なぜ道徳の書で「商人の才覚」が学べるのか?渋沢栄一が語る「士魂商才」とは

2024年10月22日(火)4時0分 JBpress

 稀代の企業家にして、社会事業家。新一万円札に肖像が採用された渋沢栄一は、日本近代資本主義の父とも呼ばれる。大正5(1916)年に刊行された講演録『論語と算盤』は、金儲けは卑しいものとされ道徳とは相容れないと考えられていた時代に、論語を基にした道徳とビジネスを調和させることで社会をよりよくできることを示して、社会に大きな影響を与えた。本連載では、『詳解全訳 論語と算盤』(渋沢栄一著、守屋淳訳・注解/筑摩書房)から、内容の一部を抜粋・再編集。今や大谷翔平選手の愛読書としても知られる本書を、分かりやすい現代語訳と詳細な注釈を通じて読み解く。

 第2回は、「商才」も元来は道徳を根底としていることを説き、『論語』を下敷きにした教えの普遍性を語る。

<連載ラインアップ>
■第1回 道徳と富は相反する? 稀代の企業家・渋沢栄一が説く「道徳経済合一」とは
■第2回 なぜ道徳の書で「商人の才覚」が学べるのか?渋沢栄一が語る「士魂商才」とは(本稿)
■第3回 自分ではどうにもできない…逆境に立たされた渋沢栄一が考えた「唯一の策」とは?
■第4回 「武士は喰わねど高楊枝」はなぜ誤解なのか?渋沢栄一が諭す「仁の徳」と「財産」を両立させる方法(11月5日公開)
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士魂商才

 昔、菅原道真〔すがわらのみちざね〕(5)は「和魂漢才〔わこんかんさい〕(日本独自の精神と中国の学問をあわせ持つ)」ということを言った。これはおもしろいことだと思う。

 これに対してわたしは、常に「士魂商才〔しこんしょうさい〕(武士の精神と、商人の才覚とをあわせ持つ)」ということを提唱している。

 まず「和魂漢才」とは、次のような意味になる。日本人たるもの、何より日本に特有のヤマト魂というものを基盤としなければならない。しかし中国は国も古いし、文化も早くに開けて孔子や孟子(6)のような聖人・賢者を出しているため、政治方面、文学方面ほかにおいて日本より一日〔いちじつ〕の長がある。

 それゆえ、中国の文化遺産や学問もあわせて修得して、才能を養わなければならない。中国の文化遺産や学問のなかには、書物も沢山あるけれども、孔子の言行を記した『論語』がその中心になっている。

『書経〔しょきょう〕』『詩経〔しきょう〕』『周礼〔しゅらい〕』『儀礼〔ぎらい〕』(7)などの、禹〔う〕王(8)や湯〔とう〕王(9)、文王や武王、周公(10)のことを書いた書物もあるが、それらも孔子が編纂したと伝えられている。このため、中国の伝統的な学問といえば孔子の学問を意味し、孔子が中心となっている。

 そんな孔子の言葉と行動が書いてあるのが『論語』であるので、菅原道真公もこれをたいへん好んで口ずさんだ。応神〔おうじん〕天皇のとき、百済〔くだら〕(4世紀から7世紀に朝鮮半島にあった国)から来た王仁〔わに〕という学者が『論語』『千字文〔せんじもん〕』(11)を献上したが、このうち朝廷に伝えられた『論語』を筆写して伊勢神宮〔いせじんぐう〕の大廟〔たいびょう〕に献じたものが、「菅本〔かんぽん〕論語」と世に言われるもので、現存しているのである(12)

「士魂商才」というのも同じような意味で、人の世の中で自立していくためには武士のような精神が必要であることは言うまでもない。しかし武士のような精神ばかりに偏って「商才」がなければ、経済の上からも自滅を招くようになる。だから「士魂」とともに「商才」がなければならない。

 その「士魂」を、書物を使って養うという場合いろいろな本があるが、やはり『論語』が最も「士魂」養成の根底になるものだと思う。では「商才」の方はどうかというと、こちらも『論語』で充分養えるのだ。

 道徳を扱った書物と「商才」とは何の関係もないようであるけれども、「商才」というものも、もともと道徳を根底としている。不道徳やうそ、外面ばかりで中身のない「商才」など、決して本当の「商才」ではない。

 そんなのはせいぜい、つまらない才能や、頭がちょっと回る程度でしかないのだ。このように「商才」と道徳とが離れられないものだとすれば、道徳の書である『論語』によって「商才」も養えるわけである。

(5)845〜903 平安時代の政治家、学者。濡れ衣をきせられ大宰府に左遷、そこで没したことから、後世その祟りを恐れて「天神様」として祀られるようになる。
(6)前372?〜前289 本名は孟軻〔もうか〕。中国の戦国時代に活躍した思想家。人間の本性は善であるという「性善説」を唱えたことで有名。
(7)『書経』『詩経』『周礼』『儀礼』は、いずれも中国の貴族や為政者が基礎教養とした書物。孔子が編纂にかかわったか否かは現代では諸説ある。
(8)夏王朝(前21世紀頃〜前16世紀頃)の創始者。
(9)殷王朝(前16世紀頃〜前1050頃)の創始者。
(10)周王朝(前1050頃〜前256)の礎を築いたのが父の文王で、実際に殷王朝を倒して創始したのが武王。弟の周公は周公旦ともいい、周王朝の文化制度を作ったといわれ、孔子が最も尊敬していた人物。
(11)『千字文』は、初心者の漢字学習用のテキスト。
(12)王仁という人物が日本に『論語』をもたらしたという伝承は『古事記』にあるが、史実と合わない部分もあり、王仁の実在やその伝承の真贋については諸説ある。また、そのもたらした『論語』を菅原道真が筆写したという「菅本論語」も現存していない。

 また世の中を渡っていくのは、とても難しいことではあるけれども、『論語』をよく読んで味わうようにすれば、大きなヒントも得られるものである。だからわたしは、普段から孔子の教えを尊敬し、信ずると同時に、『論語』を社会で生きていくための絶対の教えとして、常に自分の傍から離したことはない。

 わが国でも賢人や豪傑はたくさんいる。そのなかでも最も戦争が上手であり、世間とつきあっていく道に秀でていたのが徳川家康公である。世間とのつきあい方がうまかったからこそ、多くの英雄や豪傑がひれ伏し、15代続く徳川幕府を開くことができた。だから200年余りの間、人々が枕を高くして寝ることができた。これは素晴らしい偉業である。

 そんな世間とのつきあい方のうまい家康公であるから、いろいろな教訓を遺している。徳川家康の遺言として有名な『神君遺訓〔しんくんいくん〕』(13)なども、われわれが参考とすべき世間とのつきあい方が、実によく説かれている。そして、そんな『神君遺訓』を私が『論語』と照らし合わせて見ると、とてもよく符合しているのだ。やはり大部分は『論語』から出たものだということがわかった。

 たとえば、「人の一生は重荷を背負って、遠い道のりを行くようなもの」 とあるのは、『論語』の、

「指導的立場にある人物は、広い視野と強い意志力を持たなければならない。なぜなら、責任が重く、道も遠いからである。なにしろ、仁の実現をわが仕事とするのだ。重い責任と言わざるを得ないではないか。さらに、そういう責任を背負って死ぬまで歩き続けるのだ。遠い道と言わざるを得ないではないか」(14)

 という曾子〔そうし〕(15)の言葉と重なり合ってくる。

 また遺訓にある、「自分を責めて人を責めるな」というのは『論語』の、「自分が立とうと思ったら、まず人を立たせてやる。自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる」(16)という句の意味からとったものだ。

 さらに、「足りないことは、多すぎることより優れている」 というのも、「行きすぎも不足も似たようなものだ」(17)という孔子の教えと一致している。

 家康が、「我慢することは無事に長く平穏でいるもと。怒りは敵と思え」と述べた部分も『論語』にある、「自分に打ち克って、礼に従う」(18)という意味からとったものだ。

「人はひたすら身のほどを知るべきだ。草の葉にある露も、重いと落ちてしまう」とは、自分の社会的役割を自覚し、果たせということであり、また、「不自由が当たり前だと思えば不満はなくなる。心に欲望が起こったら困窮していた時のことを思い出すべきだ」「勝つことばかりを知って、負けることを知らないと、危害を身に受けることになる」というのと同じ意味の言葉は、『論語』の各章で何度も繰り返し説かれている。

 家康公が世間とのつきあい方に秀でていたことと、200年余りの徳川幕府を開かれたことは、そのほとんどが『論語』の教えから来ているのである。

(13)『東照公遺訓〔とうしょうこういくん〕』ともいう。現代では偽作とする見方が有力で、徳川光圀〔みつくに〕作という説もある。儒教が江戸幕府に定着し始めたのも、実際には五代将軍綱吉の頃からと言われている。
(14)『論語』泰伯編7 士は以〔もつ〕て弘毅〔こうき〕ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己〔おのれ〕が任となす。また重からずや。死して後已〔や〕む。また遠からずや。
(15)前505〜前436 名は参〔しん〕。孔子の死後、魯の国における孔子学派を引き継いだ。
(16)『論語』雍也篇30 己〔おの〕れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す。
(17)『論語』先進篇16 過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。
(18)『論語』顔淵篇1 克己復礼〔こっきふくれい〕。

<連載ラインアップ>
■第1回 道徳と富は相反する? 稀代の企業家・渋沢栄一が説く「道徳経済合一」とは
■第2回 なぜ道徳の書で「商人の才覚」が学べるのか?渋沢栄一が語る「士魂商才」とは(本稿)
■第3回 自分ではどうにもできない…逆境に立たされた渋沢栄一が考えた「唯一の策」とは?
■第4回 「武士は喰わねど高楊枝」はなぜ誤解なのか?渋沢栄一が諭す「仁の徳」と「財産」を両立させる方法(11月5日公開)
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筆者:渋沢 栄一,守屋 淳

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