ルンバの社長に聞く、人と組織の成長 -「好きなこと」「得意なこと」「社会に価値のあること」の交点
2025年5月27日(火)7時0分 マイナビニュース
●社員みんなが愛する「ルンバ」
2025年4月、アイロボットジャパンは異例ともいえる規模の新製品発表を行った。全6機種のロボット掃除機「ルンバ」、一度にここまで多くの製品を同時にリリースするのは、同社にとっても初めての試みだ。
ロボット掃除機市場の競争が激しさを増す中で、多様なユーザーに応える製品をどう届けていくのか。その裏には、現場が力を発揮できるチーム作りがあった。アイロボットジャパン 代表執行役員社長 挽野元(ひきの はじめ)氏に話を聞いた(以降、敬称略)。
—— ルンバは単身者向けのモデルから、子育て世帯やペットを飼っている家庭向けのモデルまで幅広い製品が登場し、選択肢が大きく広がっています。業界全体を見渡すと、参入するメーカーも増えており、競争がますます激しくなってきたのではないでしょうか。
挽野:さまざまなメーカーが市場に参入し新しい製品が出てきたことは、市場の活性化という点でも歓迎すべきことだと思っています。
ただ大きな課題があります。参入する企業が増えている一方で、市場全体があまり伸びていないことです。本来であれば、競争が活発になれば市場も拡大していくはずですが、日本市場はそうなっていません。特に昨年(2024年)は、私たち自身も投資をかなり抑えていたこともありますし、コロナ禍における巣ごもり需要の反動もあったでしょう。
今年(2025年)は、弊社の構造改革が一段落したこともあり、新製品を起点に再び投資を強化し、市場を活性化させていきたいと考えています。私たちアイロボットが先頭に立って推進していきますが、他社さんにも一緒に取り組んでもらい、ロボット掃除機全体の市場を再び成長軌道に乗せていくことが、今もっとも重要だと考えています。
—— 競合が増える中で、ルンバとしては今後どのように戦っていこうとお考えですか。
挽野:やはり「ルンバ=ロボット掃除機」というイメージがあるように、ブランド力は私たちアイロボットにとって非常に大きな武器です。実際、日本国内で600万台、世界では5,000万台を超えるルンバが累計で出荷され、ご家庭で愛用いただいています。ユーザー数の多さは圧倒的で、それが信頼の証しでもあると思っています。
現CEOのゲイリー・コーエンが就任してからは、開発体制を大きく見直しました。アイロボットのラボで生まれたイノベーションを、アジアのパートナー企業と連携して製品化していくという新しい体制を確立しています。このスピード感ある開発体制と、圧倒的なユーザーの数が組み合わさることで、アイロボットならではの価値を提供できると考えています。
—— アイロボットの社員の皆さんを取材していると、エンジニアの方々もマーケティングの方々も、本当にルンバへの思い入れが強いと感じます。こうした“製品愛”は、どのように育まれているのでしょう?
挽野:私がこの仕事(アイロボットジャパン 代表執行役員社長)に就いたのは2017年の3月ですが、それ以前はセールス・オンデマンドさんというすばらしいパートナーがルンバを育ててくれていました。まさにゼロから市場を開拓して「ルンバを家庭の定番」にしてくれた立て役者です。当時、ルンバに携わった方々の多くは、今もチームに残って活躍していて、まるで子どもを育てるような気持ちでルンバに向き合ってくれています。そうした皆さんの熱量こそが、会社全体のエネルギーの源になっていると思います。
私のように外部から加わったメンバーも、そうした熱量の輪にそれぞれの専門性を持ち寄ることで、さらに強いチームができています。おっしゃるように「ルンバ愛」はみんな強いかもしれません。「こんなにすてきな製品なので皆さん知ってください!」という思いで仕事に取り組んでいます。自社の製品を愛しているメンバーが多いことが、当社の強みのひとつです。
●市場の成長も、人の成長も、いろいろな段階が同時に進む
○市場の成長も、人の成長も、いろいろな段階が同時に進む
—— 先ほど“子どもを育てるような気持ちで”というお話がありましたが、それを聞いて人材育成の話にもつながると感じました。ルンバが日本で成長してきた過程と、新入社員が一人前になっていく過程には、どこか共通点があるように思います。成長していくうえで、大切なポイントは何だと思いますか?
挽野:そうですね。子育てでも、たとえば0歳〜3歳、3歳〜10歳、そして10代〜20代と段階があるように、企業や製品の成長もステージごとに求められる力が変わってくるんです。
当社の初期メンバーは「0歳〜3歳」にあたる時期を得意とする人が多くて、何もないところから市場や仕組みを立ち上げていく能力に長けた人たちです。私がアイロボットジャパンに来たときには、すでにある程度市場が育ってきていて、「3歳〜10歳、15歳に育てる」——、つまり、さらに市場を広げていく段階でした。そこでは販売チャネルの整備やオンライン強化、サプライチェーンの最適化など、よりシステマティックな運営が求められるようになります。
そういった部分は、社外から加わったメンバーが持つ専門性が生きてきます。ただし情熱も非常に大事なので、創業期からのメンバーの想いと、新しく加わったメンバーのスキルをうまく融合させていくことが重要なんです。私たちは「共に作る」という姿勢を大切にしています。これは創業者のコリン・アングルもずっと言い続けていることですし、私自身もとても共感している考え方です。
たとえば「0歳〜3歳」を見ている人も、「15歳」を育てるプロセスから学べることはたくさんあるんですよ。質問に戻りますが、人の成長も市場の成長も、直線的ではなく、いろんな段階が同時並行で進んでいるというイメージを持つことが、ポイントかもしれません。
—— ロボット掃除機の市場を広げる取り組みとして、長期・短期のサブスクリプション事業や、ふるさと納税への返礼品としてルンバを提供するなど、新たな取り組みにも次々と挑戦していますね。
挽野:アイロボットはとてもフラットな組織だと思います。社員の数もそれほど多くないので、現場の声や若手の声がすぐ経営に届きますし、「やってみたい」と思ったことは基本的に否定せずに挑戦してもらう方針です。
実際、「ロボットスマートプラン+」(編注:アイロボット製品のサブスクリプション)の取り組みや、ふるさと納税への提供、花王さんの「マジックリン」とのコラボレーションも、すべて現場からのアイデアがきっかけです。「面白そうだからやってみよう」「ダメだったら別のことを考えよう」くらいのスタンスで、とにかく前向きにチャレンジしていく文化が根付いています。
挽野社長が海外赴任で痛感した、文化や思考プロセスの違い
—— フラットな組織を作るうえで、上司の人柄も重要だと思います。そこで今までのキャリアについてお伺いしたいのですが、アイロボットジャパンの社長に就任するまでの過程で、ターニングポイントとなった出来事や、自分がワンランク上にステップアップするためのきっかけを教えてください。
挽野:一番のターニングポイントは、日本ヒューレット・パッカードに入社して4年目に、フランスに赴任したことです。ちょうどWindows 95の登場でパソコン市場が急成長している時期でした。フランスのグルノーブルにあるHP(ヒューレット・パッカード)のグローバル事業拠点で、世界中から集まったメンバーと一緒に仕事をすることになりました。
初めての海外赴任だったので、言葉や文化の違いに苦労しましたね。特に、日本と異なる文化の中で働くことは大きな経験でした。たとえばオランダ人の同僚は、仕事の進め方で日本的な「イエスでもノーでもない中間の答え」では通じず、白黒をはっきりつけたがるんです。思考のプロセスが違うんですよね。さらに同じ欧州でも、オランダとフランスとドイツでもこの思考プロセスは異なります。苦労はしましたが、異なる国の文化や考え方を理解する重要性を実感し、視野が広がったことが自分の大きな成長につながったと思います。
—— その後、ボーズ(BOSE)の社長を経て、アイロボットジャパンの代表執行役員社長に就任されます。当時を振り返ってみて、やってよかったことや、逆にこれはやっておけばよかったなと思うことはありますか?
挽野:私はアイロボットジャパンに中途で入社した立場だったので、ルンバの歴史や文脈を知らない部分がありました。ただ、その「知らないこと」自体が価値になることもあります。製品に深く関わってきた人は熱量が高く、それを知らない人との間に温度差があります。そういった温度差をどう融合させるかを常に意識していました。
就任した2017年当時は、まだロボット掃除機を使ったことがない一般消費者も多く、その人たちにどう価値を伝えるかが課題でした。熱量が高すぎても引かれてしまうことがあるため、私はフラットな視点を意識して、お客さまの気持ちに寄り添いながら伝えるように心がけていました。
ゼロから市場を立ち上げる段階では強い情熱が重要ですが、拡大するフェーズでは、価格設定やサポート、需要創出の工夫など、もう少し戦略的なアプローチが必要になります。だからこそ、情熱と冷静さ、そのバランスが大事だと感じています。
アイロボット入社当時、失敗とまでは言いませんが、学びとして印象に残っているのは「合理性と感情のバランス」の重要性です。外部から入った優秀なスペシャリストたちが、合理的に正しいことを推し進めすぎると、もともと大切にされてきた価値観を壊してしまうことがあります。組織がうまく機能するには、合理性だけでなく「情緒性」も大事。その両方を理解し受容し合う「受容力」が必要です。
—— 組織の中で「受容力」はどうやって育まれていくのでしょうか。
挽野:採用の段階で会社のミッション・ビジョンに共感できるかを重視し、HR(Human Resource:人的資源)チームと連携して価値観の一致を確認するようにしています。さらに、社員同士の相互理解を深めるためにメンター制度も導入し、特に人数が多い営業本部の中堅層が他部署のメンターとして関わっています。同じ部署同士だと仕事が同じなので業務の延長になりがちですが、他部署だと物の見方が広がりお互い「気づき」があり、それが「受容力」を育むきっかけとなっています。
●日々、どう自分をアップデートしている?
○日々、どう自分をアップデートしている?
—— リーダーシップを発揮するうえで、言葉の力はとても大切だと思います。挽野さんは、業務の合間を縫って大学院で実務教育を学ばれたそうですが、そこでの経験が今の仕事にどう影響しているか教えてください。
挽野:特に印象に残っているのは「言語化の訓練」です。実務教育研究という分野では、自分の現場の経験を、単なる経験談ではなく、他者にも伝わる形で、論理的かつ再現性のある知識に変換することが求められます。これが思った以上に難しくて、自分が普段いかに曖昧な言葉で仕事をしていたか、思い知らされました。
—— 具体的には、どんな場面でその言語化の訓練が生きていると感じますか?
挽野:全社員向けに毎回テーマを決めて、経済や業界のトピックを取り上げるメールを書くのですが、ただの情報提供ではなく、「この話が私たちの仕事とどう関係しているか」「次にどう生かせるか」といった“視点”を示すようにしています。読む人によって背景も知識も関心も違うので、読み手が「自分ごと」として受け取れるような構成を意識していますね。大学院での学びが非常に役立っています。
—— 社員教育などの現場では、主体的に仕事に取り組むためには「自分ごととしてとらえること(自分事化)」が大切だと言われます。では、自ら考えて行動できる人になるには、何が必要なのでしょうか。
挽野:シンプルに言えば、「自分の仕事は自分にしかできない」とか、「自分がやっていることは、他の誰もやっていない」といった意識を持てるようにすることではないでしょうか。自分がやらないと会社がうまく回らないような仕事をいくつも作って、それぞれの人がその仕事にしっかり責任を持って取り組む——、そんな体制を整えることで、自ら考えて行動できる人になるのではないでしょうか。属人化しすぎるのも問題ですが、そこは組織として次のステップです。
—— 少し意地悪な見方をすると、個人が仕事を抱え込みすぎてしまったり、「失敗したくない」という思いから前例に頼るようになったりと、新しい挑戦がしにくい組織になるおそれもありますね。
挽野:失敗した場合、その人だけの責任ではなく、管理している人にも失敗の責任があると考えればいいと思います。失敗は決して悪いことではなく、取り返しがつくものであれば問題ないですし、むしろその方が学びになることが多いです。
実際、アイロボットジャパンでは、私も含めていろんな人が失敗をしていますが、基本的には誰も責めません。失敗したら、みんなでどう取り返すかを考え、リカバリーしようとします。創業者のコリン・アングルがエンジニア出身というところが大きいのかもしれませんが、アイロボットの企業文化として醸成されていますね。ピンチになってもどこかでそれを楽しむようなカルチャーがあります。
—— 対応が大変だった件と言えば、アイロボット米国本社の決算報告を受け、2025年3月中旬以降、一部で「事業継続が困難」といった内容が伝えられるなど、報道が過熱しました。決算書内の「継続企業の疑義」という言葉が思わぬ形で広がったそうですね。
挽野:はい、確かにあの時期はかなり混乱がありました。「継続企業の疑義」というのは、米国での会計ルールに基づく表記なんです。ところが日本では「経営危機」のような誤った解釈をされてしまい、一部報道がそれを強調しました。北米や欧州ではそういった誤解はなく、報道も新製品中心だったのですが、日本では製品発表と決算発表のタイミングがずれたこともあり、「継続企業の疑義」という表現が強調されてしまいました。
—— 実際、御社への問い合わせも増えたと聞いています。
挽野:そうなんです。お客さまからも、販売店さまからも「大丈夫ですか?」と聞かれました。私たちとしては「もちろん問題ない」と伝え続け、取引先にも「キャッシュも十分ありますし、まったく問題ありません」とお伝えしました。
SNSなどでユーザーの皆さまから「うちのルンバはどうなっちゃうの?」という心配の声が出ていたので、サポートも含めて問題ないことを強調してきました。さらに「ルンバは大丈夫だ」というメッセージを込め、4月の新製品発表では通常よりも早く告知をしました。
週末の朝から対応に追われてもちろん大変でしたが、「大変なときほど前向きに」「みんなで乗り越える」「ピンチを乗り越えると人間力が上がる」という気持ちで取り組んでいました。
乗り越えたあとには必ず学びがあり、その姿勢がチームにも伝わります。そんな企業風土があるから、ピンチのときにも周りに相談しやすく、自然とチャレンジを歓迎する空気が生まれるのかもしれません。
●若手社員に期待すること
○若手社員に期待すること
—— 新生活が始まって、少し落ち着いてきたころだと思います。若手社員に対して、今後期待することはなんでしょう?
挽野:キャリアがまだ浅い皆さんには、デジタルネイティブとしての強みを生かしていただきたいです。現在、私たちのビジネスはオンラインが急成長しているため、デジタルやSNSに対する感度が高い若い世代の力が非常に重要です。
そうした強みを生かして自信を持って仕事に取り組むのと同時に、謙虚さも大切にして欲しいですね。やりたいことや個人の主張も大切ですが、会社の目標や求められる価値にどう貢献できるかを考えることが重要です。
自分の「好きなこと」と「得意なこと」、そして「社会にとって価値のあること」の交点を見つけることが、個人の成長と企業の成長につながります。
—— その「交点」を見つけるために、どのようなアプローチが有効だと思いますか?
挽野:中学生向けのセミナーで話すことですが、「自分の好きなこと」と「得意なこと」の交点を見つけることが最初のステップです。これは割と簡単に見つけられると思います。
そこに「社会にとって価値のあること」を加えることで、より明確な方向性が見えてきます。この「社会にとって価値のあること」は、実際に学ばないと気づかないことも多いです。企業に所属していれば、その企業が社会に対してどのような価値を提供しているかを理解することが重要です。
そのうえで、自分の得意なことや好きなことが、企業の目指す方向や社会のニーズにどう結びつくかを考えることで、より一層自分が輝き、会社にもプラスの影響を与えられるようになります。結局、好きなことと得意なことだけでは不十分で、それに社会的価値を加えることが大切だと思います。
—— ありがとうございました。
伊森ちづる 家電・家電量販店ライター。家電量販店の取材や家電メーカーの取材、家電製品のレビューを中心に活動。売り手、メーカー、ユーザーという3つの視点で家電を多角的に見るのが得意。雑誌、ニュースサイト、ラジオ、シンクタンク、自治体での情報提供など、多方面で活躍中。最近は、テクノロジー×ヘルスケア、テクノロジー×教育などにも関心あり。趣味は音楽鑑賞(クラシック)とピクニック。 この著者の記事一覧はこちら