「震災後に女の子から『アンパンマンが助けに来てくれる』という手紙をもらい、作者として考えたのは…」やなせたかし式《もう無理だ》を乗り越える方法
2025年5月28日(水)12時30分 婦人公論.jp
アンパンマンが助けに来てくれるから(写真:stock.adobe.com)
25年春のNHK連続テレビ小説『あんぱん』のモデルであり、子どもたちに愛され続けているキャラクター「アンパンマン」の生みの親である、やなせたかしさん(1919〜2013年)。新聞記者、宣伝部デザイナー、編集者、放送作家、舞台美術、作詞家など多分野で活躍し、1973年に代表作である『あんぱんまん』の絵本を出版。苦しい時もユーモアと好奇心を忘れなかった著者が、前向きに生きる秘訣を語る著書『何のために生まれてきたの?』(PHP文庫)より一部を抜粋して紹介します。
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東日本大震災の後、一番多く歌われた『アンパンマンのマーチ』
東日本大震災の後に、「『アンパンマンのマーチ』を聴きたい」というリクエストが放送局に寄せられ、その後、曲が流されると、さらに多くのリスナーから要望があって、繰り返し放送されたと聞きました。
——それを聞いて、すごくうれしかった。普段はあまり、アンパンマンのテーマソングとかを歌われたり、ほめられたりしないんでね。ところが東日本の震災の後、一番多く歌われたのが『アンパンマンのマーチ』だったと聞いて、本当にうれしかった。歌っていうのも、ある程度何かの役に立たなくちゃいけないと思うので、今度はお役に立てたかなと思って。
それで被災地を何かの意味で元気づけなくちゃいけないと思い、アンパンマンのポスターを描いて送ったら、避難所や病院に貼るということで、あっというまになくなってしまったと。あと、歌をつくったり、現地でコンサートなんかもやって、子どもたちに喜ばれたみたいです。
震災後に仙台の女の子から「私はこわくない。アンパンマンが助けに来てくれるから」という手紙をもらいまして、アンパンマンが助けに行くことはできないけれど、そう信じているなら、作者としてそれに値することをしなくちゃいけないと思ってね。
「希望」をテーマに歌詞を書いて歌をつくった
歌もつくられたそうですね。
——被害がひどかった岩手県陸前高田市の海岸に、松の木が一本残ったというので、その松の木の歌をつくって、CDにして陸前高田市に送ったんです。希望ということをテーマにして歌詞を書いて。「がんばれ」ばかりでは疲れてしまいますからね。
震災後、アンパンマンの映画もつくられましたが、そこにどんな思いを込められたのですか?
——「復興」をテーマにつくりました。バナナ島という島があって、バナナ祭りをやろうとしていると、異常気象になってしまい、バナナの木が枯れてしまうんです。これは大変なことになったと、バイキンマンもその復興を手伝います。ようするに、いざという時には敵も味方もない。国を守らなくてはいけない。というようなことを、メッセージに入れたつもりなんです。
『何のために生まれてきたの?』(著:やなせたかし/PHP文庫)
「もう無理だ」と思うことも…
——この「復興」ということばで思い出すのは、僕が戦後の引き上げの時、通った広島のことです。一面焼け野原で、何もないさまを目のあたりにして、愕然としました。75年間は草木も生えないと言われていたけど、見事に復興しました。阪神・淡路大震災の被災地、神戸もがんばりました。
復興には非常に時間もかかれば、お金もかかります。なかなか進んでいかないというのが現状です。でも、ほんの少しずつでもいいから、始めていくべきなんですね。「もう無理だ」と思うことも、少しずつやっていくうちになんとかなる。一人が1平方メートルとして、100人がやれば100平方メートルになる。
僕らが仕事をする場合でも、ものすごく大量に仕事がきた場合には、かえってゆっくりやるんです。1日1枚というふうにやっていくでしょ、するといつのまにか片付くもんなんです。
今回の場合も、全体を見ると絶望的な瓦礫の量だと思います。しかし、どこからか手をつけてやっていれば、あるところまで進むと、そこからは急に速くなるんです。加速度がつくというか。ですから1平方メートルでもいいから手をつけて始めていけば、なんとかなっていくんです。
その「気力」を溢れさせるために必要なもの
その1歩を踏み出だすためには、何が必要でしょう?
——絶望せずに、まず1歩進むこと。でもね、1歩進んで向こうを見ると、ダァーッとあるんで、こりゃダメだと思うんだけど、ところがそうでもないんです。それを重ねていくうち、なんとなく片付いていくんです。
その重ねるためには、何が必要なんですか?
——根気と、それから絶望しないこと。
でも現実を見ちゃうと力が抜けてきちゃいますよね。その場合、元気というか、気持ちですね。精神的に気力がある、ということが一番大事なんです。その気力を溢れさせるためには、ちゃんと食べなくちゃいけない。ちゃんと食べて、少しずつでもやっていくうちに必ず片付く、僕はそう思います。
※本稿は『何のために生まれてきたの?』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。
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