セロハンテープから戸建て住宅まで作るが…「5年間ヒット製品なし」に陥った積水化学が変えた「社内評価」の方法

2025年5月7日(水)8時15分 プレジデント社

積水化学工業大阪本社(写真=アラツク/CC-BY-SA-4.0,3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)

■イノベーション企業が気付いた小さな「異変」


積水化学工業は、化学製品分野で日本を代表するメーカーのひとつである。その事業の主軸は、プラスチックの成形加工である。積水化学工業の2024年3月期決算の売上は1兆2,565億円、経常利益は1,059億円となっており、いずれも過去最高である。売上額でみれば10年前と比較して1割強の増加と、劇的な成長とまではいえないが、しっかりとポジションを保ちながら、前進を続けている。


積水化学工業大阪本社(写真=アラツク/CC-BY-SA-4.0,3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons

積水化学工業が優れた成果をあげ続けているのは、イノベーションが組織の仕組みの問題でもあることを見逃さず、その改革を怠らなかったからである。近年においては、2010年代に入るころ、同社のイノベーションの制度とマネジメントに重要な改革が行われた。


このころ同社は、自社の売上げのなかで新製品が占める比率が低下していることに気づいた。日本初/世界初の新製品を世の中に送り出し続けることで、各種の社会課題の解決に貢献してきたイノベーション企業としては、由々しき事態である。この問題の解決には、熾烈さを増す国際的な開発競争への対応とともに、加速する市場の変化に開発プロジェクトを適合させていくことが必要だった。


そこで生み出された「K値」という指標と、それを活用した制度及びマネジメントによって、積水化学工業は自社の開発の仕組みの高度化を実現し、それがペロブスカイト太陽電池のような競争力のある新製品の開発にもつながっている。


積水化学工業の加藤敬太社長にお話をうかがった。


■セロハンテープにさかのぼる新製品開発の歴史


積水化学工業は、絶えざるイノベーションによって成長を果たしてきた企業である。その75年を超える歴史を振り返れば、創業期から日本初、世界初となるイノベーティブな製品の開発によって、成長を実現してきた。


粘着テープの「セロハンテープ」(1950年)、プラスチック製の雨といの「エスロン雨とい」(日本初、1957年)、ユニット住宅の「セキスイハイム」(世界初、1971年)、割れないプラスチック製真空採血管「インセパック」(世界初、1985年)……。同社はこれら新規性の高い製品を次々と社会に送り出し、新しい市場を切り開いてきた。


イノベーションに積極的なこの姿勢は、現在にいたるまで脈々と受け継がれている。積水化学工業は、化学産業における数々のイノベーションを通じて、わが国を代表するメーカーとしての地保を固めてきた企業なのである。


■「薄くて軽くて曲がる」ペロブスカイト太陽電池


2024年12月、積水化学工業株式会社は、長年にわたって研究開発を進めてきた「ペロブスカイト太陽電池」の量産化に乗り出すことを発表した。


ペロブスカイト太陽電池(写真=PR TIMES/積水化学工業)

ペロブスカイト(灰チタン石)と同じ特殊な結晶構造の化合物を発電層に用いるこの新しい太陽電池は、従前からのシリコン型の太陽電池と比べて薄く、軽く、曲げることもできる。この性質を活用すれば、ビルの壁面など、これまでのシリコン型では設置できなかった場所での太陽光発電が可能になる。


現時点では従前からのシリコン型より発電効率に劣るが、都市部などでの太陽光発電の新しい市場を切り開く可能性を秘めており、期待を集めている。


時代を先取りする新製品は、ペロブスカイト太陽電池だけではない。ガラスに張り合わせて使用するフィルムの「合わせガラス用中間膜」は、衝撃耐久性を高める効果などから、自動車のフロントガラスなどに広く採用されるようになっている。現在では自動車の遮音性や断熱性を高めたり、運転席のメーターに表示されていた情報をフロントガラスに表示したりすることも可能になっている。


あるいは、道路を掘り起こさずに老朽化した下水管などを更新できる「SPR工法」、半導体の高性能化・省電力化を実現する「高接着易剥離UVテープ」など、積水化学工業が世の中に送り出してきた画期的な新製品は、枚挙にいとまがない。こうした数々の製品が、現在の積水化学工業の業績を支えている。


■イノベーション企業にも、スランプはある


だが、優れた企業もスランプに陥ることはある。積水化学工業も2010年代に入った頃には、新製品が売上高に占める比率が年々減少していくという問題に直面していた。全体の売上げや利益について、目立った変調が起きていたわけではないが、表面上は安定しているかに見えた動作の業績は、直近5年間の新製品ではなく、過去の有力製品によって支えられていたのである。


賢明なことにそれ以前から、積水化学工業は過去5年間にリリースした新製品の売上げが全体の中で占める比率を指標として毎年確認しており、このことが問題の早期発見につながった。危機感を強めた積水化学工業は、新しい行動を開始した。


■なぜ停滞が起きていたのか


財務上の大きな問題が生じる以前に、イノベーションの停滞に気づいたのは幸いだった。しかし、そもそも数々のイノベーションによって成長してきた企業が、なぜそのような停滞に陥ってしまったのだろうか。


積水化学工業では、コーポレート全体のR&Dセンターに加え、住宅、環境・ライフライン、高機能プラスチックスという3つのカンパニーがそれぞれ研究所をもつ体制になっている。新規性が高く数年に及ぶ開発期間が必要と見込まれる事案は、事業部からの要請などを踏まえてテーマを決め、これらの研究所で開発を進めるという体制がとられていた。


この体制のもとで開発を続けていたものの、2010年代に入る頃から、その開発の成果が販売に結びつかないという問題が生じていた。特に電子関連材料などの分野では、市場の変化が早くなり、新製品を上市するころには開発当初とは市場の状況が変化しているケースが増えてきた。熾烈かつグローバルな開発競争のなかでは、市場に他社が供給している技術も次々に変わっていき、そのなかで顧客のニーズもどんどん更新されていくのである。


■開発開始後の市場性評価と新指標の導入


市場の変化が早くなっているのであれば、開発の速度を上げる必要がある。変化が加速する市場環境のなかで開発の成果を維持するにはどうすればよいか。開発プロジェクトのリーダーに尋ねれば、ほぼ間違いなく「開発スタッフの増員が必要」という答えが返ってくるだろう。だが、そのために闇雲にスタッフの増員を行えば、コスト倒れになりかねない。


積水化学工業は、開発プロジェクトへの着手まではもちろん、開発を開始した後も、市場性の評価を短いサイクルで繰り返し行うことにした。3カ月ごとにゲートを設けて進捗評価を行うとともに、その間の市場性の変化で開発の方向性を再検討したり、場合によってはプロジェクトを停止し、より有望なプロジェクトに注力したりするしくみを取り入れたのである。こうすれば、開発スタッフの数をいたずらに増やさなくても、市場の変化を開発に織り込み続けることが可能になる。


この3カ月ごとの評価のため、積水化学工業は2013年に「K値」というフレームワークをつくり、まずは高機能プラスチックスカンパニーの研究開発に導入した。K値とは、「開発の方向性の再検討や、停止に踏み切るかの判断に用いる値」という意味である。


図表1に示すように、K値による評価では、「技術の強み」を縦軸、「顧客の評価」を横軸とするマトリクスに、開発中のテーマをプロットしていく(なお、積水化学工業では、縦軸の技術の強みを「攻略軸」、横軸の顧客の評価を「市場・顧客軸」と呼んでいる)。


■「K値」による評価が明らかにするもの


K値による評価を通じて、市場性に難のある開発テーマが洗い出される。ここでいう市場性の有無とは、需要と競争という2つの課題への対応力があるか、ないかである。


K値にもとづき、開発の見直しを求められることになるのは、図表1のマトリックスの右上のセル(技術の強み=競争力と、顧客の評価=需要が、ともに高い)を除く、3つのセルに位置づけられることになったプロジェクトである。顧客の強い購買意向が見込めない、あるいは自社独自の技術の強みを実現する目処が立たないテーマでは、そのまま開発を継続しても、収益への貢献にはつながりにくい。上市してもその新製品を積極的に購入しようとする顧客が現れなかったり、顧客はいても他社への競争優位がなかったりするような状態では、売上げや利益は生まれにくいからである。


このK値の考え方は、現在では高機能プラスチックスカンパニーだけではなく、全社に広がっている。


■開発リーダーとて万能ではない


K値の導入は、なぜ必要だったか。この問題は、限定された合理性、すなわち人間のスパン・オブ・コントロールの限界を前提に、考える必要がある。


変化に対応する負荷が増した状況のもとで、開発プロジェクトのリーダーにプレッシャーを加えるだけでは、問題は解決しない。彼らリーダーは有能ではあっても、万能ではない。


積水化学工業の開発プロジェクトでは、社内で開発テーマが承認された後は、その進捗管理は開発チームに委ねられる。チームのリーダーを任される技術者は、開発テーマにかかわる高い専門性を備え、かつ困難に直面しても挑戦を続ける、つまりアクセルを踏み続けられる人物である。


しかし、プロジェクトをマネジメントするには、アクセルだけではなく、ブレーキやハンドルもおろそかにしてはならない。前述した3カ月ごとの評価を導入するにあたって、積水化学工業では開発プロジェクトの推進役と評価役を切り離すことにした。開発チームは推進に専念する一方、ブレーキングやハンドリングにあたる評価は、開発チームの外部で行う体制にしたのである。


■評価される側の「納得感」をどう担保するか


K値による評価は、場合によっては開発の方向性の再検討や、中止をうながすことになる。したがって、その評価は、開発に注力してきたチームのリーダーやスタッフが納得できるものでなければならない。


K値による評価は、よってたかっての評価となる。「技術の強み」については、その技術に通じている社内の複数の専門家によって評価が行われ、各開発中のテーマが実現可能な差別化の程度を数値化する。


この評価のベースとなるのが、各研究所が定期的に行っている自社技術の優位性のモニタリングである。積水化学工業では機能性樹脂材料、微粒子、工業化住宅生産など、26の分野でコア技術を設定。これらの分野での自社の優位性について、各研究所が定期的に、機能項目ごとに競合他社と比較しながら定量的評価を行っている。


「顧客の評価」を担当するのは営業サイドである。開発中のテーマが顧客のニーズをとらえたものであり、販売見込みがどの程度あるかの評価を行う。一般に消費財などでは、未来の顧客のニーズを正確に予測することは難しい。しかし、BtoBの分野では、その開発が成功すればぜひ採用したいという意向を有力企業がもっていることを確認できれば、将来の販売見込みは堅い。


もちろんこの有力企業の意向も、時間とともに変化していくわけだが、これについては3カ月ごとの点検を怠らないようにすればよい。


■再び拡大した新製品の売上げシェア


積水化学工業はこれまでの実績を通じて、国内外の有力企業とのあいだに強い関係性をもつ。以前はカンパニー傘下の事業部ごとに営業を行っていたが、現在ではカンパニーとして統合化した営業活動を行っている。これが営業の効率化とともに、相手企業との関係性強化にもつながり、開発中のテーマに対する確度の高い顧客の評価を入手できる状況をもたらしている。


K値による3カ月ごとの評価の導入によって、積水化学工業の新製品の売上げは再び拡大に転じている。K値を導入した時点では「技術の強み」も「顧客の評価」も高くないテーマが開発プロジェクトの多くを占めていたが、現在では、「技術の強み」と「顧客の評価」の両方でポイントが高いテーマが、その多くを占めるようになっている。


■ペロブスカイト太陽電池もK値評価から生まれた


ペロブスカイト太陽電池も、このK値による評価から生まれた成果である。当初は別のタイプの太陽電池技術の開発を進めていたが、その技術では顧客のニーズはあるものの、他社に対する技術的優位性は見いだしにくかった。そこで、封止樹脂(材料技術)や精密塗工(生産技術)など、自社ならではの技術的な強みが生かせるペロブスカイト太陽電池に切り替え、開発を進めることにした。


ペロブスカイト太陽電池は薄さ、軽さ、曲げやすさなど優れた特性をもつ一方、耐久性に課題があった。そのなかで積水化学工業は、10年の耐久性能を実現するなど、世界の開発競争の先端を走っている。


■イノベーションの活力を保つための改革


積水化学工業は、イノベーティブな新製品の開発によって成長を果たしてきた企業である。このような技術革新を成長のエンジンとする企業が取り組まなければならないのは、技術のフロンティアに絶えず挑むとともに、競争対応と顧客対応からなる市場問題に挑むという、複線的な挑戦である。


2010年代に入るころ、後者の市場問題に気づいた積水化学工業は、その解決の鍵は開発テーマの迅速かつ柔軟な見直しだと考えた。そこからK値と、これを用いた進捗評価の制度、マネジメントの体制がつくりあげられていく。


イノベーション企業が活力を保ち続けるには、組織の制度とマネジメントを、時代に合わせて高度化していく必要がある。K値導入後の積水化学工業は、ペロブスカイトをはじめとする時代を先取りする新製品を着々と生み出している。


さらに、AIなどを活用して材料の配合から生じる物性などを予測する「マテリアルズ・インフォマティクス」システムの開発、大学や企業などとの外部連携を加速するためのオープン・イノベーション施設の開設、事業化への挑戦のアイデアを社内から募る社内起業家制度の創設など、開発のスピードを上げるための仕組みを強化している。


現代の市場における困難の一つは、過去の開発の成果の賞味期限が短くなっていることである。積水化学工業は、開発のための組織の制度とマネジメントを工夫することで、その困難への対処を進めている。


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栗木 契(くりき・けい)
神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。
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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)

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