スロープは「設備」でなく、「象徴」になった。 授賞式の2週間前に舞台設計を一から作り直した理由
2025年2月18日(火)15時55分 PR TIMES STORY
社会を動かした人物と、その行動をたたえる「Public of The Year」(パブリック・オブ・ザ・イヤー)の幕開けだ。記者を招待した発表会を兼ねた形式で、第一回授賞式が開催されていた。
初代受賞者には錚々たる顔ぶれが名を連ねた。プロ車いすテニスの小田凱人選手、陸上女子やり投の北口榛花選手、アーティストのCreepy Nuts、囲碁棋士の一力遼棋聖、遠位型ミオパチー患者会の織田友理子代表、ニホンオオカミ研究者で中学生の小森日菜子氏、小杉湯の関根江里子副社長、のと鉄道の中田哲也社長、ヘラルボニー共同代表の松田崇弥・文登兄弟。
全9組の“行動する人”が、栄冠に輝いた。
会場中央で大きな存在感を放っていたスロープ
この日、ステージにつながる唯一の動線となった会場中央のランウェイは、長さ6m×横幅1.5mの長い「スロープ」に、ブルーカーペットが敷かれ、大きな存在感を放っていた。
着物の女性も、スーツの男性も、制服の中学生も、車いすの女性と支える夫も、当日来場した受賞者は皆一様に、この大きなスロープを通ってステージへと上がり、トロフィーを受け取った。そして、社会を動かしてきた自身の行動を振り返り、想いのこもったスピーチを披露する度、会場は感動に包まれた。受賞者はまた長いスロープを通って、ステージから自席へと戻っていった。
実は、このスロープは当初「予定されていなかった」ものだった——。
立ち上げの試行錯誤を伝えて、誰かの勇気に
初期設計では、ステージと接続する部分に小階段状のステップを置く計画で、スタッフたちは着々と会場図面に他の要素も書き込み、機動的に準備を進めていた。しかし、授賞式の開催2週間前という大詰めのタイミングで、急遽スロープに変更することを決定し、会場を横使いから縦使いに90度転回するなど、結局は一から舞台設計を作り直すことになったのだった。
この土壇場での気付き、どうしても譲れなかった判断、そんな急旋回も具現化できてしまったチーム力の根底には、「Public of The Year」が大切にしたい、強い信念が育まれていた。きっと、何年も先の未来から振り返った時、この時の結束と共感は、アワードのDNAとして語り継がれる、そんなストーリーだろう。
そして、当時の生々しい試行錯誤をこうして記録しておくことは、他プロジェクトや他社でも同じように、立ち上げの混乱と葛藤にがっぷり四つに組む人へ、少しでもヒントと勇気を贈ることになるかもしれない。そう信じて、この経験を記すこととした——。
遅ればせながら、筆者紹介。株式会社PR TIMES取締役で、PR・HR本部長という、広報と人事の責任者を務めている、三島映拓と申します。「Public of The Year」立ち上げ責任者。過去には「プレスリリースアワード」立ち上げ責任者と審査員、「プレスリリースエバンジェリスト」発起人を務めるなど、PRとプレスリリースを愛する人間。その昔は俳優志望だったり、PR TIMES入社時はアルバイトだったりと、変わった経歴についてはまた別の機会に。
会議予定「年末に開催したいアワードの件」
さて、本題に戻ろう。
「Public of The Year」の始まり(と僕が認識した瞬間)は確か、記録的な猛暑真っ盛りの2024年9月頭だった。
PR TIMES代表の山口さんから「行動者をたたえる賞を新設したいが、プロジェクトがうまく進んでいない。新たにこんなメンバーで切り出して進めるのはどうか。」と相談を受けた。
そして9月中旬、メンバーが招集された。当時はまだ名称も決まっておらず、「年末に開催したいアワードの件」という会議予定だった。2020年から当社のクリエイティブ監修をお願いしている武藤事務所の武藤さんと石黒さんに、企画段階から入っていただき、当社からは山口さんと三島、そして営業の高山さんとPRパートナーの吉池さんが集められた。
高山さんは申し訳なさそうにしていた。その数日前、前身となった会議で、行動者賞という名で持ち込んだ社内提案に、全然わかっていないと手厳しいフィードバックを全身にくらって、意気消沈していた。自分のせいでこの場が設定されたんじゃないかと不甲斐なく思う一方、新たな面子で再始動できる期待と、リベンジに懸ける思いも大きかったようだ。吉池さんは目をまん丸にして、急に自分がこのメンバーの中に招集された意図を理解しようと、笑顔のまま頭を高速回転させているようだった。武藤さんが気を利かせて笑いを交えながら、これから始まるそれぞれの尽力を誓い合った。
コンセプトと名称が定まり、立体的になった矢先…
プロジェクトはここから徐々に形を成していった。週次で、決まって早朝に打合せ。武藤さんが持ち込むコンセプト案、名称案に意見を出し合いながら、その輪郭が少しずつ見えていった。審査案、部門案で色合いが付いてきて、ロゴ案、サイト案、トロフィー案で立体的になっていった。
それが10月中旬頃。この頃も、年末開催まで時間が無い無いとは言っていたが、本当のカオスはもう少し後に訪れることになる。
当時の僕は、10月25日開催の社員総会の責任者を務めていたから、そっちの対応にも追われていた。
10月末、過去最高を更新した(と自負することが出来た)社員総会をやり切った後、ようやく本腰を入れようと「Public of The Year」にマインドシェアを戻せた時、既に第一のカオスは始まっていた。
「たとえ記者が集まらなくとも、翌年以降に続く一年目に」
審査員が全く決まっていなかった。担当の高山さんは青ざめていた。もし表彰イベントに関わったことがある方なら、2ヶ月前の時点で審査員すら決まっていない異常さをお分かりいただけるかと思う。もちろん受賞候補者はまだリストアップもされていない。
この時に決まっていたのは、コンセプトと名称、ロゴ。そして会場と日程だけは押さえてあった。
山口さんからは「年末で人が集まり難いことは理解している。たとえ記者が集まらない記者発表会になったとしても、来年とその先へと続くアワード一年目にして欲しい」と言われていた。
そう、「Public of The Year」は10年、いや100年続く、やがて誰もが知る権威あるアワードへと育てたいと考えていた。社会を動かした人の「行動」に目を向けて、次なる行動者を促し、それが習慣や文化と呼べるレベルに根付いて欲しいからだ。世の中を動かしているのは一人ひとりの行動だと、誰もが体感できるよう、毎年その象徴をたたえたい。それが最大の目的であり、譲れない信念だ。
当社は「行動者発の情報が、人の心を揺さぶる時代へ」というミッションの実現を存在意義として、事業活動をしている。ニュースのヘッドラインに、スキャンダルや事件事故が幅を利かせるのでなく、社会を前進させる「行動」が有名無名を問わず並び、その情報に感化された人々が自ら行動を始める、このポジティブな循環を定着させたいと本気で目指している。だから、行動の結果を情報として届けることはもちろん、行動を起こすこと自体への意識変容や促進も大切に考えている。この思想から、行動の源泉となる夢を後押しし、4月1日に夢を語れる場をつくる「April Dream」や、社会を動かした人と行動をたたえる「Public of The Year」に、当社が本気で取り組み続ける意義は、同じルーツから来ていると言える。
実績ゼロ、コンセプトだけのアワードをつないだもの
だからこそ、審査員は誰でもいい訳ではなかった。
日頃からパブリックに対する感覚を持つ方に、「Public of The Year」の思想を理解いただき、その象徴たる受賞者を厳選して欲しい。
そこで、社会動向と個々人の活躍を広く観察されているメディア、また企業や個人を束ねる広く開かれた団体に着目して、審査をお願いすることとした。高山さんは、初稿に受けた多くの指摘を見事に反映して、飛躍的に改善した熱のこもった依頼書で、10月末〜11月上旬に打診を重ね、お一人お一人にコンセプトを説明するフォロー面談を行っていった。
まだ実績ゼロの、コンセプトだけのアワードを、説明する側も受け止める側も、よく検討していただいたと思う。そこをつないだのは、どうにか実現したいという熱意と、その一員に加わっていいと思える共感の、重なりだったのではないか。
ひとりふたりと、承諾いただく審査員は増えていき、気付けば9名の方に参画いただけた。
行き詰った「社会を動かした行動者リスト」
第二のカオスは、受賞候補者の母集団となる「行動した人リスト」の作成だった。
受賞する人物のイメージはチーム内で共有できていたものの、審査員に受賞者を選出いただくためには、その基礎データとなる母集団リストの作成が必要だった。もちろんコンセプトに従い、その年に「行動して社会を動かしている」人物であることが必須条件だ。
誰もやったことのないリストアップ。ノーアイディアからのスタートで、担当する吉池さんは明らかに路頭に迷っていた。アドバイスを求められた僕は、メディアの連載枠で人物を取り上げるコーナーを、TV・新聞・雑誌・Web・ラジオで割り出し、そこで取り上げられた人物をベースにするのが良いのではないかと進言した。これが、方向性を惑わせてしまった。なかなかリストアップが進まないうえ、候補の偏りが解消されず、行き詰ってしまった。
そこで、方向転換。人物を入口にして探すのでなく、行動を入口にすることに。方法はこうだ。その年にニュース報道された話題を抽出し、その話題の発端となった行動を調べ上げる。世の中を動かしているのは一人ひとりの行動、という信念に合致するやり方になった。
圧倒的に足りない時間と発揮された底力
方法は見付かったものの、圧倒的にもう時間的猶予が無くなっていた。吉池さん一人では対応し切れない。
こうなったら広く助けを求めるのが当社流。社内全員へ、吉池さんから呼びかけて、情報提供と調査の協力を仰いだ。こういう時こそ当社は底力を発揮する。良い人が多くて助け合いの精神にあふれていて、どんどん情報が寄せられていった。
そうして最後は、提供情報を確認し、抜け漏れ箇所を全て吉池さんが見直して、どうにかリストとして審査員へ提示できるレベルにまでまとめ上げてしまった。正直パワーゲームになってしまったけれど、諦めて妥協せずやり切れたことが、その後に適任の受賞者が選ばれる結果につながった。
構想に囚われない、対象部門の廃止
また、対象部門を減らす、という決定もこの頃に行った。構想段階では、政治・経済、企業・事業、学術・文化、芸能・スポーツという4分野にすることを考えていた。しかし、実際に母集団をリストアップしてみると、政治・経済ニュースからその行動を割り出せた方々は、どうしても政治信条に偏りがある方が多く、世論からの評価も一日にして180度変わることが珍しくなかった。
私たちがパブリックとたたえる人物に求めるコンセプトから忠実に判定すれば、このまま部門の枠に囚われて無理に続行するのが相応しくないことは明らかだった。この段階で政治・経済という分野としては諦めて、企業・事業、学術・文化、芸能・スポーツの3分野に着地させることとした。事前に案内してしまっていた審査員の方々には、意図を説明して変更に了承いただいた。
機動的だった設計で見過ごしてしまったもの
最後のカオスは、冒頭に紹介したスロープを含めた、イベント設計だった。
実は、審査と並行するかたちで、イベントチームは11月初旬から動いていた。社外メンバーも多い、急遽お願いして集まった即席チームでありながら、本当に良いメンバーに恵まれた。チームに加わってもらう際には必ず「Public of The Year」のコンセプトを伝え、幸運なことに皆それを誠実に受け止めて、損得勘定でなく、目的に向かうために仕事をしてくれた。全員参加のSlackチャンネル(コミュニケーションツール)でオープンに連絡を取り合い、要所要所で全体会議を開いて、出来る限りOne Teamになる努力をしながら、準備を進めていった。
中盤から受賞候補者のキャスティングは難航していた。こちらの取り掛かりがそもそも遅く、年末のイベントだった為、活躍されている方々は当然もう予定が埋まっており、結局は授賞式当日の来場が叶ったのは最終的に9組中4組と半分に満たなかった。
また、最終審査の日程が12月前半に食い込んだことで、最終決定を待たずに、審査員がノミネート選出した段階で事前の声掛けを始めていた。その中には、後に受賞決定となる、プロ車いすテニスの小田凱人選手、遠位型ミオパチー患者会の織田友理子代表も、名前が挙がっていた。車いすでの登壇、または杖を使用する登壇が、想像された。
授賞式2週間前の急旋回、譲れない信念
車いす使用を前提に、ステージへの登壇動線、トロフィー授与やマイク位置などを再検討した。すると、2つの選択肢が浮かび上がった。
A.進行スタッフに車いすを押されて上がる短縮スロープを設置する(変更も費用もミニマムで済み、撮影カメラにも干渉しない)、
B.ランウェイ自体を拡張し緩やかな傾斜をかけて、車いすも自力で上がれる大きなスロープにする(平場ランウェイで設計していた時より長さ1.9倍、幅1.7倍に拡張し、全体設計を見直す必要あり、費用増)、
ここでどちらを選択するか、目的に忠実な判断を考えれば、迷いは無かった。ただ、2週間前の大きな変更にあたって、スタッフにはとにかく謝り倒しながらお願いすることしか出来なかった。
その時の判断はこうだ。
ランウェイを、車いすも自力で上がれるスロープにする。
この時点で車いすの受賞者はまだ確定していない。ただ、今年だけでなく今後も、「Public of The Year」が選ぶ方々は、いろいろな病や障害、特性と共に生きている可能性が高い。だからこそ、この授賞式は出来るだけバリアフリーにしたい。自分の行動によって道を切り拓いてこられた方々が、その功績をたたえられる場で、他者に押されてステージへ上げられることをどう思うだろう。可能な限り、自分で上がりたいと思われるのではないか。勝手な想像かもしれない。ただ、ご本人も周りも、心から行動をたたえられる場をつくりたい。
そして、そのスロープのランウェイを、全ての受賞者が特性によらず同じように、拍手に包まれながら通って表彰ステージへ上がることにしたい。
一から作り直した目的志向のチーム
こうして、授賞式の2週間前に、舞台設計を一から作り直すこととなった。
驚くことに、この時に出来ないとか、無理だとか言ったスタッフがいなかった。心の中では大変なことになったと思っただろうから、それに対しては今でも謝りたい。そもそも僕の視野がもっと広ければ、急旋回でなく最初から準備してもらうことができていたわけで、視野狭窄も恥じた。
ただ、その時に全員が、どうやったら実現できるかを一生懸命に考えて、本当に2週間で見事に実現してしまったのだからすごい。
目的志向のチームが持つパワーをまざまざと見せられた瞬間だった。
この試行錯誤を経て、あの存在感あるスロープが出来上がり、荘厳で感動的な授賞式を催すことが出来たのだった。
後日届いたメッセージ
「Public of The Year」が立ち上がるまでには、ここには書き切れなかった奇跡の瞬間が、まだまだ他にも沢山ある。オリジナルトロフィーが出来るまで、そして手渡すまでの紆余曲折が詰まったストーリー。これまでに見たことのない斬新なバックパネルを生み出すまでのストーリー。どれも語り尽くせない要素が山ほどある。それはまた別の機会に紹介できたらと思う。
この話には後日談がある。
授賞式を終え、もう2024年の暮れに、受賞者の織田友理子さんから、こんなメッセージが届いた。
(前略)
「賞をいただけたことはもちろん嬉しかったですが、何より、あの大きなスロープのインパクトがありすぎて心に刻まれています。障害者も同じように社会の一員として、とは口で簡単に言えることなのかもしれませんが、あのようなご対応をしていただける主催者にはなかなか出会えないものです。優先度が下がってしまうというか。同じように舞台に並べなくても、心を無にしてというか考えないようにしています。なので、心から嬉しかったです。そして、今後のご発展を心から応援したいなと思わされました。
昨日からなかなか興奮が冷めやまず、まとまりのない内容ですみません。これからも更に頑張ります。
このたびは本当にありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。」
織田さんの言葉は、関わったスタッフ全員に共有された。皆胸が熱くなり、それぞれが全力を尽くした仕事に誇りを持つことが出来たようだった。
事実と本質から滲み出して伝わるもの
現場で感じ取って心に残るものこそ、真のコミュニケーション、まさにPublic Relationsだと思う。PRは何も表面を加工することでなく、事実と本質から滲み出して相手に伝わるものだ。その本当の意味での心の交流を、こうして体感できたことは有難い。
僕には織田さんの見る世界は見えない。同じ体験は出来ない。
でも想像することは出来る。
想像力を目一杯働かせて、その方の視界から見て感じられるだろうことをイメージする。映画の主人公の視点にカメラが切り替わって、その人物の目から見える世界を追体験するように、自分とは異なる立場になり代わって、見ようとする、体験しようとする。
人はグラデーションの中に生きていて、能力も特性もジェンダーも何も、100対0ということはあり得ないと考えている。だから、グラデーションの%ゲージを左右に調整して、想像する力を働かせる。俳優志望だった過去が少し貢献しているなら幸いだ。
100年続く文化への道
ちなみに、今後「Public of The Year」が本当にバリアフリーの舞台だと呼ぶには、課題がまだある。視覚、聴覚に対する配慮も必要だし、第二回以降もさまざまな障がいや特性と共に生きる方が受賞される可能性が大いにあると思う。
ここに真剣に取り組むことは、当社にとってもダイバーシティーを考える良い機会だと思う。
最後に、このプロジェクトに関わっていただいた全ての受賞者、審査員、スタッフ、協力者、アドバイザーに、改めて心から感謝をお伝えしたい。
また、この話をどこかで発信して欲しいと背中を押してくれた織田さんご夫妻に、感謝している。
そして、第二回からは半年前から準備を進めること、今回学んだ反省点を活かして改善すること、そしてPR TIMES流のプロジェクトリレーの方式に則り、次なる責任者へとバトンを渡すことを誓いたい。このストーリーが次のプロジェクトチームの糧になることを祈って。
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