タブレット純「8年働いた古本屋での仕事は、警察の気配を感じたら《ビニ本》と《裏ビデオ》を隠す事。そんな自分が、引っ越しで捨て犬となったムクと重なり」
2025年4月14日(月)12時30分 婦人公論.jp
古本屋でのバイト(写真はイメージ/写真提供:Photo AC)
あなたは「タブレット純」を知っていますか?《ムード歌謡漫談》という新ジャンルを確立しリサイタルのチケットは秒殺。テレビ・ラジオ出演、新聞連載などレギュラー多数、浅草・東洋館や「笑点」にも出演する歌手であり歌謡漫談家、歌謡曲研究家でもあります。圧倒的な存在感で、いま最も気になる【タブレット純】さん初の自伝本『ムクの祈り タブレット純自伝』より一部を抜粋して紹介します。
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古本屋の終焉
ついに、古本屋が潰れることになった。
高校を出てその年の冬から、八王子から3つ先の相原という古ぼけた駅近くの小さなお店でバイトを始め、もう8年もの月日が流れていた。
社会に交われないぼくにとって、唯一の避難場所、というか雨宿りのような暗がり。トランジスタラジオだけを生きる糧に、レジ室の洞穴だけが、ぼくの「社会人」としての幽かな居場所だった。
ここが無くなることは、つまり野良犬になるということに等しい。野良犬。
この古本屋に来た時から、ぼくは1匹の犬と自分を重ね合わせることが多くなっていた。幼少の頃、いつも遠くからぼくを見ていたムク。
薄汚れた毛と生え変わった毛をいつもまばらに散りばめたような印象のその犬は、我が家の飼い犬だった。
近づくと激しく吠えるけれど、家の窓越しに目が合う時は、寂しそうな黒目をシュンと照らしていた。
悲しいかな、ムクのことを家族はみな持て余していたように思う。少なくともぼくは怖くて近づくことができなかった。
「ムクのいえ」と、マジックインキのよれた文字を沁みつかせたその小屋を、父が日曜大工であくせく拵(こしら)えた昼下がりもぼんやり思い出すことができるけれど、そんなゆるい団欒ほどには、ムクを手放しに可愛がれていなかった。
野良犬になったムク
そして、ムクは手離され、野良犬になったのだ。
表向きの理由は、「引越し先に庭がない」というものだった。あとはきっと「重たくのしかかったローン」。
当時一家は、父の勤める建築会社の資材置き場にあるバラックのような掘立て小屋に暮らしていたのだが、しかし転居先にも、例えば納屋の片隅にだってその居場所はつくれたような。新居の傍らで罪悪感が、家族にぽっかり影を落とした。
あの洞穴のような眼差しは、きっと将来捨てられるであろう未来を予見していたのではないか。
ぼくもこの古本屋で、ここを安住の地として一生やり過ごすことができるとは、心の奥では思っていなかったように思う。
いつかは冷たい世間の荒波に放たれるような予感。そんな不安が、ぼくとムクの遅すぎる友情を育んでいた。
この犬小屋のようなレジ室で指先を汚しつつ、ムクへの贖罪の念を、古本の白茶けた「天」や「小口」のヤスリ掛けに日々溶かしながら……。
『ムクの祈り タブレット純自伝』(著:タブレット純/リトル・モア)
古本屋での実質的な任務
それにしても、この古本屋が潰れることは、もうずっと時間の問題だったように思う。とにかく滅多にお客が来ないのだ。
ぼくの主な仕事と言えば、実は「警察の気配を感じたら、違法な数冊の《ビニ本》と、市販のテープにダビングしただけの数本の《裏ビデオ》を棚から引き下げる」こと。
それがぼくに与えられた実質的な任務だった。
そんな訳のわからない「特殊な嗅覚」を強いられたことも、ぼくの中に犬を同化させた所以の1つだったかも。
いまにして思えばぼくは、世間の荒波どころか、世間から隔絶されたブタ箱行きの切符も紙一重で握らされていたのかもしれない。
というわけで、その店での「真のお客」は、夜更けにこそこそと入ってくる怪しい常連にのみ限られていた。主役は裏で、あとは表向き古本屋、といったところか。
いや、ぼくが来た当初は素朴な「町の古本屋」という風情をちんまり保っていたのだけれど、やはりもう純然たる文学書などは埃をかぶるご時世になっていて、やむなくエロ方面に手を染め、やがてエロ勢力に支配されていったというべきだろう。
ちなみに、裏でない一般のエロ雑誌も定期的に仕入れていて、それらは内部で《魚住》と呼ばれていた。
廃棄本を流通しているその先の屋号で、その名残りでぼくは今でも、草むらに落ちている色褪せたエロ本を見かけると、「あ、ウオズミ」と死んだ魚のように心が呟いてしまう。
※本稿は『ムクの祈り タブレット純自伝』(リトル・モア)の一部を再編集したものです。
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