『クライスラー・バイパーGTS-R』名プライベーターが投入した“マッスルカー”【忘れがたき銘車たち】
2025年4月9日(水)17時30分 AUTOSPORT web

モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1997〜2000年の全日本GT選手権GT500クラスを戦った『クライスラー・バイパーGTS-R』です。
* * * * * *
全日本GT選手権(JGTC)黎明期にポルシェ962CやフェラーリF40といった個性的な外国車を投入して注目を集めた、名プライベーターである故・千葉泰常が率いたチーム・タイサン。
長きに渡ってJGTCおよびスーパーGTを支え続けたタイサンは1997年シーズン途中から、それまでの993型ポルシェ911 GT2に代えて、新たな外国車をGT500クラスに送り込む。そして、そのマシンが『クライスラー・バイパーGTS-R』だ。
バイパーは、1991年にクライスラーのブランド、ダッジから発売されたFRクーペだ。市販車ながら8.0リッターV型10気筒NAエンジンを搭載していた、いわゆるアメリカン“マッスルカー”であった。
クライスラーは、この典型的なマッスルカーをベースに8.0リッターV10エンジンというアイコンを活かしつつ、イギリスのレイナードというレーシングコンストラクターのサポートの元、レーシングカーに仕立て上げる。そのクライスラー×レイナードのタッグで生まれたマシンはバイパーGTS-Rと名付けられ、1996年よりル・マン24時間レース、BPRグローバルGTシリーズ/FIA GT選手権などを戦い、好走を見せた。
このバイパーGTS-Rの活躍に着目したタイサンは、日本への導入を決める。そして、JGTCのレギュレーションに適合させるモディファイを施したのち、1997年の第5戦MINEサーキットラウンドよりGT500クラスへ投入。土屋圭市と松田秀士のコンビがステアリングを握った。
タイサンのバイパーGTS-Rは、デビュー2戦目の最終戦スポーツランドSUGOで8位入賞するなど、可能性も感じさせる走りを見せていた。
しかしながら、大排気量エンジンを活かしたトップレベルのストレートスピードという強みを持っていたものの、それが結果に結び付かず、1998年と1999年はシーズンを通して入賞が一度ずつという状況が続いてしまった。
そして、タイサンは2000年のシーズン途中でバイパーGTS-RをGT300クラスへの転向を決断する。するとバイパーGTS-Rは、新たなクラスで意外な好走を見せるのである。