青木さやか「毎週通っていたスタジオアルタが閉館。『いいとも!』観覧に来た祖母と母の嬉しそうな顔が忘れられない」

2025年3月5日(水)12時0分 婦人公論.jp


写真提供:青木さん 以下すべて

お笑いの仕事だけでなく、女優・エッセイストとしても忙しい毎日を送る青木さん。今回は「毎週アルタに通っていた人として」を綴ります。

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思い出深い場所


スタジオアルタ閉館。 思い出深い場所 アルタ前で待ち合わせをしたし、子どもの頃は『笑っていいとも!増刊号』が楽しみで仕方なかった。テレビの向こう側はキラキラしてタモリさんが笑ってると、その笑いがよくわからなくても、つられて笑って、自分もセンスよくなったような気がした。

ずっと観ていた『笑っていいとも!』に30代の時にはレギュラー出演させてもらい、毎週アルタに通った。憧れの番組に出て嬉しい、という喜びよりも、日々やり過ごす必死さが勝って、全く話せなかった、笑いに繋がらなかった、とそんなばかりが頭をよぎったりして顔は笑いながら異常な緊張感でいたように思う。

本番中のことは、よく覚えてない。だけど、わたしが言ったことでタモリさんが笑ってくれたとき、むちゃくちゃ嬉しかった!ということは、よく覚えてる。

いいともレギュラー出演中に、産休をとらせてもらった。産休前にタモリさんに安産祈願のおまじない?みたいなものをしてもらい、安産の色紙も書いてもらった。産後いいともの生放送と電話を繋ぎ、「産まれました」と報告した。喜び、というより、この話がウケただろうか、真面目すぎたか、いやもっと普通の話すればよかったか、とか、そんなことばかり考えて、やっぱり緊張感でよく覚えてない。


本連載から生まれた青木さんの著書『母』

ありがとう。アルタ。


『笑っていいとも!』の、たしか1年に一度の、キャスト勢揃いの夜の生放送スペシャルの本番前のことは、よく覚えてる。

アルタはもともと楽屋の数が少ないから、3畳ほどの狭い楽屋に3、4人のキャストがいる。そんな狭い楽屋に誰かといると緊張するから、わたしは裏の階段にいた。あまり人の来ない裏の階段が好きだった。

そこで劇団ひとりさんと品川庄司の品川さんと3人で話した。本が書きたいと、2人は言って、わたしも書きたいと言ったことをよく覚えてる。今も脚本を書いたりしている2人をみるたびに、その時のことを思い出す。

『笑っていいとも!』の生放送に母と祖母が観覧に来たことがあって、生放送中、わたしはとても観客席を直接見る余裕はなかったが、生放送で2人の顔がうつった。モニターごしに観た、楽しそうで高揚感でいっぱいな母と祖母の顔は今も忘れられない。なんと贅沢な授業参観。

ありがとう。アルタ。

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