『TWRポルシェWSC-95』ジャガーがポルシェに? 再活用から生まれたル・マン連覇車【忘れがたき銘車たち】

2023年7月25日(火)8時35分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1996年と1997年のル・マン24時間レースを制した『TWRポルシェWSC-95』です。


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 1991年のスポーツカー世界選手権(SWC)に登場し、シリーズを席巻した『ジャガーXJR-14』。この『XJR-14』は3.5リッターNAエンジンを搭載する当時の新規定に合致したグループCカーとしてシリーズに送り込まれたものの、1991年限りでジャガーがSWCより撤退を決めたため、わずか1年という実働期間の短さで世界選手権の舞台からは姿を消していた(アメリカのIMSAシリーズでは1992年も活用されている)。


 これで役目を終えたかに思えた『XJR-14』だったが、その後、別の車両として生まれ変わり、脚光を浴びることになった。それが『TWRポルシェWSC-95』だ。この『WSC-95』はその名が表す通り、1995年、ポルシェがアメリカのIMSAシリーズのWSCクラスに参戦するために開発した車両だった。


 ポルシェはこのマシンを生み出すにあたって、TWRが開発した『ジャガーXJR-14』を入手。もともとはクローズドボディだった『XJR-14』をオープンプロト化し、それに『ポルシェ962C』用の3.0リッター水平対向6気筒ツインターボエンジンである935/83型を搭載して、『WSC-95』を製作した。


 オープンボディになって見た目こそ様変わりしていたものの、『WSC-95』はモノコックもパワーユニットも過去の遺産を有効利用して生まれたマシンだったのである。こうして誕生した『WSC-95』は1995年、IMSAのオープニングレースであるデイトナ24時間レースにおいてデビューを果たす……はずだった。


 『WSC-95』はデイトナのテストデーには参加し走行を重ねたものの、レースウイークが始まる直前に“理不尽”な規定変更が行われ、それに抗議するかたちでポルシェ撤退を決定したのである。そして『WSC-95』は、戦うことなくIMSAからは姿を消した。


 これでお蔵入りとなるかに思われた『WSC-95』だったが、このマシンに目をつけたのが、ポルシェ系の名門プライベーターであるヨーストだった。このヨーストがポルシェより2台の『WSC-95』を“拝借”して、1996年のル・マン24時間レースへと参戦することを決めたのだ。


 するとこの年は、ポルシェワークスがGT1マシンである『911 GT1』をデビューさせた年だったのだが、そのワークスマシンを退けて、ヨーストの走らせる『WSC-95』が見事、総合優勝を達成。もう1台の『WSC-95』もチェッカーまで残り数時間という段階まで総合3位を走るなど、デビューイヤーながらそのポテンシャルの高さを見せつけた。


 翌1997年。ヨーストの『WSC-95』は1台のみの参戦であったが、ポールポジションを獲得。決勝レースでも燃費が優勢なポルシェワークスの『911 GT1』の2台を相手に接戦を続け、最後は『911 GT1』が火災でコース上にストップしたこともあり、『WSC-95』は見事、ル・マン2連覇を果たしたのだった。


 ヨーストにとっては1985年以来の連覇となったほか、この年、優勝クルーにはあのトム・クリステンセンが加わっていた。クリステンセンにとってはこれがル・マン初出場だったが同時に初優勝も達成。これを皮切りにクリステンセンは9度のル・マン総合優勝という偉業を成し遂げることになる。


 この活躍を見たポルシェはヨーストをワークスの一員とし、1998年に『WSC-95』は『ポルシェLMP-98』と名を新たにして、ワークスのLMPカーとしてル・マンへ挑むも不発に終わってしまい、『WSC-95』は同年いっぱいでその役目を終えた。

1996年のル・マン24時間レースを制した『TWRポルシェWSC-95』。デイビー・ジョーンズ、アレクサンダー・ブルツ、マニュエル・ロイターがドライブした。

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