「口と鼻が割れた状態で生まれて」重度の口唇口蓋裂の女性が21回の手術を経て見つけた“生きる希望”

2025年4月20日(日)6時0分 週刊女性PRIME

手術を繰り返した口唇口蓋裂の小林えみかさん



「生まれたときは、口元や鼻が割れた状態でした。片耳がなく、心臓には3つも穴があいていたんです」

 そう話すのは、重度の口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)で生まれ、21回に及ぶ手術を乗り越えた小林えみかさん。

 病気への無理解や容姿に悩んだ経験をもとに、現在は口唇口蓋裂患者の交流会「NPO法人 笑みだち会」を立ち上げ、病気の啓発と患者サポートを続けている。

 口唇口蓋裂とは、500人に1人という比較的高い割合で罹(かか)る先天性の形態異常のこと。唇や口蓋、上顎などに亀裂が生じるが、程度は人によりさまざまだ。

多いときは3か月に1度は手術を繰り返す

「私は口唇口蓋裂のほかに顎の変形、重度の難聴と、耳の形成不全を患う小耳症、血が止まりにくくなるフォン・ヴィレブランド病など、さまざまな病と闘ってきました。

 生後3か月で唇を閉じる手術をして。物心ついたときには病院のベッドの上でしたし、自分はほかの人と違うんだと気づきいたときは、子どもながらにショックでしたね。

 まわりの子からは、ジロジロと覗(のぞ)き込むように見られたり、指をさされて笑われたり。難聴と噛み合わせの悪さのせいで、うまく喋(しゃべ)れないことをからかわれ、保育園ではまったく話さなくなってしまいました」

 地元の公立小学校では、周囲のサポートにも助けられた。

「友達には恵まれましたが、私が病気だと知らない子には、滑舌の悪さを誇張してまねされて、受け口や豚鼻のしぐさをされる。ただ、そんなことは日常茶飯事すぎて、誰かに弱音を吐いたり相談することはありませんでした。それでも無自覚にストレスを感じていたようで、いつしか円形脱毛症になってしまって。

 それに気づいた先生たちが、今でいう多様性やマイノリティーへの配慮について全校集会で伝えてくれたおかげで、からかいはなくなりました。両親からは嫌なことがあったら必ず誰かに伝えなさいと、口酸っぱく言われました」



会話に入れない孤独感、ひきこもり状態に

 小学2年生で腰骨を上顎に移植する大手術、4年生のときには1か月にわたる入院生活で、上顎を前に出す施術も行った。



 闘病生活は身体への負担が大きく「なぜこんなことを」と、つらい思いもした。中学校へ進学すると、思春期となり容姿の悩みが深まり、自傷行為を繰り返すようになる。

「友達付き合いも恋愛も“あの子ってかわいいよね”と、見た目がきっかけになる場面は多い。病気があることは、こんなにも人間関係に関わってくるのかと。うまく会話に入れない孤独感から、誰も障害者とは友達になりたくないんだと思い込んで、登校拒否に。

 仕事で忙しい両親には悩みを打ち明けられず、リストカットを繰り返すことでつらい気持ちを紛らわせていました。周囲の視線が気になって昼間に出歩くこともできなくなり、対人恐怖症は悪化。ひきこもり状態が続きました」

 そんな日々を救ったのは、メイクの力だ。

「当時はギャルが流行(はや)っていて、ギャル雑誌が心の支えでした。なかでも素顔とメイク後の違いを紹介する記事に驚き、メイクをすることで自分もコンプレックスを解消できる気がして、家で練習を繰り返していましたね」

 なんとか心を保った小林さんは、フリースクールに居場所を見つける。その後は高校へと進学し、親友もできた。

「親友といるときだけはマスクで顔を隠さなくても平気なくらい、心を許していました。何より私を“病気の子”として見ていないのがうれしかったですね。

 それまではコンプレックスを隠すメイクをしていましたが、彼女は“瞳がきれいだからアイメイクに力を入れたら?”とポジティブに変換してくれて。自分のことが大嫌いだったけど、そんな自分を好きでいてくれる親友のためにも、自分磨きを頑張っていました」



積もり積もった感情で母親にも反抗

 高校2年生のときは下唇を切り取って、これまでなかった薄かった上唇に移植手術を行った。3年生のときには、1年に3度も大手術に挑んだ。耳を形成する手術は8時間にも及ぶ厳しいものだった。

「親友ができてやっと充実した日々を送れていたのに、口唇口蓋裂のせいでそれを奪われた気がして……。こんなに苦しい思いをしてまで手術をしたくない!と積もり積もった感情が爆発。生まれて初めて母親に反抗したんです」

 思いもしない娘の本音に驚く母親だったが、これをきっかけに親子は絆を深めていく。



「母は涙ながらに私を抱きしめて、今まで私の気持ちに寄り添えていなかったことを悔やんでいました。そんな姿に、私まで泣けてきて。隠し続けていた思いを吐露すると“つらいときは甘えていいんだから、一緒に頑張ろう”と言われ、愛情を感じました」

 周囲の支えもあり、大手術を乗り越えた小林さん。20歳のころには、この疾患の手術が一段落つく。

「闘病生活にもやっとゴールが見えたことで、これまでの経験を知ってもらいたいとブログを始めました。同じ病気の人たちと思いや苦労を共有して、支え合えたらと考えています」

 その後は同じ疾患の子どもを持つ母親との出会いをきっかけに、大阪で患者会「笑みだち会」を立ち上げる。



「産んでごめんね」と言わないで

「口唇口蓋裂の当事者や、その家族が集まる交流会をオンラインと対面で行っています。そこで一番衝撃を受けたのは、どの親御さんも“産んでごめんね、私のせいで”とおっしゃること。

 私自身はそういう言葉を両親からかけられたことがなかったですし、小さなころから“かわいいね”と愛情豊かに見守ってもらったので、そんな発想があるのかと。

 当事者としては病気を抱えているのが当たり前の状態なので、“ごめんね”という言葉に、自分を否定された気がするんです。“ありがとう”や“大好きだよ”という言葉で私たちの存在を認めてほしいよね、とみんな言っているんですよ。

 これからは講演会を開いたり本を出版したりして、もっと多くの方に病気について考えるきっかけをつくっていきたいです。ほかには当事者や親御さんが悩んだときに、問い合わせができるホットラインも開設していきたいですね」



 現在は学童保育の児童指導員としても働き、草の根活動を続けている。

「もともとは美容関係の仕事に就こうとメイクスクールに通うことも検討したのですが、“美を追求する場所なので……”と病気の私を拒絶するような心ない言葉をかけられて。コスメ販売の面接へ行っても、見た目で落とされたと感じる瞬間があり、傷つきました。

 そんな中で、大人に病気を啓発することも大事ですが、まだ固定観念のない子どものころから自分の姿を見て、この疾患を知ってもらうことが大切なのではないかと思ったんです。500人に1人が罹る病気ということは、小学校に1人はいるはず。どこかで出会う可能性があるわけですから」

 多くの苦難を乗り越えた今だからこそ言えることがある。

「この疾患は自分にとって……なくてはならないものになりました。説明は難しいのですが、今では私の代名詞だと思っています。病気に泣かされることが多かったけれど、口唇口蓋裂になっても、良かったな、と思える人生を送りたいです」

小林えみかさん●重度の口唇口蓋裂で生まれ、自身の闘病体験をブログやメディアで発信し、2015年に口唇口蓋裂支援団体『笑みだち会』を設立(2020年NPO法人化)。顔の傷で心に傷つかない社会を目指した啓発や当事者間交流の活動に取り組む。


取材・文/植田沙羅

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