“宗教秘密結社”ピタゴラス学派が人を海に沈めてまで隠し続けていた数学の「ある発見」とは?《ブンゲン先生が解説》

2025年4月18日(金)7時0分 文春オンライン

「なんで数学をしなきゃいけないんだろう」「数学をやってなんのためになるんだろう」と怒りにも似た問いをかけるド文系編集者に、数学者はどう答えるのでしょうか。


 ここでは、『 数の進化論 』(文春新書)から一部を抜粋。「チャート式」の監修や『数学の世界史』など多数の著書で数学の魅力を広め続ける“ブンゲン先生”こと加藤文元氏(ZEN大学教授、東京工業大学(現・東京科学大学)名誉教授)が解説します。(全3回の1回目/ 続きを読む )


 ◆ ◆ ◆


編集者(以下、編) フランスの貴族は80をquatre-vingts(4×20)と呼び、「庶民にはどうせ数えられないんでしょ」と笑っていたということでしたよね。数学が高尚なものとされて、庶民にまでなかなかおりてこなかった歴史は、意外と私の数学嫌いに通じていたんじゃないかと思います。「なんか難しい顔した人たちが難しそうなことやってんなー」みたいな。


加藤文元(以下、文) 数学の楽しさに目を向けてもらえなかったことは残念です。でも、そろそろ面白さを感じはじめていますよね?


ピタゴラス学派の「彼岸信仰」


編 はい! ちなみに、数学が神秘化されていた時代の話をもうちょっと聞いてみたいのですが、象徴的なエピソードはありますか?



©︎Tomoharu_photography/イメージマート


文 だったら古代ギリシャの数学者、ピタゴラスの話をしましょう。ピタゴラスの定理はあまりにも有名だから、名前はご存知ですよね。ピタゴラス(前570頃〜前496頃)は現在のトルコに近いエーゲ海南東部に位置するサモス島に生まれました。ところが、僭主と折り合いが悪くなり、南イタリアのクロトンという土地へと逃げるんですね。そこで地元の人たちと一緒に、ピタゴラス学派という宗教秘密結社を立ち上げました。どんな宗教だったかというと、要するに「彼岸信仰」です。この世ではない“あちら側の世界”に憧れるという信仰は、浄土真宗における極楽浄土のように洋の東西を問わず昔から存在していましたが、ピタゴラスの彼岸信仰を具体的に言い表すと、「あちらの世界とこちらの世界は交信可能である」というものなんです。


編 え、アブナイ人たちのように思えますが……。


数の秘密が「あちら側」につながっている


文 どうやって交信するかというと、まさに、数を使って交信するというんですね。あちらの世界の人たちは自分たちよりも高尚な人たちなので、この世よりもはるかに美しく均整のとれた世界に住んでいる。だから、彼らの意思を汲み取るためには、自分たちが生きている汚い世界の中に隠された、美しいものを見出さなくてはならない。


 その美しいものの典型例が、竪琴の音色でした。竪琴は弦を上下にピーンと張り、はじいて振動させることで音を出しますが、弦のどこを押さえるかによって音の高さが変わってきます。弦を押さえる場所によって、長さを3/4、2/3、1/2というふうに短くしていけば、音の高さもどんどん高くなっていく。もうお気づきかと思いますが、第1章でも出てきた「整数比」が使われていますね。


 整数の比で表せる音を組み合わせると、美しい和音が生じることになります。それは完全に調整のとれた世界であり、まさに宇宙の音楽である。こうして「ハルモニア」という言葉が生まれました。ハルモニアはギリシャ語で調和という意味で、英語で言うなら「ハーモニー」ですね。



ピタゴラス ©︎freehand/イメージマート


 こうして美しいものを知ることで、あちら側の世界のありさまを私たちも知ることができる。そのためには、数について探究しなければならない……というのがピタゴラスの考え方でした。ピタゴラス学派の宗教信条は「万物は数である」としていましたが、数に隠された秘密を一つ一つ解き明かしていくことで、宇宙の神秘を完全に解明することができると考えたのです。


「誰か」が整数比で表せないものを発見


 しかし、事件が起こります。第1章でも少し触れましたが、整数比では表せないものが発見されてしまったのです。ある時、ピタゴラス学派の誰かが、ユークリッドの互除法を使って正方形を調べているうちに、1つの辺と対角線の長さの比が求められないことに気づいたのです。この「誰か」というのは、ピタゴラス学派に入っていたヒッパソス(生年・没年不明)という人物ではないかという説もありますが、参考となる文献が乏しいために詳しいことは分かっていません。ピタゴラス学派はメンバーの全体像がほとんど分かっていない、謎に包まれた教団なんですよ。


 第1章のおさらいをすると、ユークリッドの互除法を使って、正方形の対角線に1つの辺がいくつ入るか当てはめましたよね。そこで出た余りを(1)として、今度は正方形の1つの辺に余り(1)がいくつ入るか当てはめる……と作業を進めていくと、いつまで経っても終わらないことが分かりました。正方形の「対角線」と「辺」という2つの線分の比は整数で表すことができないことに気づいたのです。


罰として海に沈めたという話も……


 これは、「万物は数である」という学派の信条を揺るがす由々しき事態ですね。数はあちらの世界との交信手段である、非常に神聖なものです。「数では表せない量がある」ということが知られたら、教団の存在自体が一気に揺らぐことになってしまう。


 だから彼らは当初、この事実をひた隠しにしたとされています。誰かに漏らしてしまったやつがいて、罰としてそいつを海に沈めたという話もありますけどね。


 ともあれ、正方形の辺と対角線の比を調べると、辺が1に対して対角線は1.41421356237309504880……と終わりがなく、小数点以下の数列が循環することもありません。この数は後に√2と表されることになりますが、√2のように整数比で表せない数のことを、現在では「無理数」と呼んでいます。


編 無理数って、なかなか強烈なネーミングですよね。存在を受け入れられないというか、とても否定的なイメージがあります。


古代ギリシャの数学界隈へのインパクト


文 そうなんですよ。無理数と言うと、「理」がないみたいでちょっと気の毒です。整数比で表せる数を「有理数」といいますが、英語では有理数をrational number、無理数をirrational numberと言います。rational(合理的な)のratioは「比」の意味をもっているので、英語を直訳するのであれば有比数と無比数ということになりますね。こちらの言い方のほうが実態をよく掴んでいるように感じます。


 とにかく、「整数比では表せない量がある」という発見が、古代ギリシャの数学界隈に与えたインパクトは大きかった。その結果、何が起こったかというと、彼らは「量のほうが数より一般的でもあるし、また本質的でもある」という認識をもつようになっていくのです。「数」よりも線分や面積などの「量」のほうがよりシリアスな対象であると考えるようになって、古代ギリシャの数学者たちは幾何学に傾倒していくことになるのです。

〈 『呪術廻戦』の五条悟が「マイナス×マイナス=プラス」で強力な呪力を生み出せるのはなぜ?《ブンゲン先生が解説》 〉へ続く


(加藤 文元/文春新書)

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