賄賂政治の権化?田沼意次が人々に大志があったと思われた意外な理由

2025年4月21日(月)5時50分 JBpress

 歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。そのなかには、有能なリーダーもいれば、そうではない者もいました。彼らはなぜ成功あるいは失敗したのか?また、リーダーシップの秘訣とは何か?そういったことを日本史上の人物を事例にして考えていきたいと思います


9代将軍となる徳川家重の小姓に

 江戸幕府の老中を務めた田沼意次は、賄賂政治の権化のように思われ、不評でした。近年ではそうした評価の見直しも進んでいますが、それでは意次とはどのような政治家・指導者だったのでしょうか。享保4年(1719)、意次は江戸で生まれます。幼名は竜助。意次の父は田沼意行と言いました。

 意行は、後の8代将軍・徳川吉宗がまだ越前丹生の領主だった頃から、中小姓を務めております。その後、吉宗は丹生郡の領主から紀州藩主となり、更には徳川将軍にまで出世します。意行もそれに従い、丹生から紀州へ、紀州から江戸へと転々とするのでした。

 主君が出世したのですから、その家臣である意行にも恩恵がありました。幕府の旗本となり、最終的には御小納戸の頭取(将軍の身辺の雑務を担当した小納戸の長)にまで出世するのです(1734年)。しかし、同年の年末に死去します。

 父・意行が吉宗に仕えていたこともあり、その子・意次は13歳の時に将軍・吉宗にお目見えを許されたといいます。そして、15歳の頃に、吉宗の子で後に9代将軍となる徳川家重の小姓となるのです。意次は家重に可愛がられたとの話もあります。意次は美男子であり、物腰も穏やかであったことから、男色によって出世したのではないかとの悪評もあったほどです。

 父・意行の死により、意次は家督を継承(1735年)。将軍の世子である家重に仕えていましたが、家重が将軍に就任(1745年)すると、意次は西の丸出仕から本丸へ出仕することになるのです。そこから、意次の快進撃というか、怒涛の出世が始まるとされます。御小姓組番頭格、御取次見習、御小姓組番頭と進み、禄高も2千石となります。


「田沼は最初から大志ある男よ」

 寛延2年(1749)に意次は御小姓組番頭となったのですが、その頃の意次の逸話が残っています。肥前国平戸藩主・松浦静山(1760〜1841)が記した随筆『甲子夜話』に載る逸話です。

 大河内肥前守の父・織田肥後守が御小姓組与頭を勤めていた時のこと。田沼意次は、前述の御小姓組番頭に就任していました。肥後守と意次は同僚だったのです。しかし、意次は奥向きのことは不案内として、その職掌に困惑していました。そんな意次を手助けしてやったのが、肥後守でした。意次は、肥後守に恩義を感じていました。よって、意次は肥後守を内々に推薦。それにより、肥後守は小普請支配に任命されるのです。

 自身の出世に意次の周旋があったことを知った肥後守は、感激し、御礼を述べようと田沼邸を訪問します。そして御礼を述べるのですが、その時、意次は面色を改めて、次のように言い返すのです。「さても不料簡なことよ。拙者は今はこのような役職に就いてはいるが、何れは老職(老中職)にまでなる積もりである。貴殿は、今、3千石。拙者はそれには及びません(田沼は3千石以下)。貴殿こそ、どのようにも昇進できようものを、小普請支配に就いたくらいで事足りるとは。さても見下げたものよ」と。意次は肥後守に苦々しげに言ったというのです。世間の人々はこの逸話を聞いて「田沼は最初から大志ある男よ」と思ったようです。

 意次の発言は、今風に言えば「私は総理大臣に何れなる積もりだ」というに等しいもの。普通はそうしたことを聞いたら(何を馬鹿なことを)と思うものです。意次は実際に言葉通り、老中にまで上り詰めたから良かったですが、そうでなければ、恥ずかしい思いをしたでしょう。それはさておき、前述の逸話から意次は豪胆な性格だったことが分かります。

 しかし、そのくらいの豪胆さや大志を持っていないと大きな出世など無理でしょう。

 最近の若者には出世したくない人が多いということは、もう何年も前から言われています。若者の間で、出世拒否の風潮があるというのです。「責任のある職に就きたくない」「プライベートを大事にしたい」というのが、その理由とのこと。とは言え、お給料のアップは拒否するのかというと、そうではなく、給料アップは希望しているようです(柘植輝「出世したくない若者が増えている!?「管理職」になると一般社員に比べてどのくらい収入が増える?」『ファイナンシャルフィールド』2023・11・11)。

 何とも都合の良い、虫の良い話のように聞こえますが、もちろん、そうした若者ばかりではなく、出世を希望する若者も割合的には少数ですがいます。出世し、管理職になれば給与も大きくアップするので、勤務先で成果を上げて出世するというのが、給料アップの近道でしょう。会社によって様々な事情がありますし「古い考えだ」と思われるかもしれませんが、若い人には、意次のように大志を持って、活躍して欲しいと思います。

参考文献
・藤田覚『田沼意次』(ミネルヴァ書房、2007)
・鈴木由紀子『開国前夜 田沼時代の輝き』(新潮社、2010)

筆者:濱田 浩一郎

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