だから中国は尖閣諸島に手を出せない…海上保安庁が「領海警備」「海難救助」以外にやっている知られざる仕事

2024年5月22日(水)7時15分 プレジデント社

激しくせめぎ合う中国海警局船(右)と海上保安庁の巡視船(=2024年4月27日、沖縄県石垣市の尖閣諸島沖) - 写真=時事通信フォト

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日本の領海警備や海難救助は海上保安庁が担っている。『知られざる海上保安庁 安全保障最前線』(ワニブックス)を書いた元海上保安庁長官の奥島高弘さんは「それ以外に、中国の海洋進出が進んだことで増えた仕事もある」という。どんな取り組みを行っているのか。ライターの梶原麻衣子さんが聞いた――。(前編/全2回)
写真=時事通信フォト
激しくせめぎ合う中国海警局船(右)と海上保安庁の巡視船(=2024年4月27日、沖縄県石垣市の尖閣諸島沖) - 写真=時事通信フォト

■在任中は常に臨戦態勢だった


――現場の海上保安官から海上保安庁長官に就任された「生え抜き」として勤められ、退任から1年半が過ぎました。


【奥島】在任中は常に臨戦態勢でしたから、辞めてしばらくの間も災害だ、事故だと聞くと「すわ一大事」と腰を浮かせていたのですが、1年半たってようやく通常の感覚が戻ってきた感じがします。


海上保安庁では情報は下から上に徐々に上がってくるものだけではなく、メールや通知システムなどで長官まで一気通貫、夜中でもほぼリアルタイムでアラートが入ります。緊張感を強いられる日々でしたから、退官直後はヘトヘトでした。


ただ、年明けすぐに能登半島沖地震が発生し、救援物資を輸送するはずだった海保の飛行機がジャンボ機と接触して海上保安官5名が亡くなる痛ましい事故がありました。


あの時には、いわば脳の暴走状態というんでしょうか、「あそこに説明に行かなければ」「資料はあったよな」などと、頭が勝手に考えてしまう状態になりました。一生懸命、「考えなくていいんだ」と自分を納得させようとしましたが、なかなか収まらず、一方で現役の時と違って情報が入ってこないことがストレスで、2日間、全く寝られませんでした。一挙に現役に引き戻されましたね。


■尖閣方面に行く大型船の船長はほぼ性格まで把握


――現場からの「生え抜き長官」は奥島さんで4代続きました。現場にはどのような影響がありましたか。


【奥島】初めて海上保安官から長官になった佐藤雄二さんが就任したのが2013年。そのときすでに私は現場の海ではなく霞が関勤務でした。そのため厳密な意味で「現場」に与えた影響はわかりませんが、しかし霞が関にいた立場としても、現場を知る、同じ土俵で仕事をしてきた人がトップにいるという安心や信頼を感じていたのは確かです。


「同じ船に乗っていた人が、トップに就任している」という高揚感みたいなものもあったでしょうし、士気が上がったことは間違いありません。


――霞が関にいる職員も、みんな海の上のことは知っていて、ご著書の『知られざる海上保安庁 安全保障最前線』(ワニブックス)では「船長の性格まで把握したうえで配置や指示を決めている」と書かれていました。


【奥島】海保は大きな組織ではありませんが、だからこそマイクロマネジメントが可能になった面があります。


尖閣方面に行く大型船は数十隻で、船長も数十人いる。名前を聞けば、だいたい性格までわかります。全寮制の海上保安大学校で文字通り「同じ釜の飯」を食った仲だったり、現場でも様々な機会に顔を合わせたりしますからね。


それぞれの個性はよくわかっているので、そうした性格も踏まえて船の運用を考えていました。


■長官なんて全く面白くない立場


――いわゆる「現場」と、「霞が関」といわれる本庁勤めとで、最も違うことは何ですか。


【奥島】決定的に違うのは、現場は第一に目の前で起こっている事案に対処しなければならない一方、長官を含む霞が関に詰めている職員は、ことが起きた時には現場のことは彼らに任せる以外にない点です。


いざという時、現場がどうすれば動きやすくなるのか、何が必要なのかを前もって予測し、対処方針を決め、勢力を整え、予算を獲得することが任務になる。いわば「政策的判断」をするのが長官を含む霞が関の役割です。


海上保安庁が入居している中央合同庁舎第3号(画像=Rs1421/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

私の性格からすると、長官なんて全く面白くない立場なんだけど(笑)。特に、霞が関の中でも現場に直接指示を出せるのは警備救難部長までなんです。


それより上には長官、次長、海上保安監がいるのですが、現場に指示を出すオペレーションルームはまさに「警備救難部長の城」。長官といえども好き勝手にふるまうわけにはいきません。


もちろん、時には口を出したくなる時もあるんだけれど、それは絶対にやっちゃいけない。私も警備救難部長を経験していますが、皆が口を開けば「船頭多くして船山に上る」になりかねません。長官は冷静に見守って、イザというときに助け舟を出す。そのくらいがちょうどいいんだと思っていました。


撮影=プレジデントオンライン編集部
元海上保安庁長官の奥島さんは「この40年間で『Safety』から『Security』の仕事が増えた」と話す - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■工作船事件で痛感した「日本の海の現実」


――海上保安官として海に出られるようになってから、長官として退官されるまで40年。この間の日本の海をめぐる情勢はどのように変化しましたか。


【奥島】「Safety」から「Security」の仕事が増えたような気がします。


海難事故で印象深いのは、私が初めて記者会見に臨んだ1996年の小樽沖での沖合底引き網漁船同士の衝突事故。5名の死亡者が出たので、全国紙一面トップで報じられました。また退官間際に発生した26名が死亡・行方不明となった知床観光船の事故(2022年)も忘れられないものになっています。


一方、警備関係業務では1999年には能登沖、2001年には九州南西海域で工作船事件が起きました。


能登沖の時、私は長官秘書でしたが、工作船を逃がしてしまいました。「次こそは」と思っていた時に、警備救難部警備課課長補佐として九州南西海域での工作船事件に対処することになりました。銃撃戦ののちに不審船は自爆して沈没。その後、不審船は引き上げられ、横浜の海上防災基地に展示されています。


工作船事件では、相手がロケットランチャーや地対空ミサイルまで積んでいたことがわかり、「日本の海は実はこんなに危ないんだ」と実感するに至りました。もちろん知識としては持っていたのですが、日本の安全保障環境は実は脆いものなんだと改めて現実を突き付けられた経験でもありました。


■領海警備の大きな変化


2012年の尖閣国有化を機に、尖閣周辺海域へ中国公船が頻繁にやって来る事態となりました。私はこの時、警備救難部警備課領海警備対策官を務めていて、まさに領海警備を担当する役職についていました。


当時、警備救難部長だったのが初めて現場から長官に就任した佐藤雄二さんで、すぐに現場に行くよう指示を受けていました。ヘリコプターで船に降り立ち、まさに丁々発止やったのです。以降、尖閣をめぐる中国公船との応酬は今日まで続くことになります。


――それまでは海難事故の対処や救助がメインだった海保のイメージも変わり、領海警備がクローズアップされることが多くなっています。


【奥島】領海警備の質自体も変わってきた面があります。以前は、外国船といってもロシアなどの密漁船や北朝鮮の工作船に対する対処が主でした。


ロシアの密漁船は漁業利益を得るために、一個人が日本の海洋権益を侵したという性質のものです。


北朝鮮の場合は若干「一個人の行動」とするには疑問もありますが、それでも2002年の日朝首脳会談で金正日総書記が前年の工作船事件に関し「一部の者が行った行為、今後起こさないよう指導する」といった旨の発言し国家の関与を否定しました。つまり、ロシア・北朝鮮の違法行為は、あくまでも個人の意思であり国家意思に基づくものではなかったのです。


■ロシア・北朝鮮と中国の違い


片や中国の場合はそうではありません。まさに「中国が日本に対抗する」という国家意思として船を尖閣周辺に送り込んでいます。ここには大きな違いがあり、個人の意思でやってくる船と国家意思を背負った船では、現場での対処も大きく違ってきます。


具体的には、ロシアの密航船や北朝鮮の工作船の場合、我々は法執行機関として犯罪者を取り締まる手法で対処することができるのですが、中国の場合はそうではない。「海警」と呼ばれる公船なので、国際法上、沿岸国の管轄権から免除されているのです。


そのため、領海侵入に対しできることは「退去要求」と「保護権に基づく必要な措置」だけ。


「出ていけ」というだけでは簡単に出ていきませんし、「必要な措置」の具体的内容について国際法上の解釈は確立していません。


当然、船をぶつけて沈めたりしたら国際法違反になりますし、公船に対しては、違法漁船などを取り締まるように、立ち入り検査を行ったり逮捕したりすることができないのです。


写真=iStock.com/Juanmonino
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Juanmonino

――中国は国際法の限界などをかなり研究していますね。


【奥島】きちんとした「研究」をしているというより、「自分たちの都合のいいように解釈している」「勝手な解釈を重ねている」というほうが正しいかもしれません。


■国際法上の「国家」から逸脱している


そもそも難しいのは、国際法上の「国家」は、基本的に性善説に立っているのではないかと思われる点です。「国家は国際法を守る」という前提に立っていて、中国のように国際法を勝手に都合よく解釈する国があることはあまり想定していないと思うのです。


その象徴が九段線です。一応、国連海洋法条約では12カイリが領海、200カイリが排他的経済水域、それ以外は公海、と決まっています。しかし中国はそれを全く無視して勝手に線を引き、南シナ海のほぼ全域を「中国の“領海”」であると主張しています。


さらに中国はフィリピンとの間で争っていた南シナ海の島の領有権問題で、国連の国際司法裁判所による仲裁裁判で「中国の言い分に根拠なし」とされたにもかかわらず、裁定を「紙くず」と呼んで拒絶する姿勢をあらわにしています。


こういう国を相手にしなければならないのですから、これは大変です。ただ、尖閣沖の中国船対処が増え始めた2012年以来、現在まで、海上保安庁は尖閣周辺で一度たりとも中国に後れを取ったことはありません。


厳しい状況があることは確かです。2012年に尖閣を国有化した際には中国の海警は40隻程度で、海保は51隻と数の上でも上回っていたんですが、今や、海保が20隻増えて71隻なった一方、中国海警は実に157隻にまで増えている。


ただ中国側は東シナ海だけではなく、南シナ海でも進出して各国と摩擦を起こしていますから、勢力が分散されている。東シナ海で海保が優位でいられる理由の一つです。


■重要度が増す近隣諸国との連携


――その中で、海保はアジア各国のコーストガードとの連携も強化しているとか。


【奥島】そうです。中国が伸長する一方、各国は限られた予算や国力の中で、紛争に発展しないようにどう海の権益を守るかを考えなければなりません。



奥島高弘『知られざる海上保安庁 安全保障最前線』(ワニブックス)

軍事組織となると衝突すれば有事に発展しかねない。それを避けるためのバッファ(緩衝材)として、海上保安庁のような組織を持ち、育てたいという国は多いのです。そこで日本の海上保安庁に学びたい、と考えた国からの、キャパシティ・ビルディング(能力向上支援)の要請が非常に多くなりました。


海保としても積極的に各国へ「キャパビル」専門のチームを派遣して、支援を行っています。現場で顔を合わせて活動を一緒に行うことで、意思疎通も格段にできるようになりますし、現場の知恵も共有できるようになります。


政治・外交の場面では必ずしも国同士の関係が良くない時期であっても、現場では連携できることもあり、ある面では外交の下支えができているともいえるでしょう。


海上保安庁は6カ国が参加する北太平洋海上保安フォーラム(NPCGF)や22カ国、1地域が参加するアジア海上保安機関長官級会合(HACGM)を主導しているほか、2023年には3回目となる世界海上保安機関長官級会合(CGGS)を開催し、全ての大陸から96の海上保安機関等の参加を得ました。地域の枠組みを超えた世界の取組を行っているのは海上保安庁だけです。


こうした取り組みをはじめ、海保は日本の国家戦略でもある「自由で開かれたインド太平洋」構想(FOIP)の一端も担っています。こうした海上保安庁の取り組みをもっと多くの人に知ってもらいたいですね。


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奥島 高弘(おくしま・たかひろ)
第46代海上保安庁長官
1959年7月7日生まれ。北海道出身。北海道小樽桜陽高等学校を経て、82年に海上保安大学校を卒業する(本科第28期)。海上保安官として警備救難、航行安全等の実務に携わり、政務課政策評価広報室海上保安報道官、根室海上保安部長、第三管区海上保安本部交通部長、警備救難部警備課領海警備対策官、警備救難部管理課長、総務部参事官、第八管区海上保安本部長、警備救難部長などを歴任する。2018年7月31日、海上保安監に就任。20年1月7日、海上保安庁長官に就任し、22年6月28日に退任。現在は、公益財団法人 海上保安協会 理事長を務める。趣味は絵画鑑賞、ワイン、旅行、読書。
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(第46代海上保安庁長官 奥島 高弘 インタビュー・構成=梶原麻衣子)

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