日本に「自動車製造業」があるのは幸運だった…関税交渉でトランプ大統領が笑顔になる「とっておきの提案」とは
2025年4月23日(水)7時15分 プレジデント社
関税措置について演説するトランプ米大統領=2025年4月2日、ワシントン - 写真=ロイター/共同通信社
写真=ロイター/共同通信社
関税措置について演説するトランプ米大統領=2025年4月2日、ワシントン - 写真=ロイター/共同通信社
■ヴァンス副大統領が描いた世界
今回のいわゆる「トランプ関税」を含め、トランプ政権の経済政策や社会政策を考えるときに重要なのは、ドナルド・トランプ大統領の発言より、J.D.ヴァンス副大統領の著書『ヒルビリー・エレジー』かもしれません。
『ヒルビリー・エレジー』で描かれるのはかつてアメリカの工業生産を支えていた、いわゆる「ラストベルト」地域に住む白人労働者階層です。そして彼らが豊かに暮らしていた時代こそがアメリカが“グレート”だった時代でもある。彼らの支持を受け誕生したトランプ政権が、アメリカ国内の製造業の空洞化を問題視し、それを解決しようとすること自体は、自然なアクションといえるでしょう。
自国内に製造業がなくなることが、なぜ問題なのか。単純化して言えば、安定的な中間層が維持できなくなるからです。製造業は、どんなに機械化されてもある程度の人間が必要です。かつ先進国の工業の場合は熟練を要求する仕事なので、給料の水準もある程度高く、さらに経験によってそれが上昇していく。安定的な賃金とやりがいが、かつてのアメリカにおいて分厚い中間層の生活を支えていたのです。
■2国間の経常収支の赤字黒字に意味はない
製造業地帯の喪失によって、そうした古き良きアメリカは失われてしまった。だから、アメリカ国内に再び製造業を取り戻さなければいけない。そのためには、外国から安い製品が入ってくるのを防がなくてはいけない——そういうロジックでトランプ政権は貿易赤字批判に向かっているのです。しかし、このあたりから政策としての整合性がかなり怪しくなってくる。目的は正当ですが、手段が合理的ではない。
写真=iStock.com/Judith Rawcliffe
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Judith Rawcliffe
現在のアメリカは、海外に対して膨大な経常収支(貿易収支+サービス収支+所得収支の合計)の赤字を抱えています。第1の問いは、経常赤字である状況はそもそもアメリカにとって悪いことなのか、ということ。そしてもう一つの問いは、2国間の経常収支が赤字であることに、なにか意味があるのかということです。
まずは答えが明確な第2の問い、つまり2国間赤字の無意味さからお話をしていきましょう。例えば、私はいつも近くのスーパーマーケットで買い物をし、給与は大学から受け取っています。つまりスーパーマーケットとの間の私の収支は常に赤字であり、大学に対しては常に黒字です。このとき、スーパーマーケットに対して赤字であることを、私は問題視すべきでしょうか?
あるいは日本という国について考えれば、中東諸国との2国間でみた経常収支はずっと赤字です。これは中東諸国から石油や天然ガスを常にたくさん買っているからです。中東諸国が日本製品への関税や非関税障壁を設けているからではありません。もしそれらがまったくなかったとしても日本は中東諸国に対しては常に赤字になるはずで、これを問題視するのはナンセンスです。安全保障上の理由でエネルギー供給源を多角化したいという話であれば、意味が出てくるでしょうが……。
■アメリカの経常収支が赤字であることの意味
さて、第1の問い——国全体としての経常赤字を問題にすべきかどうかという話なのですが、ここで考えたいのは「アメリカは本当の意味で『赤字国家』といえるのだろうか?」ということです。
たとえば、アメリカが日本から車を1台買い、同時に同じ価格分のアメリカ産牛肉を日本に売ったとします。この時、貿易収支の赤字/黒字は発生しません。事実上、車と牛肉を物々交換した状態になっている。物々交換ならば収支はいつもバランスしています。
■モノを買ってドルを「輸出」しているアメリカ
では、アメリカが日本から車を買うそのとき、ぴったり物々交換できる現物が手元にない場合にはどうするか。アメリカは日本に、「将来のどこかの時点で相応の対価を支払います」という借用書を渡すわけです。国際金融の教科書では借用書はIOU(I Owe yoU)と呼ばれますが、車とIOUを交換していると考えてください。つまり、アメリカが経常赤字だということは、アメリカは世界に向けて借用書を輸出しているということになるのです。
実際の輸出入は、当事者間で文字通りの売り掛け・買い掛けが行われるわけではありません。実際の決済は別の「借用書」、つまり米ドル紙幣・米国債(米政府の借用書)、米ドル預金(米銀行=預金取扱機関の借用書)で行われます。
写真=iStock.com/adventtr
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さて、改めてアメリカが経常赤字であるということの意味を考えてみましょう。経常赤字とは、財やサービスの輸出よりも輸入のほうが多いということで、これは借用書の輸入よりも輸出のほうが多いということを意味します。そしてアメリカ政府は借用書=米ドル/米国債を発行する権利を有しています。
■高関税が国際的な流動性危機につながる可能性
つまり今のアメリカは、自分の裁量で発行できる借用書で、世界中からモノを買える状況にあります。限度額がとんでもなく高いクレジットカードを持っているようなもので、これは世界中の国々がうらやむ、アメリカの大変な特権です。
しかも、米ドルは基軸通貨として、対アメリカ取引以外の第三者間の取引仲介手段としても使われています。ほとんどの国際取引は、ドルの受け渡しをもって完結する格好になっている。要するに、世界中に決済サービスを輸出する対価として、アメリカは膨大な商品を輸入できており、一方で各国はアメリカの経常収支が赤字であるおかげで、とても便利な国際決済手段を手にしているのです。
こうした現状があるなかで、仮にアメリカが何らかの方法で経常赤字を縮小していくことになれば、それは国際的な流動性危機を招きかねません。高関税の影響は対米貿易の縮小だけにとどまりません。国際決済サービスの縮小はすべての国際間取引を滞らせるため、世界経済にとって極めて大きな危機になりうるのです。
■金融業がアメリカ社会を壊している?
とはいえ、もしかしたらアメリカは、それでもなお経常収支を縮小したいのかもしれません。現在アメリカの主要な輸出は国際決済サービスですから、アメリカの産業のメインセクターは金融業になる。金融業は明確にごく少数の高給取りのエリートと、その人たちの身の回りを整える間接産業(オフィスの清掃やランチの提供など)に従事する人がいれば成立します。中間層は必要ありません。その結果、大金持ちと、低賃金で働く人しかいない社会構成になるのです。
写真=iStock.com/Gabriel Boieras
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第一次トランプ政権以来の経済政策顧問であるピーター・ナヴァロ(Peter Navarro)貿易・製造業担当上級顧問や、最近注目が集まるスティーブン・ミラン(Stephen Miran)米大統領経済諮問委員会委員長らの議論を読むと、アメリカが国際的な基軸通貨国であること自体を問題視しています。国際金融システムが不公正であることが、米国の製造業セクター衰退の原因だと考えるわけです。もうかりすぎる金融業がアメリカ社会を壊しているとしたら、アメリカ全体を貧しくしてでも現在の国際金融システムを破壊するべきだという主張にもつながりかねません。
■ドルを基軸通貨とする世界経済システムへの反旗
こうした「ヒルビリー」の復権を目指すという側面に加え、トランプ政権にはもう一つの顔があると感じます。個人の国家からの徹底的な自由を思考するリバタリアニズムという政治思想を持ち、経済面でそれを実現するための道具としてビットコインなどの暗号通貨(クリプト)を重視する方向性です。彼らは「クリプト・アナーキズム」「クリプト・リバタリアン」と呼ばれることもある。
伝統的にリバタリアンは、貨幣発行の自由化を主張してきました。何を貨幣として用いるかは国家ではなくマーケットが決めるべきで、各国の中央銀行が独占している貨幣発行権を民間にも認めるべきだという立場です。したがって、ドルが国際的な決済手段になっている現状にも同様に批判的になる。そこでクリプト・リバタリアンは今のドルに変わって暗号通貨が基軸通貨としての役割を果たすべきだと主張しています。私はドルが基軸通貨である現状は、国際的な市場がそれを選択した結果ではないのかと思いますが……。
■アメリカの製造業復活に関税はなんら寄与しない
製造業を復活させたいヒルビリーの主張と、ドル中心の経済システムからクリプト中心の経済システムへの転換を求めるクリプト・リバタリアンの主張が、たまたま同じ方向を向いている。白人低所得者層からなる前者と、テック業界のエリート大富豪たちが多い後者には、通常は共通点は少ないはずです。しかし、現状ではアメリカの経常赤字が支える現状のドル・システムを共通の敵として、両者が同じようなことを主張しています。このような同床異夢が今回のトランプ関税につながっているのです。
私自身の考えでは、今回の関税措置はアメリカの製造業の復活には何ら寄与しないでしょう。未熟な国内産業を保護するという「幼稚産業保護論」がいい例ですが、関税を使って自国の産業保護を行う場合は、そこに該当する特定の製品を狙い撃ちするのがセオリーです。たとえば国内の自動車産業を守りたいのなら、輸入自動車に対して関税をかける。自動車輸出国である日本にとっては困った話ですが、政策としてはありえます。
■産業振興策として合理性がない「一律関税」
しかし、国別の税率を設定して全輸入品に一律関税をかけるというのは、産業振興策として合理性がありません。国境を超えてサプライチェーンが分散する中、一律関税を適用すれば自動車の生産に必要な資材や部品の価格も上がってしまうからです。
例えば、アメリカで売られる車の内装品などはほとんどメキシコで作っていますし、自動車のボディー製造に欠かせない高張力鋼もほとんど日本などからの輸入に頼っています。それらにいちいち関税がかかれば、アメリカ国内で車を生産したところで製造コストは大幅にアップしてしまいますし、海外メーカーにとっては対米投資して現地生産するメリットも薄くなります。
■本来必要なのは産業政策だが…
アメリカに今必要なのは、借金を減らすことより、今発生している経常赤字分をどうやって国内の生産力増強のための投資につなげていくかという発想です。アメリカの製造業を再生するためには、老朽化した設備の更新などに膨大な額の投資が必要ですし、国内への製造業関連の投資に対する大規模な金融支援、利子補填(ほてん)、用地の整備など、アメリカ国内だけで完結する措置はたくさんあります。しかし残念ながら、トランプ政権はあまりそういう本筋の方向には目を向けていないように見えます。
昔からアメリカは連邦主導の産業政策をあまりやってこなかったのも事実です。民間の活動に政府が介入するべきではないという思想、または個別の産業振興策は各州政府の主導で行うという感覚が強いのかもしれません。しかし、こうした部分を抜きに貿易規制を推し進めてしまえば、アメリカの製造業を保護するどころか、かえってマイナスの効果しか得られないでしょう。
■日本が「トランプ関税」に出せるカードは何か
こうした背景をふまえて日本が出せるカードは、何があるのでしょうか。まず、アメリカからのエネルギー輸入を増やすのは第一の手でしょう。アメリカから見れば貿易赤字が減りますし、中東に依存しすぎている日本のエネルギー供給ルートを多角化できるという、安全保障上の利益も出てきます。
もう一つは、日本からの対米投資を増やすことです。それも米国債ではなく、アメリカの産業に投資する形が望ましい。実はアメリカの対日赤字の相当部分は、日本からの投資としてアメリカに還流しており、米中貿易とは異なるWin-Winの図式がある程度存在しています。この流れをもっと進めていきましょうということですね。日本からモノを買って発生した赤字が、結果的には対米投資としてアメリカの製造業復活に寄与しているんですよという話を、アメリカ側にしっかり伝えていく努力が必要でしょう。
■日本がトランプ関税から学ぶべきこと
さらに日本自身も、アメリカの転換から学ぶことがあるように思います。
方法としては全くの誤りですが、トランプ政権は重要な発見にたどり着いたのだと思います。それは、中間層がいなくなれば欧米的な自由主義国家は維持できず、中間層をつくるためには製造業が必要なのだという、明確な認識です。将来トランプ派でない政権が誕生したり、場合によっては民主党に交代したりしたとしても、この流れ、気づきはなかったことにはならないでしょう。
世界、とりわけ西側諸国は重要な局面に差し掛かっています。自国内で中間層を育めるような産業構成を、いかにして強化・維持していくのか。現代の製造業のシステムの中で、サプライチェーンを自国内だけで完結させるのは非現実的ですが、せめて同盟国・同志国内で維持することは考えなくてはなりません。
■製造業が残っているアドバンテージを生かせ
そんな中、日本には先進国の中では珍しく、製造業が国内に残っています。だいぶ空洞化したとは言われますが、日本は金融経済への転換に周回遅れといえるレベルで手間取ったおかげで、欧米諸国から見ればはるかに国内に製造業が残っている。この幸運なアドバンテージを生かさない手はありません。
アメリカなどでは職業訓練システムが崩壊してしまっているため、工場で働く従業員を集めるのも一苦労な状況ですが、日本ですと工業高校、工業高専が生き残っている地域はいくらでもあります。さらに言えば、地域によっては地元の私立文系大学の卒業者より、工業高校出身者の所得のほうが高くなり始めてもいます。
製造業を大事にするという方針こそ、トランプ関税の背景にあるアメリカの転換から、日本が学ぶべきことなのかもしれません。
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飯田 泰之(いいだ・やすゆき)
明治大学政治経済学部教授
1975年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専攻はマクロ経済学、経済政策。『経済学講義』(ちくま新書)、『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)など著書、メディア出演多数。noteマガジン「経済学思考を実践しよう」はこちら。
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(明治大学政治経済学部教授 飯田 泰之)