なぜ冤罪事件は無くならない?元判事「いい加減な人はどの世界にもいるし、裁判官も同じ」袴田事件の悲劇からみる裁判官の現実
2025年4月12日(土)6時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
2009年に裁判員制度が始まり、以前よりは裁判が身近になったとはいえ「自分には関係ない」と思っている方も多いのではないでしょうか。そのようななか、令和6年に再審無罪が確定した袴田巌さんの事件を例にあげ、「日本国民であるあなたは、捜査官が捏造した証拠に基づき死刑を執行される危険性を日々抱えたまま生きている現実を知らなければなりません」と語るのは、元判事で弁護士の井上薫さん。そこで今回は井上さんの著書『裁判官の正体-最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』から一部引用、再編集してお届けします。
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袴田事件の悲劇と、裁判官の怠慢
袴田事件について考えてみましょう。袴田事件は昭和41年に、静岡県清水市(現:静岡市清水区)の民家で発生した強盗殺人・放火事件です。味噌製造会社専務の一家4人が殺害されて金品を奪われ、家に放火されました。そのとき、同社の従業員だった袴田さんが逮捕・起訴され死刑判決が確定しました。
その後、第一審の左陪席の裁判官が良心の呵責に耐えかねて、守秘義務違反をおかして無罪の心証を持っていたことをテレビ番組で告白しました。私は、たまたまこの番組を見ていてびっくりしました。そのインパクトが大きく、後々の展開に注目してきました。
詳しい検討はこれからですが、私は、検察官の犯行時の着衣をめぐる主張・立証とその変遷はあまりに不自然で、社会常識に基づけば、とても有罪に持ち込めるはずもないとの印象です。だから確定審の段階で無罪にすべきだったと思います。
第一審で3人、控訴審で3人、上告審で5人のうち、無罪の心証を抱いた裁判官は前記テレビ番組で告白した1人だけなのでしょうか? 最高裁の裁判官5人は、全員本件犯行は袴田さんがしたと認めています。再審で無罪判決が確定する段階に至るまでの間、当時の裁判官(上記1人以外)は反省の弁を述べていません。この司法の現状に私は暗澹たる思いを禁じえないのです。
人権尊重を謳う現憲法
誤判の最大の原因は、検察官の主張・立証に見る前記不自然にもかかわらず、裁判官が捜査官、訴追官の証拠の捏造を疑っていなかった点でしょう。
捜査官、訴追官は、被告人を有罪にするために活動しているのであるから、証拠を捏造する動機は常にありうるのにもかかわらず。
裁判官の心の奥底は、戦前のレベルを保ち、ひたすら根拠なく捜査官、訴追官を信じ、有罪判決をすれば一件落着というあたりではないか。
人権尊重を謳う現憲法ができて79年。それでもまだこれほどの人権侵害をして反省もないとは。今の裁判官は適任でないことは否定することはできません。
止まらない冤罪事件
冤罪はやまほどありますが、裁判官の偏見が明らかになったのは、女子高生への痴漢をめぐる裁判でしょう。決め手の証拠がなく水掛け論状態にもかかわらず、たまたま満員電車に乗り合わせたビジネスマンに有罪判決が下っています。
裁判官に、被告人は犯人だろうという先入観があり、何らかの「証拠」が出てくれば、無罪の人が有罪になることはありえるのです。この先も裁判所はいくらでも冤罪をつくり出す危険性があるのです。裁判官が普通の俗人となんら変わりがないからです。
(写真提供:Photo AC)
以前、著名な元裁判官が大学の講演で、「君たちはどうやって判決を出すと思うか。理屈を積み重ねて結論に至ると思っているかもしれないが、裁判の実務では結論を決めてから理屈を練っている。そして、最初の結論は、『全人格的直感』によって決める」としゃべっていた場面に居合わせて、腰を抜かしそうになったことがありました。
何が、全人格的直感かと。直感は直感でしかありません。裁判官だからといって特別な直感などあるはずもない。いい加減な人ってどの世界にもいるのです。裁判官も同じです。
画期的な判決を書いたりすると……
画期的な判決を書いたりすると、新聞に出るだけじゃなくて判例雑誌にも載ります。その中には今までのやり方を否定して独自の見解を述べたという部分が必ず出てきます。
そうなると、画期的な判決とは、場合によっては最高裁の意向に反しているケースもありますから、判決した裁判官は、その後の人事に不都合が生じることも予想されます。実際にあるかどうかは別としてそういう危惧を抱く環境の中にいます。
人事の不都合を回避することが目的だったのか、「判例雑誌に載らないのを目標にやっている」と公言する裁判官もいました。
※本稿は、『裁判官の正体-最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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