なぜ万博の警備員は自ら土下座したのか…日本人が「謝罪=土下座」文化から抜け出せない根深い事情
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu
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■国際イベントで起きた騒動の真相
2025年大阪・関西万博が開幕し、連日万博関連のニュースがメディアを賑わしている。そんな中、4月22日にSNS上で突如「万博の警備員」というワードがトレンド入りした。
それは、万博の会場入口付近で、腕を組んで激昂している様子の来場者らしき人物の前で、警備員が土下座をしている動画を紹介するものであった。当該動画は早速民放テレビ局でも報じられ、そのニュース映像が更に拡散されていたのだ。
ネット上では「動画撮影者によると、来場者は警備員さんに《土下座しろ》的な大きな声を発していたようだ」「土下座を強要するなんてカスハラ(カスタマーハラスメント)では?」と波紋を呼ぶこととなった。
本件はその後、日本国際博覧会協会側より「土下座は来場者による強要ではなかった」と正式発表がなされている。経緯としては、警備員が来場者から駐車場の場所を尋ねられたものの、正確な場所を把握していなかったため、当該警備員は会場情報が表示されるデジタルサイネージ(電子看板)へ案内した。しかし、来場者から「なぜわからないのか」と指摘され、詰め寄られたため、警備員は身に危険を感じ、自ら土下座をしたものだという。
また、その場に居合わせて来場者を制止したという人物のSNS投稿によると、件の来場者は確かに「謝れ!」と怒鳴ってはいたものの、「土下座をしろ!」と言ったのではなく、土下座した警備員に対して「土下座をしろなんて言ってない!」と怒っていた、との経緯だったようだ。
■極めて日本的な「誠意の表現」
土下座に至った経緯はさておき、この動画をきっかけに、「なぜ今も日本では土下座を強要するような光景が見られるのか?」「土下座強要は罪にならないのか?」「なぜ理不尽な要求に応じて、土下座してしまう人がいるのか?」といった問いが再燃している。
「謝る」という行為は世界中にあるが、「土下座」という形式をとるのは、極めて日本的であるといえよう。そこには歴史的、文化的、社会心理的な背景が絡み合っている。さらには、現代においては人権侵害やハラスメント、違法行為としての側面も色濃く持っているにもかかわらず、依然として「反省の証」「誠意の表現」として受け入れられがちだ。
今回は、「土下座文化」の根源と実態、強要する側・従う側の心理、法的な位置づけ、そしてこの文化をどう克服していくべきかについて、多角的に考察していこう。
■1000年以上前から続く「生存戦略」
「土下座」という言葉自体は、『源氏物語』や『太平記』といった古典文学にも見られ、日本においては非常に長い歴史を持つ所作である。その原型は、主君に仕える家臣が「無礼を詫びる」際に身を低くし、額を地面につける行為だった。これは中国儒教文化の影響を色濃く受けたものであり、封建制度のもとで上下関係を絶対視する文化の中で定着していった。
江戸時代には武士階級だけでなく庶民にも広まり、町奉行や庄屋に対して「お情けを乞う」手段として使われるようになった。いわば「服従」と「誠意」を同時に表すジェスチャーであり、ある意味での「生存戦略」でもあった。
つまり、土下座はもともと暴力的支配関係の文脈で生まれ、相手の権威を絶対化し、下位の者が自らの尊厳を捨ててでも赦しを請うための道具だったのだ。
写真=iStock.com/Josiah S
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■SNSの登場で“公開処刑”として加速
現代においても、接客業や医療現場、学校、公共交通などさまざまなシーンで「土下座しろ」と叫ぶ顧客やクレーマーが後を絶たない。
この背景には、日本社会に根付く「謝罪神話」がある。つまり、「誠意とは、頭の角度で測るもの」という考え方だ。普通に謝っても許されず、「土下座=最大の謝罪の形」として求められるのである。
また、カスハラ(カスタマーハラスメント)やモンスタークレーマーの問題とも関係する。こうした加害者は、相手の謝罪を「自分が正義であることの証明」として使い、満足感を得ようとする。つまり、「自分の地位が一瞬でも相手より上になった」と錯覚し、それを強化するために土下座という屈服を求めるのだ。
このメカニズムは、いわゆる「マウンティング」と共通している。しかも、SNSの登場により「土下座させて晒す」という“公開処刑”が可能になったことで、土下座を強要する行為はますますエスカレートしている。
■警備員は“自衛”として土下座してしまった
もう一つ、問題の根深さは「強要される側がなぜ拒否できないのか」にある。
理由の一つは、「会社や職場に迷惑をかけたくない」という組織内文化だ。特に接客・サービス業では、「お客様は神様です」という呪いのような言葉が、未だに現場を支配している。正当なクレーム対応ですら「過剰な謝罪」によって解決しようとする土壌があるため、従業員が“自衛”として土下座することさえある。まさに、今般の万博警備員はこのケースに該当する典型的なパターンだ。
さらに、社会全体に蔓延する「空気を読む」文化も影響している。相手の怒りを鎮めるには、自分が身を低くするしかない、という心理的圧力。これは「長いものには巻かれろ」的な発想と結びつき、結果として「やむを得ず土下座を選ぶ」ことになる。
こうした背景から、「土下座」はもはや暴力ではなく“業務の一環”になってしまっているのだ。
■強要罪、名誉棄損罪、侮辱罪に該当し得る
東京都が発表した「カスタマーハラスメント防止ガイドライン」では、土下座の強要が明確に「カスタマーハラスメントに該当する可能性がある代表的な行為類型」として、「顧客等の要求内容の妥当性にかかわらず、要求を実現するための手段・態様が違法又は社会通念上不相当である」と明記されている。
また、たとえ顧客側に正当なクレーム理由があったとしても、相手に土下座を強要することには違法性が認められる可能性がある。具体的には次のようなものだ。
・強要罪(刑法第223条)
暴行または脅迫を用いて、義務のないことを行わせる行為。土下座の強要はこれに該当しうる。
・名誉毀損罪・侮辱罪(刑法第230条・第231条)
撮影・録画した土下座映像をSNS等で拡散した場合、「社会的評価を低下させる行為」として名誉毀損や侮辱に問われる可能性がある。
・民事上の損害賠償責任(民法第709条)
精神的苦痛に対する慰謝料請求や損害賠償請求が可能。
このように、土下座の強要は単なる“礼儀”や“感情表現”ではなく、明確な加害行為である。被害者が「従ってしまった」からといって、その違法性が免除されるわけではない。
東京都のガイドラインに記載されているカスハラ行為(一部)
■「土下座=違法」が常識になるべき
土下座文化の根絶には、個人の意識変革だけでは限界がある。以下のような取り組みが組織・社会の双方に求められる。
・組織内研修の義務化とマニュアル整備
特にカスハラにさらされやすい接客業・小売業では、「土下座は違法であり、業務としても許容されない」とする明文化が必要である。万が一強要された場合の対応フローや警察通報のガイドラインを明記すべきであろう。
・土下座を美談としないメディア表現の転換
かつてのドラマや映画では、土下座によって「男の覚悟」「誠意」が描かれがちだった。しかし、それが暴力や支配の道具であるという視点が欠落していた。今後は「土下座=人権侵害の象徴」であるという認識を広める必要がある。
・法的保護と相談窓口の強化
カスハラ対応の相談窓口を各自治体や労働局に設け、実際に土下座を強要された場合には速やかに対応が取られる体制づくりが急務だ。
土下座は一見、古き良き“誠意の表現”に見える。しかし、その実態は権力構造と服従関係に深く結びついた暴力的な所作である。強要する側も、従ってしまう側も、その呪縛から自由になる必要がある。
土下座を「誠意」ではなく「人権侵害」として捉え直すこと。土下座をしない勇気、させない勇気、許さない社会的まなざし──それらが揃ったとき、ようやく私たちはこの文化から脱却できるのではないだろうか。
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新田 龍(にった・りょう)
働き方改革総合研究所株式会社代表取締役
働き方改革総合研究所株式会社代表取締役。労働環境改善、およびレピュテーション改善による業績と従業員満足度向上支援、ビジネスと労務関連のトラブルと炎上予防・解決サポートを手がける。厚生労働省ハラスメント対策企画委員。
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(働き方改革総合研究所株式会社代表取締役 新田 龍)