「実家の太さ」で差別待遇…カッとなった北朝鮮軍兵士の行動
2024年3月10日(日)8時34分 デイリーNKジャパン
米陸軍の軍曹として韓国の基地で勤務していた1965年、脱走して軍事境界線を越えて北朝鮮に入り、長年抑留生活を送った故チャールズ・ジェンキンスさん。
妻で拉致被害者の曽我ひとみさんが日本に戻った翌年、家族とともに日本に渡ることができた。そんな彼を待ち構えていたのは米軍の軍法会議だった。実際に執行された例はほぼ無いようだが、脱走の最高刑は死刑だ。結局、ジェンキンスさんには二等兵への降格、不名誉除隊、そして禁錮30日の判決が下された。
このような脱走は今でも起きており、米公共放送PBSの集計によると、2006年から2014年までの間に、脱走した米兵は2万人を越えた。
正確な数字は不明ながら、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)でもこのような脱走がしばしば起きている。このほど平壌のデイリーNK内部情報筋が伝えたのは、軍官(将校)を養成する士官学校である金日成軍事総合大学の警備兵の脱走事件だ。
事件が起きたのは、光明星節(故金正日総書記の生誕記念日)の前日の2月15日のことだった。金日成軍事総合大学の警備中隊で勤務するある兵士が脱走した。
警備中隊は、隊員の3割が平壌の裕福な家の出身で、残りの7割が地方の労働者、農民など貧しい家の出だった。そして祭日のこの期間、平壌組はほとんど休暇に不在となり、地方組の兵士は部隊に残留、勤務させられていた。
中隊長と政治指導員、小隊長は旧正月(2月10日)と光明星節を祝う特別配給の物資を調達するために、「実家の太い」兵士ばかり選んで休暇を与えていたのだ。復帰する際に「手土産」を持ち帰れということだ。
10年以上に及ぶ世界最長の兵役の間、実家に帰省することすら叶わない多くの兵士は、そんな状況に大きな不満を抱いていた。そればかりではない。中隊の上層部は、こうした機会を利用して私腹を肥やしていたのだ。
「毎年、中隊の上層部は、平壌に実家がある兵士を利用して私腹を肥やしつつ、部隊に残って勤務を続ける兵士には何の恩恵も与えず、パン一切れにタバコを与えるのがせいぜいだった」(情報筋)
歩哨は1日5交代制で行われていたが、3割もの人員がいなくなったため、2または3交代制で行われるようになった。つまり、最長で12時間もの間、連続して警備を行わされるのだ。
そんな状況に、平壌近郊の南浦(ナムポ)出身のある兵士は、カッとなって部隊を飛び出し、行方不明になってしまった。
彼は武器を置いたままで脱走したのでで、中隊の上層部は胸をなでおろした。平壌では銃器の管理が徹底されている。管理を外れてしまうことは、金正恩総書記やその家族の命に重大な影響を及ぼしかかねない大不祥事として扱われる。部隊上層部のクビが一斉に飛ぶことは言うまでもない。
だが、安心するのはまだ早い。北朝鮮では政治的に重要な日の前後に起きる事件、事故は非常に不吉なものとされており、一切の発生が許されない。光明星節特別警備週間に起きた脱走事件が上部に知られると、大問題になる。
部隊上層部はさっそく、脱走兵の実家へと向かった。彼は、実家のそばで身を潜めていたのだが、自分を探しに来た上官たちが、実家に泊まって食事まで出してもらっているという話をどこかから聞きつけ、激怒して彼らの前に姿を見せた。ただでさえ貧しい実家の両親に、上官がタカっているのが許せなかったのだろう。
両親の目の前で逮捕された彼は、玄関ドアや家の塀に頭を打ちつけながら「すぐにでも除隊させろ。部隊では殴られ続ける毎日だ。どうか部隊には戻さないでくれ」と叫び続けたという。
部隊上層部は、今回の脱走事件を外部に漏らさずに処理しようとしていたが、村人は、彼の叫び声を聞いて集まってきて、村中が大騒ぎになった。そして、南浦一帯に噂が広がり、朝鮮労働党南浦市委員会にまで知られることとなった。
情報筋が伝えたのはここまでだ。事件の発生から間もないため、処分は決まっていないものと思われるが、脱走兵本人は少なくとも、営倉(部隊内の留置所)を経て、労働連隊(軍の刑務所)行きとなるだろう。
ちなみに刑法は、脱走兵を匿った者には最高で3年以下の労働教化刑(懲役刑)に処すと定めているが、脱走兵本人に対する処罰規定は明記されていない。別途存在する軍刑法に定められているようだが、その内容は不明だ。
処分は、脱走兵本人だけで済まされるわけではない。上述のように光明星節を控えた時期に起きた不祥事で、上層部の不正行為や中隊内での暴力が原因であったからだ。このような暴力は、脱走のみならず、報復殺人、脱北など様々な問題を招く。それだけあって、中隊は徹底した検閲(監査)の対象となり、中隊そのものが解体されることも考えられる。
上層部はそれ相応の報いを受けることになるだろう。