳から現在に至るまで28年間仮面浪人をしている。なぜ社会人として働きながら、毎年大学を受験し続けるのか。彼の数奇な人生をライターの黒島暁生さんが聞いた——。(前編/全2回)
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■知能指数150の少年が28浪する男になるまで


人生のほとんどを浪人生として過ごしたにえぐざま氏は、まさに多浪界の大御所。柔和で人懐っこい笑顔が印象的な反面、学歴に関する話をするときは水を得た魚のように快活に話す。えぐざま氏の幼少期は一見、明るいようにもみえる。


「幼稚園のころ、IQテストを受けました。そこで出た数字は150というかなり高いものだったんです。聞いた話によると、父も同様の数字だったそうです」


高い知能指数を持つ親子。順風満帆な将来を連想させる。だが人生の舵取りにおいては苦労したという。


「両親ともにプロの音楽家でした。特に父は破天荒な人だと思います。古い時代の人なのに、『結婚式はやるな』『サラリーマンにはなるな』『俺の葬式はしなくていい』と言い聞かせてくるような人です。当時はちょうどカラオケなどが流行し始めたこともあり、間もなく父は職を追われることとなりました。サラリーマンとして勤務することになった父は勤め人としての適性に乏しく、私の記憶では同じ職場に5年といなかったように思います。私は東京の世田谷区に生まれましたが、家庭の経済状況の悪化とともに北関東に移り住むことになりました」


えぐざま氏が“都落ち”を経験したのは、10歳ころのことだという。首都圏では中学受験が熱を帯び始めた時代だ。


■自分よりも勉強のできない子が名門中へ


「漠然と、筑波大付属駒場や開成などの名門校へ進学して東大へ行き、官僚になる夢を抱いていました。しかし引っ越しによって環境はまるで変わり、それらは夢のまま終わってしまいました。


私よりも勉強の苦手だった東京の同級生たちが名門中学校へ進学していくのをみて、釈然としない気持ちが残り続けました。それはちょうど、得られるはずだったものを目の前でとりあげられたような悔しさがありました。私の怠惰で受験ができなかったのではなく、いわば不可抗力によって思い描いていた未来が改変されてしまったからだと思います」


もちろん地方にも名門校はある。しかしさらなる追い打ちがえぐざま氏を襲った。


「中学校2年生のとき、経済状況の悪化に伴ってさらに僻地へと引っ越すことになりました。周辺には、大学進学がかろうじて可能な偏差値55の高校が1つあるだけの、あまり学習には適さない環境だったと思います。やむなくその高校へ進学した私は、父の仇であるはずのカラオケに入り浸り、偏差値は下降線を辿り続けました」


現役のときは受験校すべてに嫌われ、自宅浪人を経て東京の私立大学へ進学した。そのモチベーションは、「もう一度東京へ戻りたい」という強い信念だったという。


■調査書をPDF化した深層心理


「当時の我が家の世帯年収は300万円ほどでしたし、近隣に予備校もありませんから、自宅で勉強する選択をしました。かつて高IQと持て囃されていた私は、日東駒専レベルの大学へ進学することになったんです。それは自らの不甲斐なさです。


大学へは進学しましたが、結局、その年から毎年、大学受験をしています。というのも、大学受験に必要な調査書は5年ほどで保管期限が終了してしまいます。私はそれを20年以上前にPDF化して保存していたんです。もしかすると、潜在意識下で長い大学受験生活になることを予感していたのかもしれません」


1浪後に入った大学に通いながら毎年東京大学や早稲田大学などの名門大学を受験し続けたえぐざま氏は、卒業と同時に大手教育関連企業へ入社する。時は就職氷河期、採用倍率は200倍という超難関だった。現在もなお同社へ在籍し、かなりの高給取りの部類だ。だが1年も欠かさず、彼は大学受験をし続けている。


写真=iStock.com/EyeEm Mobile GmbH
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/EyeEm Mobile GmbH

「ネットで有名になってしまい、ファンサービスという側面も正直あります。近頃は『○○大学を受験してください』などの要望をいただくようになりました。ただ、さまざまな大学受験方式を調べたり、入試問題を解くことが楽しいのは事実ですね。大学受験は私のライフワークなんです」


■妻との不思議な関係


えぐざま氏の家族観は非常にユニークだ。彼の場合、自分が思いきり学ぶことのできなかった遠因としてすぐに思い浮かぶのは両親だろう。恨みに似た感情を抱いたとて、なんら不思議はない。ところがえぐざま氏はこう言う。


「確かに、受験については『もう少し配慮してほしかった』という感情はあります。私の両親は経済状況によって住む場所を変えましたが、その際に子どもがどんな学校に通うかなどの教育プランがまるでなかったように感じます。


受験エリートを極端に嫌う両親の考え方が優先されたのかもしれません。がただ、他の面においては価値観も合致しますし、現在においても実家にしばしば帰りますし、仲が良い家族だと思います。いまだに実家は居心地がいいですね」


えぐざま氏は30歳手前で結婚している。その中で彼らしいこんなエピソードがある。


「これまで私が蓄積してきた受験の知識などを伝授した結果、7浪のすえ、結婚当時高卒だった妻を明治大学へ導きました。妻はきちんと大学へも通い、よい成績で卒業しています」


えぐざま氏は2024年、慶應義塾大学の入試に合格し入学した。そのきっかけは妻のこんな一言だった。


「私はこれまで、ずっと早稲田大学を受験してきたんです。自分の性格に合う大学だと思ったからです。しかし妻から『あなたは東大や京大、早稲田には詳しいけど慶應の知識はほとんどない。有数の学歴マニアとしての知識体系を完成させるために入学すべき』と言われ、納得しました。そして、入学が叶ったんです」


写真=iStock.com/mizoula
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

■12浪目でようやく早稲田に合格するが


時間軸が前後するが、「早慶でいえば、本来の自分は早稲田寄り」を公言するえぐざま氏は、12浪目にして学士編入試験にパスしている。憧れの早稲田生へ転身できるかと思えば、会社がそれを阻んだ。


「早稲田大学へ通いたいので2年ほど休職をお願いしたのですが、却下されました。自らのコンプレックスを解消するチャンスだと喜んだのですが、早稲田大学入学は立ち消えになってしまいました。ずっと早稲田が好きでしたが、慶應に通ってみると設備も人もとても心地よいと感じるようになりました」


現在は有給休暇などをうまく活用し、大学生と両立させているという。だが有給休暇をすべて使っても、卒業に必要な出席日数には足りないだろう。その意味でいずれ二刀流には終わりがくるが、えぐざま氏はこう断言する。


「慶應義塾大学を卒業しようと思っています。拘束のきつい必修科目の都合で会社とはいずれ折り合わなくなると思うので、その際は職を辞めるつもりです。思えば私も父と同様に、働くことは向いていないと思います。悔いはありません」


大学受験は、ライフワーク。しかも職と天秤にかけてなお重たいライフワークだとえぐざま氏は言う。だが人生の大半を捧げたその執念はどこからくるのか。


■受験はそもそもが不平等


「学歴を得ることは、私にとってとても重要なことです。このように公言するのは憚られる風潮がありますが、私は学歴はある程度、その人の信用性を担保するものだと思います。


翻って、さまざまな事情によって満足に学ぶことができない環境だった人も多いと思います。その意味で、受験はそもそもが不平等です。自身が経験したように、地域による教育格差の問題、収入による教育格差の問題はいまだに根強いでしょう。


私は今、教育に携わる仕事をしつつ自分も受験生というプレーヤーとして学業に向き合っています。いずれは、教育に関するこうした実際の話をより多くの人たちに届けていきたいと考えています」


その瞬間は一喜一憂していても、過ぎればとうに忘れて日常に埋没することは多い。テストの点数や学歴はその最たるものだろう。だが、えぐざま氏は頑なに留まり続ける。かつて自分がそうであったように、叶わなかった夢の亡霊にうなされ続ける人が少しでも減るように。彼の挑戦は、しぶとく粘着質で、それゆえに純粋で澄んだ色に光り輝く。


(後編に続く)


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黒島 暁生(くろしま・あき)
ライター、エッセイスト
可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。
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(ライター、エッセイスト 黒島 暁生)

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