"新NISA貧乏"まで出現…エコノミスト指摘「社会保険料+税の増加率が断トツ1位の日本に広がる貧乏性の正体」
2025年5月16日(金)17時15分 プレジデント社
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※本稿は、永濱利廣『新型インフレ 日本経済を蝕む「デフレ後遺症」』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■日本が「貯め込み経済」になったワケ
現代の日本人にとって、今使えるお金よりも、将来のためのお金のほうが大切になっている。だからこそ消費停滞が定着し、「貯め込み経済」になってしまっているのである。
その背景にあるのは、本書で先述した通り「不安」である。ではなぜ、これほど不安なのか、簡単にポイントを挙げておこう。
1 老後資金の不安
少子高齢化が進む中、「老後は年金がもらえない」「年金だけでは暮らしていけない」と考える人が増えている。もちろん、将来を考えて慎重になるのは当然のことだ。だが、必要以上に不安が大きく膨らんでいることが消費停滞につながっている。
たとえば、2024年に公表された年金の財政検証によれば、夫婦の年金額は2024年度の22万6000円から、33年後の2057年には21万1000円に減少するとされている。しかし、これは物価上昇を考慮した実質額であり、名目の受取額が減少するわけではない。
しかも、実際の年金財政は5年前の財政検証時より改善傾向にある。労働参加率や外国人労働者数、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用成果などの上振れがプラスに働いているためだ。
それにもかかわらず、偏った一部の専門家やメディアの報道などにより多くの人々は「年金がもらえなくなる」と誤解し、不安を募らせている。しかし、これからの日本で心配なのは、「将来の年金」よりも「将来の経済」だろう。最もお金を使う時期にある現役世代が消費を控えていては、需要は停滞したままで、経済成長の妨げとなってしまう。
■所得が増えても消えない不安
2 教育費の不安
子どもの教育費用が高額になる不安から、早くから貯蓄に注力する家庭が多い。それ以前に、「経済的に育てていけないから、産めない」「子どもを作れないなら、結婚しなくてもいい」と考える人すら珍しくなくなってしまっている。
「子ども一人につき、幼稚園から大学卒業までかかる教育費は、すべて私立だと約2000万円」と言われている。確かに大変な金額ではあるが、十数年分の費用を一括で用意する必要はない。さらに、教育費に対する支援策は着実に進んでいることにももっと注目すべきだろう。
3 住宅ローンの不安
日本人にとって、最大の支出は住宅購入だろう。住宅ローンという高額な借金を抱えている世帯は、所得が増えたとしても「ローン返済がある」という不安が強く、消費には向かいにくい。2025年1月の日銀の利上げ決定で、「さらに借金の返済がきつくなる」という不安は膨らんでおり、実際に金利が上がる前の繰り上げ返済増加が消費を抑制している可能性が総務省の家計調査からも確認されている。
こうした3つの不安のほかにも、雇用環境の不安、社会保障の負担増への不安も増している。
写真=iStock.com/takasuu
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■不安を増幅させるメディアとSNS
デフレマインドが国民性となった背景にある3つの不安は、合理的に考えれば拭い去ることも可能なはずだ。しかし、不安とはそもそも不合理なものである。
さらに、不安を増幅させる“装置”も今の世の中には備わっている。メディアとSNSだ。
典型的なのが「老後2000万円問題」を一部のメディアなどが煽(あお)ることで、不安が増幅してしまったことである。正しい情報提供は金融リテラシーを高めるために不可欠と言えるが、歪(ゆが)められた情報も少なくない。
なぜ、不安を増す情報を発信するメディアが出てくるかといえば、すでにおわかりの通り「売れるから」である。既存のSNSが正しいかと言えば、玉石混淆(こんこう)であることは、改めて述べるまでもないだろう。だからこそ、正しい情報を見抜く目を持たなくてはならない。
たとえば「国民一人当たりの政府債務が1000万円」というと、「日本国民は借金まみれってことじゃないか」と、日本の経済状態が悪化しているように響く。
だが、政府債務は個人の借金とは性質が違う。経済の安定化に政府債務はある程度必要なものであり、過度に心配することではない。説明不足ゆえに人々の不安が増している典型的な例である。
■お金そのものへの執着を強めていった日本人
こうしたことから、人々の消費を促進すべく意識改革をするのは、想像以上に難しいだろう。なぜなら、トラウマと不安を抱えた30年を過ごしたことで、お金に対する価値観が完全に歪んでしまっているからだ。
「お金そのものは単なる紙切れだから、何かに換えなければ意味がない」
バブル期によく聞かれた発言は、今や揶揄(やゆ)されたり、冷ややかな目で見られたりしがちだ。しかし、経済の仕組みを考えれば、実はこれが正しい感覚なのである。
そもそもお金とは、生活を豊かにしたり目標を達成したりするための手段にすぎない。貯めておいたらただの紙、いや、デジタル化が進んでいる今はただの「データ」だ。
ところが日本では、貯蓄すること自体が目的化している人も少なくない。デフレが長期化する中で、日本人はモノやサービスよりも「お金そのもの」への執着を強めていったのである。あたかも黄金の魅力に取り憑(つ)かれた、大航海時代の海洋帝国のように。
その結果、多くの人が貯めたお金を使い切れないまま人生を終えることになっている。
写真=iStock.com/masamasa3
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■新NISAは投資のはずが貯蓄の手段に
お金に対する価値観の歪みは、新NISAなどの金融商品への向き合い方にも表れている。
貯蓄一辺倒の日本人に投資を促す「政府の政策」としてはある程度成功していると言え、インターネットの普及で投資情報にアクセスしやすくなったことなども功を奏している。特に若い世代では積極的に投資をし、資産形成に取り組む人が増えている。
写真=iStock.com/petesphotography
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ところが、投資のはずが新たな貯蓄の手段となり、「NISA貧乏」という言葉さえ生まれている側面もある。
「お金を増やしたい」「老後に備えたい」と熱望するあまり、消費を極端に削って投資に回すということが起きているのであれば、本末転倒な状況が生まれていると言えよう。
しかし、不安だけがデフレマインドを固定させ、消費を抑制しているわけではない。そこで続いては、不安以外の構造的な問題についても指摘しておきたい。
■社会保障と税で手取りが激減
日本では、健康保険加入が義務とされており、原則としてすべての人が同じように医療サービスを受けられる。
永濱利廣『新型インフレ 日本経済を蝕む「デフレ後遺症」』(朝日新書)
一方、「健康保険加入は任意」という州が多く、民間保険が主のアメリカでは、「医療費が怖くて病院に行けない」という人が少なからずいる。両国を比較すれば、平均的な医療サービスが優れているのは日本であることは間違いない。
だが皮肉にも、これが消費を抑制する一因となっている。現に、日本における2010年を起点とした国民負担率は8%ポイント近く上昇しており、G7で突出しているのだ。
そして、2位のドイツの上昇幅が3%ポイント程度であることを見れば、“ダントツ1位”の上昇幅となっている。賃金上昇で額面の収入が増えても、税金や社会保険料が増えて可処分所得が減るのなら、消費に回すお金は少なくなるのは当然である。
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永濱 利廣(ながはま・としひろ)
第一生命経済研究所経済調査部 首席エコノミスト
1995年早稲田大学理工学部工業経営学科卒。2005年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年第一生命保険入社。98年日本経済研究センター出向。2000年4月第一生命経済研究所経済調査部。16年4月より現職。内閣府経済財政諮問会議政策コメンテーター、総務省消費統計研究会委員、景気循環学会理事、跡見学園女子大学非常勤講師、国際公認投資アナリスト(CIIA)、日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、あしぎん総合研究所客員研究員、あしかが輝き大使、佐野ふるさと特使、NPO法人ふるさとテレビ顧問。
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(第一生命経済研究所経済調査部 首席エコノミスト 永濱 利廣)