思い出の詰まったウエルカムプラザで活躍を誓う佐藤琢磨「今年も3回目の優勝を目指してインディ500に行く」
2025年3月31日(月)7時5分 AUTOSPORT web

3月30日、ホンダ青山本社ビルの解体につき、現在のウエルカムプラザで最後のイベントとなった『Hondaウエルカムプラザ青山グランドフィナーレ』に、佐藤琢磨がゲストとして出演。会場のファンとウエルカムプラザとの別れを惜しんだ。
1997年に鈴鹿レーシングスクールを卒業して以来、一貫してホンダのドライバーとして活動を続けて来た琢磨。F1を経て現在も現役のインディカードライバーとして今年のインディ500にチャレンジする。
2輪、4輪を通じてホンダの中でも最も長く活躍している琢磨は、このウエルカムプラザに最も登場したドライバーだと言っていいだろう。
ウエルカムプラザ最後のイベントに登壇した琢磨は「僕もこのウエルカムプラザにはいろいろな思い出がありますね。F1で8年、インディカーで16年ですから長いですね(笑)」
「初めてこのステージに立たせてもらったのは、2001年のF1日本GP前に、翌年からのF1デビューが決まった時で、エディ・ジョーダンと一緒にステージに立ちました」と先日逝去したエディ・ジョーダンを偲ぶように語った。以来にレース活動の節目節目でウエルカムプラザに登場して来た。
スクリーンに過去の写真と記事が映し出されると、「これやばいなぁ」と笑いながら回顧した。
「2002年(F1デビュー)というともう23年も前ですからね(笑)。BARの2003年はリザーブドライバーで、日本GPもスポット参戦でポイントも取れていいレースでしたけど、そこまで裏方でずっとレース帯同していて、出れない日本GPに行くのは面白くないなと思っていたんです」
「だけど新幹線に乗っている時に連絡があって、日本GPに出られるとなって、そりゃあもう嬉しいのと心配と、いろんな気持ちが入り混じって鈴鹿に向かいました」と振り返る。
今年の日本GP前に突如チームが変わった角田裕毅に状況が似ていると聞かれると、「準備は大変だったと思うけど、裕毅はもう5年目だし、鈴鹿の母国GPは不思議な力が働くこともあるし、ファンの皆さんのサポートもあるから大丈夫だと思います」と角田裕毅の日本GPに期待を寄せる。
■ウエルカムプラザで受け取った思い出のNSX
またインディカーに移ってからも、このウエルカムプラザは琢磨にとって晴れの舞台であり続けた。2013年にロングビーチで初優勝した報告会を行ったり、2017年のインディ500優勝報告会には多くのファンが詰めかけ、その様子もスクリーンに大きく映し出された。
「こんなにファンの人が来てくれたんですよね。正面の入り口もこんなに大きく飾ってくれて嬉しかったですね。F1もそうだし、レースをずっと続けて来て大きな夢がひとつ叶った瞬間でした。インディジャパンがなくなってしまってから、日本のファンの前でレースをする機会がなくなってしまったのが本当に残念です。もし出来るなら35万人の観客が集まるインディ500に見に来て欲しいです、大変かもしれないけど」と言う。
またインディ500の優勝記念に当時の八郷隆弘社長からNSXを授与された納車式も、このウエルカムプラザで行ったそうだ。
「インディ500で勝った後にデトロイトに行っていたのですが、そこに八郷社長から電話がかかった来て『なんか乗りたいクルマないか』っておっしゃるから、NSX!って即答しました(笑)。ホンダ社員の皆さんの気持ちがこもった1台を八郷社長から直々にここで受け取れたんですからね。それはうれしかった」と琢磨は思い出す。
「その八郷社長が2回目にインディ500に勝った時に、コレクションホールにはいくらでもスペースがあるから3台目もぜひ!って言ってくれたんですけど……、当然今年もその3回目を目指してインディ500に行きます」
「昨年同様レイホール・レターマン・ラニガンから出ますが、エンジニアのエディ・ジョーンズやメカニック、ストラテジストは、今まで僕と一緒にレースをしてくれた人ばかりで再結集。日本にいるうちにもメールの交換しながら準備しています。今年は新車にもなるので、楽しみにしています」と抱負を語る。
チームが今季の正式発表をしてから、公の場で今年のインディ500について語るのは初めてだったが、16度目となる今年のインディ500でベテラン琢磨はどこまで輝けるだろうか。
今やHRCのエグゼクティブアドバイザー、HRSのプリンシパルとして後進を育てる立場となった琢磨。自らが受け継いで来たホンダレーシングスピリットを今も体現しながら、そして後輩に引き継いで来た。
ホンダのウエルカムプラザは、その様子をファンに報告出来る身近な所で、ホンダがファンを愛し、ファンがレースを愛した素敵な場所だった。