40代男性一人暮らしの部屋から響く怒声。憂えた住人が居宅を競売にかける裁判を起こしたら…実際に起きた<マンショントラブル>の意外な結末
2025年4月23日(水)6時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
「この国で各地の地裁に起こされた民事訴訟は年間14万件、起訴された刑事事件は6万件。そのうちニュースとして報道されるのは、ごくごくわずかな一部にすぎません」と語るのは、日本経済新聞電子版の「揺れた天秤〜法廷から〜」を連載した「揺れた天秤」取材班。そこで今回は、この大好評連載をまとめた書籍『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』より一部を抜粋し、<学びになるリーガル・ノンフィクション>をお届けします。
* * * * * * *
1人の住人が乱す平穏
「103 備忘録」─。部屋番号が記されたメモに、男性入居者が繰り返した行為が時系列に沿って記されている。
一番古い記述は2014年10月。管理組合の理事長にとって10年に及ぶ「苦闘の歴史」だった。
築年数こそ古いが、最寄り駅からも歩いて数分と立地は申し分ない。住人は地域に根付いた学者や経営者が多く、賃貸で入る若い夫婦も溶け込んでいた。
理事長は40年以上にわたって、そのマンションで平穏な生活を送ってきた。
一人暮らしの部屋から怒声が
一変したのは13年1月。40代の男性が103号室を購入し、一人暮らしを始めた。ほどなく部屋から怒声が漏れるようになる。管理人の部屋の窓をたたいたり、管理室前にあったバケツを蹴飛ばしたりする行為が日常的に繰り返された。他の住人への暴言もあった。
ついには刑事事件に発展する。19年、男性は管理人の胸ぐらをつかんで路上に押し倒し、ケガをさせたとして傷害容疑で逮捕された。管理人の派遣元は「人命に関わる事態」と受け止め、派遣をやめた。「男性が戻ってくれば、またおびえながら生活するしかなくなる」。憂えた住人たちは男性の部屋を競売にかける方針を決めた。
『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』(著:日本経済新聞「揺れた天秤」取材班/日経BP)
区分所有法は「共同生活上の障害が著しく、他の方法ではその障害を除去するのが困難なとき」他の区分所有者らが決議に基づいて裁判所に競売を求められると定める。長期にわたって管理費を滞納したケースなどで認められた例がある。
本人の意思を問わず追い出す最終手段だが、住人たちの決意は固かった。臨時総会で反対意見が出ることはなく、理事長は20年、東京地裁に提訴した。
訴訟のさなかの21年、男性は刑事裁判で執行猶予付きの有罪判決を言い渡された。自室での生活を再開した男性は、程なくして隣室の住人とトラブルを起こし、今度は暴行容疑で逮捕される。責任能力がないとして不起訴になり、強制入院とされたが、22年に退院すると戻ってきた。
「逮捕されても戻ってきて同じことを繰り返し、病院に入っても結局出てくる。もう他に手段はない」。管理人は不在のままで、敷地内や共有部分の清掃も十分にできない。
「ストレスも限界です。一刻も早くマンションから追放していただきますようお願い申し上げます」。理事長はため込んだ憤まんを陳述書にぶつけた。
退院後の男性に成年後見人として就いた弁護士は、訴訟の答弁書で「男性には妄想性障害がある」と説明した。弁護士自身も成年後見人だと信じてもらえず、会うことさえできていなかった。住人側もその流れに乗り「男性の問題点のおおもとは他者との対話を拒絶するところにある」と強調した。
管理組合の6割でトラブル
東京地裁は24年10月の判決で、男性の言動が妄想性障害などに基づくと推認した。粗暴さは収まっていないとして「今後、他の住人と円滑な共同生活を送ることは困難と言わざるを得ない」と指摘。10年以上に及ぶ男性の行為は住人側の受忍限度を明らかに超えるとして競売開始を認めた。
マンションの住民は同じ空間を共有するいわば運命共同体だ。それだけにトラブルも生じやすい。国土交通省が同年6月に公表した調査で、全国の管理組合の6割が「居住者間の行為やマナー」を巡るトラブルが発生したと回答した。要因は「生活音」が44%で最も多く、「違法駐車」(18%)と「ペット飼育」(14%)が続いた。
本来なら住民間の話し合いや譲歩で共存を目指すのが望ましいが、生活の基盤となる住居で起きた問題は、そうやすやすと妥協できるものではない。
本人尋問で法廷に立った理事長は「妄想性障害に寄り添うことで問題行動を抑えることを検討したか」と男性側の弁護士に質問され「ありません」と切り捨てた。「住人に理由もなく怒声をあげるんですよ? そういう人に配慮うんぬんなんて、できるわけないでしょう」
「3人分の座布団を用意」
だが、訴訟資料からは男性に変化の兆しもうかがえる。退院を機に地区のセンターが支援に乗り出し、定期的に保健師の訪問を受け入れていた。「3人分の座布団を用意。話し下手なので、とネタを用意済み」「訪問のリマインドを忘れていたのを謝ると、お互いさまと笑顔」。保健師が記した面会記録には柔和に接する男性の様子が記されている。
弁護士は裁判で「支援者との良好な関係を(転居によって)台無しにするのは強い懸念がある」と心配していた。
<『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』より>
信頼関係に基づいて一歩ずつ妄想の解消を目指すのが適切な治療だと理解を求めたが、判決は確定した。103号室が競売に付されれば、男性は次に住む場所を探して、移ることになる。
※本稿は、『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』(日経BP)の一部を再編集したものです。
関連記事(外部サイト)
- 勤続30年の教員、飲酒運転で退職金1720万円が不支給に…「処分が重すぎる」との訴えに出した<最高裁の結論>とは
- 叱責されれば「パワハラ」と騒ぎ立てて難を逃れようとする20代男性社員E。「仕事量が契約社員より少ない」との不満の声に彼がとった驚きの行動とは
- 「答えられないのは学歴がないから」暴言を吐き続け、社員を追い詰めるワンマン社長。言いたい放題も「辛抱料」と我慢するべきか
- 産みたかったのに「必ず離婚する」との言葉を信じて中絶した保育士H。精神的に不安定になった彼女に向け、不倫相手が放ったまさかの一言とは
- 同僚に知られたくない家庭事情を吹聴する社長によって休職に追い込まれた社員F。秘密をべらべらと、しかも面白おかしく話し続けるのはなぜか