『徹子の部屋』50年目へ。黒柳徹子「毎年8月は、ゲストに戦争体験を語ってもらう。平和の実現が、テレビの大きな使命のひとつだと思っているから」
2025年2月28日(金)12時29分 婦人公論.jp
『徹子の部屋』の番組セットはお茶の間ですっかりお馴染み(写真提供:テレビ朝日)
〈発売中の『婦人公論』3月号から記事を先出し!〉
テレビの草創期から活躍を続ける黒柳徹子さん。91歳になる彼女が今もMCを務める『徹子の部屋』は、2025年2月2日で50年目に突入。本日(2月28日)夜8時からは、50年目を記念した、『徹子の部屋50年目突入SP』が放送される。半世紀もの間、1万人以上のゲストと対話してきた徹子さんに、番組への思いを聞いた(構成:篠藤ゆり)
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<前編よりつづく>
自分が楽しまないと面白いものにならない
ここ数年は、テレビだけではなくユーチューブもやっています。ユーチューブは気を許して、素の状態をお見せしているけれど、やっぱり自分が楽しいって思っていないと、面白いものにはならないと思います。
たとえば、普段はあまりスーパーマーケットに行かないので、ハワイでスーパーに行ったりすると、なんだかすごく楽しくなっちゃって。これはなんだろう、あれはどんな味なのかなって、ちょっと興奮してくるのね。それをそのままお見せしています。
2024年にタイに行った時は、「まだできるかしら」と思って久しぶりにホテルのプールで水中ヨガをやってみたら、できたんです。仰向けになってぷか〜っと浮かぶんですけどね。
ずいぶん前にインドの行者さんみたいな人が10年くらい練習したと言ってたので、そんなに難しいもんかなと思ってやってみたら、簡単にできちゃった。長年修行を積んだ行者さんからしたら、面白くないかもしれないわね(笑)。
そういえば日本の俳優の方と一緒にやってみたこともあるけど、その方はすぐブクブク沈んじゃいました。(笑)
「自分がテレビに出ることで少しでも平和に寄与できるなら、こんな素敵なことはないと思ったの」(撮影:下村一喜)
長く続けることの寂しさと楽しさ
『徹子の部屋』では、毎年8月15日前後に、ゲストの方に戦争体験を語っていただいています。それは、平和な世の中を実現するために何かするのが、テレビの大きな使命のひとつだと考えているからです。
NHKがテレビ放送を始めるにあたって、当時アメリカのNBCのプロデューサーだったテッド・アグレッティーさんという方が、技術的なことも含めていろいろアドバイスをしてくださったんです。
私たちも講演を聞いたんですけど、その時、「これからテレビで、よそのうちの晩ご飯も、どこかの国の結婚式も見ることができる。そして戦争さえ、家のテレビで見られるようになる。テレビには力があるから、それを見てみんなが戦争は本当にイヤだと思ったら、平和に寄与できるはずだと」とおっしゃった。
私は子ども時代、戦争を経験しているので、本当に戦争がイヤでたまらないんです。ですからその話を聞いて、自分がテレビに出ることで少しでも平和に寄与できるなら、こんな素敵なことはないと思ったの。
だからいろいろな方からお話を伺うようにしてきたんですけど、だんだん戦争経験者もいなくなってきました。
いなくなると言えば、『徹子の部屋』に出演してくださった方が亡くなるのも寂しいですね。
たとえば野際陽子さんはNHK時代から一緒で、とても仲がよかったので、「あっ、もういないんだ」と思うと、本当に悲しい。年をとればとるほど、まわりの方がいなくなっていくのは仕方ないことだけど……。
そういえば若い頃、「私、100歳まで生きるッ!」と大騒ぎしたら、小沢昭一さんから「100まで生きたら、まわりに誰もいなくなって寂しいよ。『あのさぁ』と話しかけようと思っても、誰もいないんだよ」と言われて。
私、「ひどい、ひどい!」って泣いちゃって、「じゃあ100まで生きない」なんて言ったりしたことがあったんですけどね。『徹子の部屋』も長く続いたぶん、追悼の機会が増えて、そういう時はしんみりしてしまいます。
その一方で、かつて出てくださった方のお子さんやお孫さんが出られて、「まぁ! あんなにちっちゃかった子がこんなに立派になって」なんてこともあるでしょう。歌舞伎のお家の方などは、3代くらいにわたって出てくださったり。
あの方のひ孫さんがこんなに成長されたんだ、なんていうのを見ていると、本当にうれしくなりますし、元気に成長していただきたいなと思いますよね。
何歳になっても好奇心を失わずに
2025年が明けてまだそれほど経っていませんが、つくづく思うのは、戦争への不安がまったくない年になってほしい、ということ。せっかくこの世に生まれてきたのだから、みんなで楽しく生きていったほうがいい。戦争なんてもったいない。
私個人の今年の抱負としては、いろいろなものにますます興味を持って、楽しく過ごしたい。そして、面白いものを見つけたら、それをちゃんと書いておきたいなと思っています。
そういえば以前『婦人公論』で、「100歳になったら政治ジャーナリストになりたい」とお話ししました。100歳の政治記者が「総理、総理、なんでこんなことになっているんですか?」なんて詰め寄ったら、さすがに答えてくれるんじゃないかな、と思って。(『婦人公論』2022年5月号)
でも最近はちょっと足腰が弱ってきたので、囲み取材で後ろからほかの記者に押されて転んだらイヤだなぁと思うようになりました。なのであの件に関しては、前言撤回します。(笑)
でも、100歳っていったって、もうすぐですよね。まぁ、何歳まで生きるかはわからないけれど、とにかく好奇心を失わず、日々、楽しいなぁと感じながら過ごしていきたいですね。
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