佐々木俊尚「21世紀日本の低迷は"釣りバカのハマちゃん"を排除するだけで何も生まなかった経営者のせいだ」

2024年5月23日(木)8時15分 プレジデント社

佐々木俊尚 Toshinao Sasakiジャーナリスト、評論家テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆している。『Web3とメタバースは人間を自由にするか』など著書多数。

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■家庭的な安心感や空気が「昭和」にはあった


私が新聞社に入ったのは、昭和終わりごろの1988年。入社翌年の1月に昭和天皇が崩御されたので2年目から平成です。とはいえ、まだ昭和のにおいが色濃く残っていて、バブル期ごろまでは昭和的な文化や価値観は維持されていたように思います。


佐々木俊尚 Toshinao Sasaki
ジャーナリスト、評論家

テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆している。『Web3とメタバースは人間を自由にするか』など著書多数。

昭和を今振り返ると、悪い面ばかり思い浮かびます(苦笑)。たとえば、差別や人権侵害のような行為はごく当たり前にありました。


平成になると景気が悪くなり、就職氷河期もあって、会社が個人を守ってくれない、いわゆる自己責任論の重圧が強くなっていきます。自分一人で生き延びるしかないという空気が蔓延し、自己啓発本が売れ、「頑張ってホリエモンのようになろう」というような機運が高まりました。


一方で、昭和に立ち戻るとそういった殺伐とした空気はなく、会社という集団の中にいれば、誰かが見守ってくれている安心感がありました。家族的な組織の中で、みんなで助け合って生きていく雰囲気があったのです。


こんな思い出があります。新聞記者の世界は弱肉強食で、手柄の奪い合いが日常茶飯事。入社して数年目に、私も例にもれず先輩記者に横取りされたのです。「なんだよ」と思っていたら、上司や別の先輩が寄ってきて、私の肩を叩き「佐々木、ちゃんと見ているから」と声をかけてくれたんです。黙々と仕事をしていれば、誰かが見てくれている、そういう温かさと心理的な安心感が、昭和にはあったんですね。


■「ハマちゃん」のような縁の下の力持ちが消えた


ではなぜ、昭和にはそんな余裕があったのか。それは終身雇用制で立場が保障されていたからです。2000年ごろからグローバリゼーションの波が到来し、年功序列はもう駄目だ、成果主義を導入しようとなり、その結果、チームで仕事をする発想が乏しくなった。成果主義は結局、個人の成果でしかなかったんです。営業や開発など成果が見えやすい仕事は適合したけれど、総務や経理といった縁の下の力持ちの人たちが評価されなくなりました。


『釣りバカ日誌』のハマちゃんなんて、まさに昭和のサラリーマンですよね。いつものんびり仕事しているけれど、ハマちゃんがいることでチームの雰囲気が良くなったり、人の心を支えてくれたりする部分があった。昭和の労働現場などでも、一見何もしていないフラフラしている従業員がいろいろ声をかけたりして、人間関係のギスギスを解決していた。だからクビにしてはいけない不文律があったりしたそうです。


ところがハマちゃんのような人が評価されなくなり、それどころかコストカットでリストラされていきました。2000年代に評価されたのは、とにかくコストを減らして、見た目の数字をよく見せた経営者でした。そういう人たちが何かを生み出したのかといえば、新しいものは何も生んでおらず、潜在的な成長には寄与していない。こうした背景が21世紀の日本の低迷の原因の一つだったように思えるのです。


■昭和には良くも悪くも「ゆるい雰囲気」があった


また、良くも悪くも昭和には「ゆるい雰囲気」がありました。ろくに休日もなく、長時間働くのが普通。連休中に家にいると突然呼び出され「連休だろうが会社に来るのが当たり前だろう」と怒鳴られる。新聞社だと大事件が起きると必ず出勤しなきゃいけないので、新婚旅行を途中で切り上げて職場に戻った先輩もいました。そういう理不尽が何の不思議もなく、受け入れられていた時代でした。


一方で、仕事の成果など細かい数字は大して求められず、喫茶店に行くと営業マンが昼寝したりマンガを読んだりしていた。見た目の労働はきついけど、あちこちで手を抜きまくっていたのが昭和の働き方です。多少手を抜いても怒られなかったし、「遊びこそ仕事につながる」という発想もあった。


だから「できるだけ遊べ」と盛んに言われました。だんだん慣れてくると、「手の抜き方」がわかってきて、仕事の最中に飲みに行ったり、パチンコ屋に行ったりという人もいましたね。


■仕事と遊びの境目が曖昧だった昭和の働き方


ところが、今はそういうわけにはいきません。会社側としては労働時間を適切に管理して、働いている時間にだけ給料を支払う。これは経営的には確かに正しいのですが、会社全体の将来的な成長や個人の成長を考えると、切り分けすぎるのもどうかと思うのです。


ワークライフバランスが大切だと盛んに言われますが、私はあんまり意味がないように思っています。むしろ「ワークライフインテグレーション」(ワークとライフを統合して相乗効果を生む)のほうがいいのではないかと考えています。私のような仕事だとあらゆるものがインプットになり、それがアウトプットにつながります。週末に山登りに行く行為は単なる趣味ですが、山登りに行って感じたことや、そこで得た人間関係、見聞きしたものが、アウトプットにつながるわけです。


昭和の働き方は、仕事中に昼寝をしたり遊んだり酒を飲んだり、あちこちで手を抜いて、ある意味ワークライフインテグレーションを実現していました。令和はワークライフバランスなど合理化を進めすぎて、遊びや余裕がなくなった。どんな仕事でも、アウトプットするにはインプットが大事です。そのインプットは必ずしも机に向かったり、会議室で得られたりするものばかりではないはずです。


■人間には愚かな行動をとる権利がある


もう一つ、昭和と比較して大きく変わったのが「健康」に対する意識です。昭和は「不健康なのが格好いい」という風潮すらありましたが、今や不健康は愚の骨頂。むしろ不健康な人は侮蔑の対象というか、「健康であるべき」ということが、逆に抑圧になってきているわけです。


ここで思い出すのが「愚行権」。人間には愚かな行動をとる権利があるという意味です。例えばギャンブルにハマるのも、自分のお小遣いの範囲でするのなら、それは愚行権の一環。健康を害するタバコを吸ったりすることも、人に迷惑をかけなければそれは愚行権の範囲内です。ある意味、昭和にはそういう愚行権が認められていた。


お酒を飲んで、徹夜で麻雀をやって、体を壊しても自分の責任。でも、今はそれをやると社会に迷惑だ、家族のことを考えていないという話になって怒られる。そういう愚行権が抑圧されている部分があるのかなと思います。


■若者は気を付けてほしい「昭和の残骸」おじさん


もちろん昭和には昭和の抑圧がありました。女性が男のような遊びをしたら「女のくせに」と言われ、LGBTQの人はカミングアウトすることも難しかった。最近はある意味、さまざまなバックボーンをもつ人が自由に生きられるようになり、自由の裁量が広がった面はもちろんあります。


でも、愚行権のような自由もある程度認めたほうが、個人がより自由に生きられる。決して昭和のすべてを肯定しないし、あの時代に戻りたいとも思わないですが、あのころのある種の自由は、今の時代にも多少取り戻したほうがいいように思います。


今後はますます新しいテクノロジーが浸透し、社会も劇的に変化していくでしょう。新たなビジネスチャンスが生まれ、今の時代に即した新しい起業家も出てきています。そのときに昭和世代は足を引っ張ってはいけないし、若い人たちは「昭和の残骸みたいなおじさん」の話なんて聞かないでほしい。


昭和の日本人は、前のめりすぎるぐらいにテクノロジーに積極的でした。ソニーやホンダだってテクノロジーでガンガンに世界へ打って出た会社です。それが2000年代に入るころからテクノロジーの話をした瞬間、日本人はみんな「怖いですね」としか言わなくなった。この後ろ向きの考えが、あらゆるところで日本の足を引っ張っていると思います。


40〜60代の人が「昭和の残骸おじさん」にならないようにするためには、テクノロジーを忌避せず、新しいものをどんどん取り入れること。そういう努力を怠らないでほしいですね。


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佐々木 俊尚(ささき・としなお)
ジャーナリスト、評論家
毎日新聞社、月刊アスキー編集部などを経て2003年に独立、現在はフリージャーナリストとして活躍。テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆を行う。『レイヤー化する世界』『キュレーションの時代』『Web3とメタバースは人間を自由にするか』など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。TOKYO FM放送番組審議委員。情報ネットワーク法学会員。
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(ジャーナリスト、評論家 佐々木 俊尚 構成=篠原克周 撮影=川田雅宏)

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