大谷翔平の1年9か月ぶり登板は打者5人と対戦22球、1安打2三振1四球
2025年5月26日(月)3時45分 スポーツ報知
641日ぶり実戦登板した大谷(カメラ・安藤 宏太)
◆米大リーグ メッツ—ドジャース(25日、米ニューヨーク州ニューヨーク=シティフィールド)
ドジャース・大谷翔平投手(30)が25日(日本時間26日午前8時10分開始予定)、敵地・メッツ戦前の練習中にライブBP(実戦形式の打撃練習)で登板した。
ライブBPで新人捕手のラッシング、23年WBC韓国代表の金慧成(キム・ヘソン)らを相手にマウンドに上がった大谷。打者5人と対戦して22球を投げ、1安打2奪三振1四球だった。
最初の打者は金で投ゴロに打ち取った。右打ちのド軍職員も打席に入り空振り三振。ラッシングからも空振り三振を奪った。2巡目に入り金に右前安打を打たれ、ド軍職員に四球を与えたところで終了した。久々のマウンドを楽しむような大谷の姿が印象的だった。
ロバーツ監督、E・ヘルナンデス、M・ロハス、T・ヘルナンデス、M・ベッツ、山本由伸らが観戦したほか、メッツのベンチからもメンドサ監督も熱い視線を送っていた。
大谷が打者相手に投げるのは23年9月19日(同20日)の右肘手術後初めてで、最後の登板となった同年8月23日の本拠地・レッズ戦以来641日ぶり。17日(同18日)に右肘手術後最多となるブルペンで50球の投球練習を行い、21日(同22日)にはブルペンでスライダーも解禁し、準備を整えてきた。
長い道のりだった。エンゼルス時代の23年8月に右肘を痛めて同年の登板を見送ると、その後は打者で出場を続けたが脇腹を痛めて離脱。シーズン終了を待たず9月中に18年10月以来6年ぶり2度目となる右肘手術を受けた。
シーズン終了後にFAとなった大谷は、10年総額7億ドル(約1022億円=契約発表時のレート)という当時のMLB史上最高額でドジャースに移籍。24年は打者専念のシーズンとなり、真美子夫人との結婚発表、水原元通訳のスキャンダル発覚などグラウンド以外でも多忙だったが、終わってみればMLB史上初の「50—50」(50本塁打&50盗塁)を達成して、2年連続の本塁打王とMVPに輝き、自身初めて出場したポストシーズンでも頂点に立った。
シーズン中も右肘のリハビリを続け、8月からはブルペンでの投球練習も再開させたが、ワールドシリーズで左肩を負傷。11月には左肩手術を受けて投手復帰へのリハビリもいったん止まった。25年2月のキャンプでは再びブルペン入りするなど再び動き出したが、開幕直前には打者に専念することもあってペースダウン。打者として出場しながら開幕後から再びブルペン入りし、週に2度のペースで投球練習を行って状態を挙げてきた。
ロバーツ監督は、リハビリを続けながら打者で結果を残し続ける大谷の活躍ぶりを「しばしば驚かされる。今ではそれが当たり前に感じるが、冷静に考えると実に驚異的だ」とたたえながら「現時点までで彼はすべてのチェック項目をクリアしていると思う」と調整ぶりに太鼓判を押していた。今後への課題は球数を増やすこと、これまで最速95マイル(約153キロ)の球速を上げること、変化球を打者に投げる感覚を養うことなどを挙げていた。
大谷はこれまですべて先発でメジャー通算86試合に登板。22年には自己最多15勝、23年に2年連続2ケタ勝利となる10勝を挙げるなど、38勝19敗、防御率3・01の成績を残している。メジャー復帰登板は7月下旬のオールスター後が見込まれているが、マウンドに上がればドジャース移籍2年目で新天地初登板となる。
打者としては前日終了時点で真美子夫人の長女出産に伴う「父親リスト」に入って欠場した2試合を除く50試合に出場。17本塁打(リーグ2位)、31打点(同16位タイ)、60安打(同3位)、打率2割9分6厘(同8位)、OPS1・021(同2位)をマークしている。5月はすでに月間10本塁打。チームも32勝20敗で、地区2位のジャイアンツに2・0ゲーム差で首位を走っている。