『フォードC100』新規定の幕開けを彩った短命のグループCカー【忘れがたき銘車たち】
2025年4月16日(水)17時30分 AUTOSPORT web

モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1982年の世界耐久選手権を戦った『フォードC100』です。
* * * * * *
1980年代後半、世界的な隆盛を見せたスポーツプロトタイプカー規定のグループC。本格施行された1982年、同規定に基づき製作されたグループCカーは世界耐久選手権(WEC)に参戦するようになる。
しかしながら、同年はグループ6という規定の車両やグループ6カーを改造してグループCの規定に適合させた車両なども多く、そもそもグループCカーとして誕生したオリジナル車両の参戦数はそこまで多くなかったのが実状であった。
そんなオリジナルグループCカーの代表作、ポルシェ956はこの年の選手権を席巻することになるのだが、この956以外にも何台か独自のグループCカーの参戦例は見受けられていた。その1台が『フォードC100』だった。
フォードC100は、1960年代後半に活躍したフォードGT以来、十数年ぶりにスポーツカーレースへの復帰を決めたフォードにより製作されたグループCカーである。
このマシンにはフォードのアイコンであるブルーオーバルが描かれていたものの、このC100のプロジェクトはフォード本社が深く関わっていた活動というわけではなかった。
なぜなら、マシンの製作はドイツ・フォードの支援を受け、1982年以前にフォード・カプリをグループ5車両に仕立てて活躍していたドイツのレーシングチームであるザクスピードが担当。設計自体は1960年代よりF1マシンを数多く手掛けていたトニー・サウスゲートが担うという体制だったからだ。
アルミハニカムモノコック構造のシャシーに、フォード・コスワースDFLという3.9リッターのエンジンを組み合わせて造り上げられたC100は、まずグループC規定発行前年である1981年のWEC最終戦においてテスト参戦を果たした。
このレースでは、決勝はリタイアに終わるもポールポジションを獲得。ポテンシャルの高さも感じさせたものの、いざ翌シーズンに正式デビューを迎えると苦戦が続いた。
そして迎えた1982年のWECは、大半のレースでポルシェ956とグループ6カーであるランチアLC1の争いとなり、他のマシンがその争いに加わることはほぼできない状況だった。
そんな中でC100は、ポルシェ956勢が不在の第3戦のニュルブルクリンク1000kmでポールポジションを獲得。ル・マン24時間レースにおいては、ポルシェ、ランチア勢に続く予選6番手につけることもあったが、決勝では目立った成績を残せなかった。
翌1983年、フォードはC100の参戦継続を表明していたものの、WECの開幕直前に一転してエントリーを取り止めた。その後、マシンは製作者であるザクスピードの手に渡り、独自改良が施されてドイツの国内選手権などに参戦した。
フォードのスポーツカーレース復帰作として期待されたC100。1982年の前年よりプロトタイプを作り、レースにテスト参戦するなど力を入れたプロジェクトに見えたが、フォードとしての活動はわずか1年と短命に終わることとなったのである。