東大に行っていいのは金持ちだけ、貧乏人は下等な教育でいい…明治初期の福沢諭吉がそう説いていたワケ
2024年5月24日(金)16時15分 プレジデント社
※本稿は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)の一部を再編集したものです。
慶應義塾図書館旧館前の福沢諭吉胸像(2009年、画像=塾生/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)
■慶應大学をつくった福沢諭吉の東大批判
明治初頭、福澤はすでに「官の学校」の長所として「自(おのず)から仕官の途に近し。故に青雲の志ある者は殊に勉強することあり」と述べていた(「学校之説」)。
帝国大学への進学はエリートの地位と制度的に直結しており、立身出世を求める若者にとって抗いがたい魅力を持つ。一方の私学は兵役の猶予すら得られない。
官学の隆盛と私学の衰退は、明治10年代後半以降の福澤がリアルタイムで感じ続けた危機だったのである。
このあたりから福澤の官学批判はエスカレートしていく。前に触れた1887年の論説「国民の教育」では、「人民が私の目的にする其教育に公けの金を使用するは正則にあらず」と主張した。
教育とは、子供を成功させたい、立身出世させたいという親の「私情」によるもので、そもそも「公共の資金」を支出する対象ではない。ただし、なにも教育しないのは「社会全体の安寧」に問題を生じるので、読み書きと多少の算術までは政府が負担する。
それ以上は親が負担すべきで、政府が「高尚専門の教育」に費用を出すのは「余分の世話」である。
この福澤の主張は原則として高等教育に公金を投じることを認めないので、必然的に帝国大学をはじめとする官学は廃止または民営化されるのが望ましい、という結論になる。
■私学のレベルが低いのは政府のせい
実際、これに続く論説「教育の経済」では、官学を廃止して私学に教育を委ねるべきと主張した。その際に障害となるのは、私学の教育レベルが低いという世間の評判である。福澤は、驚くべきことにその悪評をなかば認める。だが、それは政府の責任だという。
私学のレベルが低いのは単純にお金がなくて高度な教育ができないからである。なぜお金がないのか。学生から高い授業料を取ることができないからである。なぜ高い授業料を取れないのか。「授業料の最も低くして課程の最も高き官立学校なるものあればなり」。
官学が安い授業料で最高度の教育を提供しているので、それより程度の低い私学で高い授業料を取るわけにはいかない。税金が原資である「国財」を使って最も高度な教育を最も安い授業料で提供している官学が諸悪の根源なので、これを廃止すれば私学しか存在しない世界になる。
そうなれば、私学は堂々と授業料を値上げして資金を集め、高等の課程を設置し、素晴らしい人材を育成できる。
要するに、官学が政府の力をバックに不当な安値でよい品物を叩き売るダンピング行為をするから、私学の発達が阻害されるというわけである。
■むしろ官学は経済的に不合理
官学が全廃されて民業圧迫がなくなれば、教育は市場原理に委ねられることになる。高いレベルの教育には高値がつき、低いレベルの教育には安値がつくという当たり前の現象が発生する。
福澤は、「学問教育も一種の商売品」なのだからそれでよいのだ、と説く。次のような批判が寄せられることは、もちろん百も承知である。
第一に、高い学費を払えない者は進学を諦めるので、就学者数が減って「学問の衰微」を招くのではないか。これに対して福澤は、社会全体で教育熱が高まっており、景気が悪くなっても生徒数は増加の一途なので心配はまったくない、と反論する。
たしかに慶應義塾の入塾者数を見ると、徴兵令改正の翌年1884年こそ前年比108人減の223人に落ち込んでいるが、その後順調に回復し、1887年までの3年間で271人、435人、514人と飛躍的に増えている(坂井達朗・松崎欣一「解題」『書簡集』第四巻)。
就学熱を肌で感じていたからこそ、学費値上げによる影響はたかが知れていると確信できたのだろう。
加えて福澤は、政府の教育への注力は「財政之困難」のため長続きしないと踏んでいた。この頃米国に留学させていた子息に宛てた手紙には、「他年一日、日本之教育ハ私立学之手ニ落つ可きハ誠ニ睹易(みやす)き数」とある。(『書簡集』第五巻)。
■貧乏人を教育から締め出す
慶應義塾の学生に対する同時期の演説では、国税や府県税を合わせた国民全体の教育費負担は1200〜1300万円程度と推定し、絹糸の輸出高約1400万円の大半にあたる金額が教育に費やされていると指摘している(「社会の形勢学者の方向、慶應義塾学生に告ぐ」)。
教育に注力するあまり財政は早晩バランスを失い、教育を私学に委ねざるを得なくなる、と考えたのだろう。
第二に、授業料が払えない貧乏人を教育から排除することは許されない、という批判が想定される。これについて福澤は、貧乏人を教育から締め出すことを明確に肯定した。
「銭ある者は上等の衣食を買ふて衣食す可し、銭なきものは下等の衣食に満足せざるを得ず。簡単明白の数にして、今の人間万事この法則に洩るゝものあるを見ず」(「官立公立学校の利害」)。
金持ちはよい服を着て美食するが、貧乏人は粗末な衣食で満足するしかない。これが世の常態である。
「故に教育も亦この法則に洩るゝこと能はずして、富家の子弟は上等の教育を買ふ可く、貧生は下等に安んぜざるを得ず」(同右)。
世の中の法則では、金持ちの子弟が高度な教育を受け、貧乏人は低いレベルの教育で満足するのがむしろ当たり前なのだ。福澤はこう断言した後で、官公立学校がすぐれた教員陣や施設を整えつつ、学費を安くして「貧家の子弟」に門戸を開放していることを批判した。
写真=iStock.com/mizoula
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula
■「公共経済」の観点から
なぜ貧乏人に高度な教育を安価で提供してはいけないのか。
尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)
第一の理由は、官公立学校が税金で開設され、運営されているからである。篤志家による資金提供などで運営される私学と違い、官公立学校は金持ちと貧乏人とを問わず強制徴収した税金によって設立され、運営されている。つまり、その費用には食い詰め者から徴収した税金も含まれている。
ところが、税金で作った「盛大高尚」な官公立学校の恩恵を受けるのは、もっぱら一握りの「貧書生」だけである。優秀な若者を見捨てることは忍びないが、「公共経済」の観点から見て、限りある税収で無数の「天下の貧才子」を養うことはできない、と福澤は断言した。
貧乏人に高度な教育を与えてはならない第二の理由は、「社会の安寧」を乱すからである。
「知字明理は唯(ただ)徒(いたずら)に不平の媒介にして、其いよいよ高尚なるに従て不平もいよいよ甚だしかる可きのみ」(「教育組織の改革を祈る」)。
学問を修め精神を発達させると、どうしても社会の不完全さが目につき、不満を抱くようになる。最大の不満は、もちろん我が身の不遇である。そういう人間はなんとかのし上がろうとして「結社集会」「新聞演説」といった手段に走る、と福澤はいう。
■「社会の安寧」を乱す
この時期の福澤は、貧者に対して一定レベル以上の教育を与えること自体が「天下の禍源」だと主張するようになった。
教育を受けた者は、知識を得て精神を発達させるので、どうしても「気位」が高くなる。その状態にいたった人間は、「知識相応の地位」を渇望するようになるので、「貧賤に居るの不幸」に耐えることができない。常に不平不満を感じるようになる。
現に小学校程度の教育ですら、父母と一緒に農耕に従事することや、郷党の仲間と一緒になることを嫌がる者を発生させている。中学教育や大学教育を受けた者ならなおさらである。
「凡そ人間社会の不都合は人の智力と其財産と相互に平均を失ふより甚だしきはなし」。
「智力」が成長しても、それを実地に活かせる地位や財産がなければ「憂患」となるだけであり、就学する貧者の数が増えるほど「社会の安寧」を脅かす原因が増える。
官公立学校は官吏の道に近いというが、多くの者にポストを与えられるわけでもない。安寧を維持するためには官公立学校を全廃するか、公的資金の投入をやめて学費を値上げするかして、貧困書生を「淘汰」し「富んで志ある者」の子弟にのみ門戸を開くのがよい(「教育の経済」、「教育組織の改革を祈る」)。
■「反・学問のすゝめ」
「公共助成の教育」は、読み書き算盤の初歩といった犯罪防止に寄与する「最下等」のものに限定し、それすらも現時においては義務教育として行うべきではない(「公共の教育」)。
これは、『学問のすゝめ』初編(1872年)で、読み書き算盤から地理学、究理学(物理学)、歴史、経済学にいたる「実学」の意味を説いた姿とはかけ離れている。もはや「反・学問のすゝめ」といってよい。
福沢諭吉・小幡篤次郎共著『学問のすゝめ』初編(画像=WolfgangMichel/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
福澤は、教育と社会不安との関係をかなり長期的な視野で捉えていたようである。三男の三八によれば、ちょうどこの時期、福澤は共産主義への懸念を周囲に語り出したという。まだ共産主義というものが存在していることすら一般に知られていない時代である。
さらに日清戦争後には、「学問知識の進むに従いこの状態に満足せず不平が起ってくる。その不平は共産主義の形で現れる」と語り、政府と共産主義者の対立が長く続くことを予言したという。
注目すべきは、この共産主義の震源地になるのは帝国大学だと予測していたことである。
ある者が「若し真先に立って共産主義を唱える学校が日本にあるとすれば、それは慶応義塾でしょう」と尋ねたところ、福澤は「それは違う。将来真先に立って共産主義を唱える学校は政府の学校・帝国大学(今の東大の前身)に決りきっている。今に見ろ、この学校が共産主義の根強い根拠になり、学生は勿論教授の間にも共産主義を沢山出し政府は非常に困るに相違ない」と答えた(福沢先生研究会編『父諭吉を語る』)。
この晩年の談話が真実だとすれば、のちのマルクス主義の時代に帝大関係者が果たす役割までも予感していたことになる。
少なくとも、知識が人々に不満を自覚させ、増幅させるメカニズムの中に共産主義思想が入りこんできた場合を想定していたことは間違いないだろう。
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このように、『「反・東大」の思想史』には、政府の優遇を受ける官学と対抗していく中で、福澤諭吉の思想が激しく揺れ動く様子が描かれている。
しかし、「時に極端に触れながらも、福澤は一貫して『官尊民卑』の打破を訴え、『民』のレベルを引き上げることに尽力しました。日本の近代化において、福澤と慶應義塾が果たした役割は非常に大きいものがあります」と尾原教授は総括している。
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尾原 宏之(おはら・ひろゆき)
甲南大学法学部教授
1973年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。著書に『大正大震災 忘却された断層』(白水社)、『軍事と公論 明治元老院の政治思想』(慶應義塾大学出版会株式会社)、『娯楽番組を創った男 丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』(白水社)など。
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(甲南大学法学部教授 尾原 宏之)
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