「声をかけてくるのは2軍以下の選手」大谷翔平に密着したことも…東スポ記者だった元セクシー女優が明かす「新聞記者の恋愛事情」
2025年4月19日(土)19時0分 文春オンライン
〈 「ダマされた感がすごくありましたね」“フォトショップで乳輪は消せる”と言われたのに…元セクシー女優・澁谷果歩が明かす「芸能界の怖い大人」 〉から続く
「声をかけてくるのは、2軍以下の選手でしたね。トップ選手はやっぱりそのあたりは気をつけなきゃいけないし……。そうそう、海外の選手にも声かけられたことがあります」
セクシー女優になる前は、「東スポ」でお馴染みの東京スポーツ新聞社で働いていた澁谷果歩さん。彼女はそこでどんな仕事をしていたのか? 大谷翔平を取材したときの思い出とは? 文筆家の寺井広樹氏の 『高学歴AV女優』 (彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)

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大谷翔平取材の思い出
——卒業後は東京スポーツ新聞社に就職されたんですね。大学時代には読売新聞でインターンシップをされてたとか。
澁谷 読売は自己紹介で、「自分の記事で社会を変えたいです」みたいなことをガチで言う人が多くて。意識高い系っていうんですか。それを見て、ああ、私には絶対に合わないなと。それで東スポに行きました。
——プロレス好きだから東スポっていうのもあったんですか。
澁谷 それも売りになるかなとは思いましたけど、正直、就職して何をやりたいとか明確な目標はなかったですね。一般企業に就職をしたら、その会社やその業界のことしか見られません。でも、マスコミならいろんな世界を見られるんじゃないかと思って。まずはいろんな業界に触れて、また改めて身の振り方を考えようくらいの気持ちでしたね。
——東スポでの仕事はいかがでしたか。
澁谷 入社して3か月くらいは研修があって、最初は校閲部と整理部というところで内勤していました。そのあとは、記者として千葉ロッテや西武を中心に野球の取材を。記者時代の最後のほうは日本ハムを一部任されていたので、大谷翔平選手の取材もしましたね。
——当時のスポーツ新聞で、おそらく澁谷さんについて書いた記事があったんです。記事によると、大谷翔平選手の隣にピタッと張り付く小柄な美しい女性記者がいたと。ピンクのスポーツウェアに黒のタイツを着用と書いてありました。
澁谷 たぶんそれは沖縄キャンプ中の話ですね。沖縄キャンプは記者もスポーツウェアを着るって聞かされていたので、そんな恰好だったんです。もともと私、女子校でほぼ野球見たこともないので、「ショートってどこ? 何が短いの」って感じで(笑)。
私みたいにルールもろくに知らない人間が、「とりあえず揉まれるために野球の取材」みたいな感じで行かされているのが申し訳なくて、すごい罪悪感を持ちながら取材してましたね。
——就職後も実家にお住まいで、社会人になっても門限があったそうですね。
澁谷 兄はわりと自由にやらせてもらってるのに私だけ厳しくされて、男女の差が大きかったですね。家を出たかったけど、実家が都内にあるので「都心だから出る意味ないでしょ。家賃の分貯金すればいいじゃない」って言われてしまって。確かにそうなので、それ以上は何も言えませんでした。でも新聞記者は拘束時間が長くて仕事とプライベートの境が曖昧なので、仕事と言っておけば朝帰りもできて、ようやく少し自由になれて、男性とのお付き合いもできるようになりました。
新聞記者の恋愛事情
——出会いはどういうところで?
澁谷 まずは社内から。内勤で研修期間とかもあったので、だんだん知り合う機会がふえて、外に行ったら他社の人とも会いますし……。
——ひょっとして、野球選手も?
澁谷 ……ありましたね。でも声をかけてくるのは、2軍以下の選手でしたね。トップ選手はやっぱりそのあたりは気をつけなきゃいけないし……。そうそう、海外の選手にも声かけられたことがあります。通訳の人が「よかったら、このあと3人で食事を……」みたいに間に入ってアテンドしようとしてくるんです。怖いから遠慮しました。
(寺井 広樹/Webオリジナル(外部転載))